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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
可能性ビリーヴァー
25/41

1 会合

 5100アクセス突破、ユニーク1600突入です。ありがとうございます!


 あんなに長い間更新していなかったのにアクセス数が伸びていてびっくりしました。引き続き頑張ります。今回はちょっと突然の急展開です。


 



 勉強は大切だ。

 と言うと、勉強嫌いを通り越して勉強を憎んでさえいそうなかしましい後輩は、顔を般若のように歪めて猛抗議してくることだろうと思う。


 予想される文言としては、「二次関数だの図形の性質だのを人生のどこで使うんですか? 使いませんよね?」「日本人なんだから英語なんか喋れなくていいじゃないですか、最低限『あいきゃんのっとすぴぃくいんぐりっしゅ!』って言えれば!」「ひらがなカタカナ漢字が読めりゃいいんですよっ」など。あらゆる教科を全力で否定してぶすくれることだろうと思う。あの後輩はひらがなとカタカナはともかく、漢字テストでも落第点ばかり取っていたはずなので、あいつに得意教科はない。そんなあいつに、オレは何度か親切にも勉強の大切さを説いたことがあるが、どれもあいつは聞き入れなかった。まぁ当然だ。得意教科のない勉強の嫌いな人間に「いかに勉強が大切か」なんてご高説垂れたところで説得力なんてミジンコほども望めない、不毛極まりない結果しか残らないだろう。そういうものだ。

 

 勉強の大切さを勉強嫌いに学ばせるには、勉強をしなかったことを後悔させるような何かが起こらなくてはならない。あのときちゃんと勉強しておけば良かったと、そう思わなければ勉強嫌いは改善されない。馬鹿は死ななきゃ治らないというがあれと同じで、勉強嫌いは後悔しなけりゃ治らない。いくら親が喚いても教師にどやされても、心の底から勉強が嫌いでやる気が起きない人間には何を言ったって無駄なのだ――――自分でどうにかしようっていう気にならないと、勉強なんてできやしない。


 見栄のためだけに頑張り通せる人間なんて、そうはいない。誰かに良い顔をするためだけにやりたくもないことに飛び込んでいける者なんてごく一握りである。


 さてそれでは、現在百茎西高等学校第三学年にて学年主席の座を保守し続けているオレはどうだろう。いつだか期橋に言われたことがあった。


『才能ある先輩からアドバイスされても、馬鹿な私には無駄だと思いますけどねっ! ていうかやる気が湧かないんだから仕方ないじゃないですかー。人間、やる気にならなきゃ何事も無駄なんですからぁ!』


 と、そんなことを言われた。

 

 オレはその言葉に、何も努力しないで今の学力を手に入れたような言い方は気に入らないとそう返した記憶がある。期橋は一瞬訝しげな表情をしたがすぐにいつもの表情に戻って、黙って弁当を食べ進めた。


 多分そのときまで、期橋はオレが天才か何かだと思っていたんだろう。


 ……高校に入ってから三年間ずっとトップに居座り続けるオレは、客観的に見ればそうなのだろう。高い学力に上から目線、態度も口も悪く感じも悪ければ人付き合いもしないと来た。まさに漫画やアニメの世界によくいる「孤高の天才」、そう取る人間も数多くいるはずだ。自分の才能を嵩に着て密かに周囲を見下している卑屈な性格。もしくは、「実は友達が欲しいけど過去に頭が良すぎていじめられたから人付き合いが苦手で」どうのこうの、そんな立ち位置の、可哀想なヤツ。そういうポジションにいて、主人公格の誰かに救われたり、もしくは主人公の敵になる哀れで馬鹿げた存在。いわゆる噛ませ犬、やられ役、憎まれ役で嫌われ役。


 だがオレは断じて違う。


 オレは決して、天才などではない。


「……、……はぁ」


 オレはおもむろに深いため息をついて、携帯電話を放り込んだ抽斗の一段上を乱暴に引いた。そこに区分けされて入っている黒一色のファイル数枚を手に取り、机の上に並べる。どうしても勉強が手につかないときのためにと思って封じてあった過去は、問題集とノートに埋め尽くされた机の上にあっても異様なほどの存在感を放つ。


 このファイルを最後に見たのは三年前の七月。それ以降、オレはそれに触ってすらいなかった。小学校から中学三年生の一学期期末テストまで、すべてのテストの解答用紙が詰まったファイル。テストなんて捨てれば良かったのに、なぜか両親が持っていたものたち。

 

 その中身を見ることはオレにとって最大の自傷行為に違いなかったが、そうする以外に何かを思い付くわけでもない。いつもならこんな日はさっさと学校へ向かい、途中のコンビニで朝飯を買って、冷え切った教室で参考書を開けば惰性的でもやる気が引き起こされるのだけど、どうにもそんな気持ちにはなれなかった。


 まるでパンドラの箱でも開けるようにそろそろと手を伸ばし、ファイルを持ち上げて少し傾ける。ファイルから滑り出した紙束に走った赤いインクは、オレの後悔の証。一枚、一枚、また一枚、それぞれをめくる。自分の口元が皮肉を嗤うように吊り上がっていたことに気付いたのは数分後のことで、オレは全てのファイルの中身を見終わったことを確認すると、それまでの静かな動作から一変してファイルを抽斗に放り投げた。蹴り飛ばすように膝で抽斗を締め、知らないうちに苦しくなっていた呼吸を整えるようにぎり、と歯を食いしばる。そのままよろけるように布団に倒れ込んだオレは、はぁ、と呆れた吐息をついた。


 馬鹿にも程がある。こんなことしたら勉強どころじゃないのに、数分前のオレは一体何を考えていたんだ、このポンコツ野郎が。心の中で並べた罵倒はどれも口に出されはしなかったが、的確にオレの心臓を抉るように鋭く尖る。本当に、こういうところはどうにも治らない。こういう愚鈍で頭の回らない自分が招いた結末はあんなに非道いものだったというのに。


「……はは」


 から、と笑ってオレは布団から立ち上がった。手早く制服に着替え、学生鞄に教科書と参考書とノートに筆記用具といつもの持ち物を放り投げる。萎えていた気持ちがほんの少し上向きになったのを感じてオレは苦笑した。今の自傷行為でテンションが上がるなんて、オレはマゾじゃねぇっつぅの。




 


 数時間後、いつものように学校の授業を終えて校舎を出れば、少し曇った空は悠々とオレを見下ろしていた。昨日と変わらないその風景になぜか舌打ちをしたい気分になるが、ここは昇降口のすぐ目の前だ。部活動の準備に勤しむ他の生徒たちがごった返す中でそんなことをすれば、またうざったい視線で見られることになる。オレは代わりにポケットの中の音楽再生機器のスイッチを入れ、イヤホンを耳に嵌めて歩き出した。


 放課後の時間は苦手だ。この学校は構造上、必ず体育館の横を通らなければならない。曜日にもよるが体育館はバスケ部が使用している場合が多く、バッシュが体育館の床を蹴りきゅっと鳴るあの音がする。オレは昔あの音が好きだった。でも、今は苦手だ。だからイヤホンは欠かせない。


 イヤホンの向こう側から聞こえる防ぎ切れない楽しそうな声を意識から締め出すことに、最初は難儀したものだ。でも今となっては随分慣れた。その変化がオレにとって良いものなのか悪いものなのか、それは少し判断に困るところである。


 心臓が掴まれるような奇妙な緊張感に包まれたまま体育館横を通り過ぎ、校門を出たオレは、周囲にあの後輩の姿が無いのをそれとなく確認して息を吐いた。あいつに捕まるとちょっとばかし面倒なことになる。


 ……誤解しないでほしいのだが、オレはあいつの気遣いが無駄だとか、要らないだとか、おせっかいだとか思っているわけではない。むしろ心地よくさえ思ってしまう節がある。あいつは普段からうるさいし性格も面倒極まりなく頭の悪い手のかかる後輩だけれど、自分そっちのけで人のことばかり考えている馬鹿だ。三年前にたった『二人』の理解者を失って以降、ひとりの時間が続いていたオレにとって、ああいう奴はありがたかった。なのはの捜索を諦めかけて弱気になったあの日、あいつが叱りつけたからこそオレは魔法使い達とのコネクションを持つことができた。あのときのことを思うと情けなくて頭が痛くなってくるけれど、あいつは、自分で言うほどダメなヤツではない。


 自分を過小評価し過ぎる人間というのがこの世には多すぎるのだろう。あいつは中でも筆頭だとオレは思っていた。もし人間の心を読める力がオレに備わっていて、あいつの心を見たら、あいつはきっと気持ち悪くなるほどネガティヴな感情ばかり抱えているに違いない。でもオレからすれば、そんなのはほんの一面でしかないのだ。


 あいつには見えていないあいつの一面を、オレはある程度知っている。全部知っているなんて豪語はもちろんできないが、不器用でも人を励ませるし、人の感情の機微に気付いて気遣いできて、それでいて、優しいことをちゃんと知っている。臆病で怖がりな自分を虚勢で隠そうとしていることも、知っている。だからあいつの朝の電話も、面倒だと思う反面少し嬉しく思っていたのを、オレは自覚していた。甘ったれた話だが態度にも言葉にもしない心の揺らぎを、誰かが察してくれることは幸せだと思う。


 でもだからこそ、あいつに今のオレの心の内など話すことはできなかった。


 一度見た、魔法使いの少年少女と一緒に歩く彼女の姿をまぶたに思い浮かべる。あいつは気付いていないだろうが、心底楽しそうで愉快そうな笑顔であった。〈幻〉なんかに頼っていない心からの笑顔に、オレは実は少しだけ驚いた――あいつもそんな顔をするのかと思った。オレはあいつの魔法を何度か見破ったことがあるが、普段オレの見ている笑顔とはどこか質が違う笑顔は、なぜかぐさりと心に突き刺さった。


 あいつらといるときに、あんなに楽しそうに笑う後輩に言えるわけがない。


 オレは目的のためなら魔法使い達をどこまでだって利用する心積もりだなんて、誰が言えるか。


 ……そう思うこと自体がオレの意思の弱さを物語っているとも言えるのだが、それでもオレは、迷っていた。


 魔法使い達を利用することへの罪悪感。

 魔法使い達を利用すればなのはへの道が拓けるかもしれないという期待。

 利用するなら馴れ合いが必要だという理性。

 そんな馴れ合いは嫌だと言う本能。


 相反する感情がごちゃまぜになって、何を選べばいいのか自分でもよく分からない。つくづくオレは悪ぶった人間だと思い知らされる気分だった――――なのはの為なら何でもすると誓いながら、結局後輩や魔法使い達に良い顔をしたがっている、好かれたがって、いる。こんなつっけんどっけんで口を開けば嫌みしか出てこない、無愛想なヤツの癖をしてだ。


 ……おっと、自虐的になりすぎたな、とオレは思考回路を引き戻した。オレは確かに無愛想で無表情で上から目線の傲慢な男だが、これでも昔は結構友達もいたし実は運動も得意だし努力家で、……多分一途だと思う。自分を過小評価するべきじゃない。過大評価しすぎてもならないが、適切評価より一段階上に思うことぐらいは個人の自由だ。


 ……少し虚しくはなるが。


「……って、オレは何やってんだか」


 葉が散って寒々しくなった街路樹を視界にとらえつつ、オレは自分の思考回路を疑うように片眉を上げた。ぼっちの思考とは中々寂しいものらしい。オレは元はといえば孤独を楽しめるタイプの人間ではないから、考えていればいるほど虚しさが心に降り積もる。不毛なことこの上ない。


 さて、とオレは鞄の中のテキストの進捗を思い出した。今は最近習った数学の応用問題の……十五週目だったか。人によっては一度やれば解き方が頭に入る人間もいるらしいが、オレは数を繰り返さないと何も覚えられない極めて非効率的な脳であるため、たとえ覚えやすい英単語でも六十回は書かないと気が済まないのである。ちなみにこれを前に期橋に言ったら「ガリ勉、勉強マニア、むしろ勉強中毒(スタディホリック)!」と幽霊でも見るかのような眼で叫ばれた。二十四時間営業で失礼な後輩だ。


 この公式を使った後はどうするんだったかと設問を頭に思い浮かべたところで、オレは不意に振動を感じて胸ポケットに手を伸ばした。探り当てた携帯画面に『着信』の文字。誰からかと名前を見て、オレは安堵すると同時に顔をしかめた。


 期橋からの呼び出し電話――――では、なかったが。


 無視すればどうなるかは安易に予想がつくのでオレは大人しく応答ボタンを押し、イヤホンを外して答えた。その声が面倒くさそうなものになったのは、相手ゆえの必然である。


「……もしもし、オレだけど」


『俺だ』


 もちろん誰かは分かっているが、オレはあえてとぼけてみた。理由は単純、めんどくさいからだ。


「いや、『俺だ』じゃ分かんねぇよ。オレオレ詐欺なら切るぞ? 知らない奴からの電話でハイそうですかと騙されたりしねぇよ? 切るからな?」


『ほぅ、貴様は知らない相手からの電話に応答するのか。不用心極まりないな。それに確か俺の番号は俺の目の前で登録させたはずだが、となると削除したのか? 削除したらどうするか言ってあったはずだが、それを忘れたと? ……命知らずとはこのことか。貴様には後でカギナの手料理でも流し込んでやろう』


「……相変わらずいけ好かねぇ喋り方すんな、眼鏡。まったくもってよろしくねぇ。ガキの癖にガキらしくねーのはどうかと思うぜ」


『貴様にガキ呼ばわりされる謂われはない。口を慎め』


「へいへい」


 今日も冷たいですこと、と軽口を叩けば相手が本気になるのは分かっていたので、オレは大人しくそう言った。相手はガキじゃないと言い張るが、すぐにムキになったり売られた喧嘩を買ったり、苛立つと暴力に訴え出る辺りはとてもガキくさい。普段の大人びた刃物の如き振る舞いがそう思わせないだけだ。


「で、何の用だよ眼鏡」


『俺が仕事以外の理由で連絡するとでも?』


「……だよな。じゃあいつものとこで」


 それだけ言えば連絡は完了、ぶつりと通話を切った。どうやら今日は勉強の予定を深夜へずれ込ませる必要性がありそうだ、とため息をつく。もっと早く手がかりへ辿りつけていれば、受験生というこの時期に多忙を極める事もなかったというに。


 電話の向こうで鉄仮面のまま用事を告げたであろう少年、鳩木早鳥を少々恨めしく思った。

 





 いつもの場所、というのは街の一角にあるファミレスである。


 あの少年にもオレにもひどく不似合いなセレクトに思えるだろうが、これにはちゃんと確固とした理由がある。百茎から遠く離れた都市にある魔法同盟本部に住まう鳩木は、仕事の為にこちらに来る場合の時間帯はほとんどが夜である。十五歳という実年齢には見えないにせよ、大きく見積もって十七、八くらいになら間違えられそうなあいつがどうして何事もなく夜に出歩けるのか謎なのだけれど、まぁそれはともかく。


 で、大抵の場合夕食はこちらで摂る。以前仕事でここに来るときは外食で済ませるか、64号局への用事だった場合は夕飯をそこで食べたりもしたらしい。そのときの切迫感漂う空気を想像すると絶対に同席したくない現場であり、一度しか会っていない局長に合掌したい気分に駆られた……だがそれも今はどうでもいい。


 さしあたっての問題は、こいつの言う『外食』である。


「……毎回言っているが、貴様、この集合場所はどうにかならないのか」


 仏頂面で文句を言いながら、結露した冷水入りのコップ片手にこちらを睨み付けるそいつに、オレは呆れて答えた。


「あのなぁ、いいか? お前の言ってる『外食』は『外食』じゃない。家の外で食えば何でも外食だと思うなよ。育ち盛りがメシにおにぎり一つっておかしいからな? 絶対にエネルギー足りてねぇから! ファミレスでも入らねぇとお前まともに食わねぇだろ!!」


「……いや、活動には何の問題もないが」


「嘘つけ、顔白いぞ」


「生まれつきだ」


「目つきも悪いぜ」


「生まれつきだ」


「態度最悪」


「貴様調子に乗るなよ」


 と言いながらも、不承不承と言った様子で水を飲み干す眼鏡である。いつも泰然とした態度の際立つこの少年だが、どうもここは居心地が悪いのかそわそわして落ち着かない印象だ。最初に連れてきたときは意外過ぎる反応に目を丸くしたものである――こいつの普段の態度なら、我が物顔で席について周りの子どもを威圧し泣かせそうなイメージだったが、全然そんなことはない。むしろ、恐縮しているようにすら見えるから不思議だ。


 そう。オレはサトリから仕事の話を聞くとき、必ずファミレスへ行くようにしていた。


 というのも最初の会合の際、既に夕飯を終えていたオレが「お前メシは?」と聞くと、「これからだ」と答えたのでじゃあどっかの店にでもと腰を上げようとしたら、こいつは平然とした顔で手持ちの鞄からコンビニおにぎりをたった一つ取り出してちまちまと包装を引き剥がし、ちっとも味わう気のなさそうな態度で食い始めたのである。ぽかんとしたオレの前でおにぎりを食し終えた奴は(ちなみに具は梅)、これまたムカつくくらい平然と「では依頼だが」と話し始めたのだ。


 バカかこいつ。


 と思って反抗する奴を力づくで拉致し、このファミレスへ落ち着かせたのが事の始まりだった。つまり、こいつの異常な食生活を案じての結果だ。とやかく言われる筋合いはない。


 聞けばこいつ、朝も食べなければ昼は雀の涙レベルの物しか食わない超小食のようで、しかもどれもインスタントだのコンビニだのの著しく栄養素に欠けた物しか食っていない。十五歳の食生活にはあるまじき状態で、心配になったオレがリボンと眼帯の状態はどうかと聞けば、二人はちゃんと食べているらしい。じゃあなんでお前食ってねぇんだと問うても黙するばかりで答えは返ってこず、オレは呆れた溜息を零した。


 週に一度あるかないかの会合だが、このときくらいはちゃんとしたものを食わせてやりたい。ただでさえ年に似合わぬ心労を背負っているのだ、これくらいは許されよう。そう思った自分がやけに感傷的で、オレは苦い笑いを浮かべた。結局これも、魔法使いに情が移っている証拠なのだろう。ただの利用すべき存在だと理解はしていても、中々言うことを聞いてくれない思考回路である。


 それも、なのはが「恩人」と言ったこの少年だからこそ、なのかもしれないが。


「んだよ、年上の威厳として奢ってやってんだからいーだろうが。文句あんのかよ」


「別に頼んだ覚えはない」


「頼まれなくたってやるわ。つーかもっと食え! お前それでも男子か!」


「食生活について言及される理由はないし男だ。食物摂取量で貴様は人の性別を判定するのか? とんだ愚行だな。その固定観念をどうにかして川にでも飛び込んでこい」


「揚げ足とんなよこっのガキんちょ、んなことしてっと背ぇ伸びねぇぞ! 若干リボンに身長抜かれそうな癖に!」


「断じてそんなことはないが」


「嘘つけバカ野郎! いいから食え! 目の前で細々食われたらこっちの気が持たねぇわ!」


 むぅ。面倒臭いと顔にでかでか書きながら、渋々箸を口に運ぶ眼鏡。ちなみにこいつのセレクトはわかめうどんだった。いやなんでそんな腹に溜まらない物セレクトなんだよ。お前さっき今日も徹夜とか言ってなかったかオイ。言っても詮無い言葉が脳裏を渦巻いたが、それをかき消すようにオレはラーメンを啜った。麺類は割合好むタチである。ここのはファミレスの癖に存外美味い。

 

 夜七時、家族連れで賑わうファミレスに、男二人が麺をすする音が響く。ちょっと考えただけでかなり寂しい事態だった。さっきから通り過ぎる家族連れに奇妙な目を向けられているし、かと思えばあからさまに女子高生に笑われた。うるせぇ黙れ、こちとら仕事の話をしに来てるんだという叫びは決して喉から放たれることはない。気を逸らすように麺をかっ喰らうだけである。


 ちら、と眼鏡を伺えば、そいつは相も変わらず無表情。美味そうにも不味そうにも見えない態度でただ麺をすするそいつはかなり異質に見えたが、箸の進みが早まっているのを発見して心の中でほくそ笑んだ。ほら、やっぱり足りてねぇじゃねぇか。訳わかんねぇ意地張りやがって。なぜかもっと世話を焼いてやりたくなって、オレはにやにやと企むような笑顔のままそいつに問う。


「他にも食いたいのあったら頼んでいいぞ? 財布が寂しくならない程度なら」


「要らん」


「えー、食えって。そんな不健康体じゃ早死にするぜ?」


「余計な世話だ」


「じゃあせめて朝飯と昼飯ちゃんと食え。オレの母さん栄養士なんだけどいつも言ってるぜ、『三食きっちり食べなきゃ駄目』ってよ」


「…………、」


 眼鏡の手が止まったのは一瞬だった。ぐっと手に力が籠ったかと思えばすぐに脱力し、また何事もなかったかのように箸を進める。あれ。思わぬ反応に惚けたオレは瞬きした。もしかして今こいつ、嫌、がったか? こんなにも露骨に? 


 と、そこで以前に眼帯から聞いた話を思い出す。魔法は精神的ショックにより成り立つ物。そいつにとってのトラウマが魔法を形作る。……コイツの魔法が何なのかは知らないが、あの言葉の中に禁句があった、そういうことなのだろうか。


 ……だとすると。オレの頭は簡単に予想を弾き出した。『母さん』……、これだろうか。


 思えば十五歳のこいつの親はどうしているのだろう。いやこいつに限った話ではなく、あのシェアハウスにいる連中やリボン、眼帯もだが、どいつもこいつも保護者の影が見えない。……まさか皆が皆、……いないのだろうか? あの後輩の、ように。――そうだとしたら、確かに親の話は禁句かもしれない。


 オレはわざとらしいのを自覚しながら話題を変えた。


「で? 仕事って何だよ。まだ何の話も聞いてないぜ」


「……ああ」


 そういえばそうだったか。ぽそりと零して顔を上げたそいつの目に、さっき一瞬だけ垣間見えた気弱さはどこにも伺えなかった。いつも通りの、怜悧で鋭い年齢不相応な瞳。数ヶ月前の記憶と、ダブる。


 今から思い出せば不思議だけれど、オレはこいつとの初対面の時奇妙な感想を抱いた記憶がある。こちらを見る威圧的なその目から、なぜだか不自然さを感じたのだ。命の危機と言っていい状況にも関わらずそんな呑気な感想を抱いた自分を叱咤した後は、件のなのはの幻のせいでそれどころではなかったのだが――そのあと数カ月にわたって、度々会合を繰り返してきたオレたちだが、今日この日までに違和感を感じたのはたった一度だけだった。東興星観タワーでのクーデター事件に出動するよう要請した、あの日以来だ。


 あのときはリボンも眼帯もなぜかボロボロで疲れ果てた模様だったし、呼び出された部屋はまるで強盗に荒らされた……いや竜巻でも逆巻いたかのようにずったずた、あちこちに赤黒い染みが飛散した凄惨極まる状況であり、何があったか聞いても答えやしなかったから諦めたのだ。怪我の治療もしようとしたが、一拍遅れて飛び込んできたある人物がその道のプロであったし、そいつは驚いたことに知った顔でもあったのでタワーへ向かったのだけれど……。


 十五歳。その実年齢と違和感、普段のこいつの振る舞いを考えれば、やっぱり……無理を、しているのだろうか。柄にもなくそんなことを思ってオレは心の中で苦笑する。だから、こいつはただの利用相手だ。何を考えてんだオレ。おせっかいにも程がある。


 だがその自嘲を知る由もない奴は、くいと眼鏡のフレームを押し上げた。


「今回の仕事は簡単だ。いくら貴様が無能だったとしても、人捜しくらいはできよう」


 相変わらずかなりムカつく上から目線な物言いだった。こいつどこに礼儀とか敬語とか忘れてきたんだとはらわたの煮えくりかえる様な怒りを感じたが、それを言ったところで大した意味もないのは一目瞭然。オレは何も言わず、代わりに全ての不満を込めて目を眇めた。あまり効果は無いだろうけれども、文句を言わないだけマシだと思っていただきたい。


 奴はオレの視線にばっちり気がついたようだが案の定意に介さず、


「四年前から行方を眩ませていた所属者の目撃情報が、つい一昨日この地域で上がった。目撃件数は三件だ。これまでの四年間一切何の尻尾も掴めなかったことを考えれば、それなりの信憑性はある」


「なんだそりゃ。所属者って……味方じゃないのか? 罠って可能性は?」


「味方にしておければ十全だが、そうではない可能性もある。なにせあいつはシュンと〈同じ〉だからな……罠の可能性については当然検討した。だから貴様に依頼しているんだ、それくらいは理解しろ」


「……人のこと平然と捨て駒扱いすんなよ」


「最初に宣言しただろう? 貴様は今俺達の駒だ。貴様の事情も命も知ったことではない。こちらは三千人の生命が懸かっている」


 あっさりと淡泊にそう告げて、そいつは一切の衒いなくこちらを睨む。


 その目には冗談の色も後ろめたさの色も何もなく、ただただオレの意思を問うように澄んでいた。無理をしている、とは思ったがこういうところは気味が悪いとも言える――オレも彼女の為に誰を犠牲にすることも厭わないと誓っている以上同族嫌悪なのだろうが、それでも多少は見知った仲の人間を捨て駒とすることに何も感じないのだろうか。それとも、感じているが隠しているのだろうか。……よく、わからない。


 オレはひとつだけ深いため息をついて、「それで、どんな奴だ」と話の続きを促した。オレが何かを言うのは恐らく筋違いってものだろうと思ったからだ。同族である以上、何を言ったって意味など為すまいとも思ったし、それにその話は軽々しく振って良い話題ではないとも思った。


 眼鏡はオレの言葉を受けて口を開きかけたが、ふと思い立ったように懐に手を伸ばした。おもむろにそこから取り出したのは一枚の写真。どうやら探し人の写真はあるらしい。目撃情報が上がっているにせよ、広いこの街で人ひとりを捜すと言うのは中々難しい話だから、外見が分かるのであればそれに越したことは無い。まぁ、とは言っても分かりやすく目立つ姿をしてくれているのなら、の話だが。


 眼鏡がすっとそれをテーブルに滑らせる。だが場所が悪く良く見えない。こいつその辺の気遣いが足りねぇよな、いやこいつが気遣いなんてするはずねぇけど、と心の中で毒づきながら身を乗り出したそのとき、オレはぴしりと全身を竦ませた。


「――はぁ!? おれが奢り!? 無理無理無理無理、何人いると思ってんのお前!」


 そんな声が、聞こえたから。


 男にしては少し高いトーンで、困惑を含みながらも楽しそうなその声に、オレのあらゆる機能が停止する。心臓でさえも一瞬脈動を止め、呼吸がぐっと詰まった。息苦しさに肺が悲鳴を上げて、胸に雷撃を喰らったような衝撃が迸る。


「……っ!」


 すとん、と気がつけば腰を下ろしていた。なんだ、さっきの、声は。いやまさか、こんなところで偶然に? 三年間一度も会わなかったのに、どうして、なぜ、よりによって、朝から無駄なことばかり考えてしまう今日という日に、なんで。


 かは、と息を吐く。眼鏡がどんな顔をしているかなんて考える猶予は無かった。早鐘のように鳴り続ける心臓を黙らせる方法も思い付かず、額にじんわり冷たい汗がにじむのを実感した。こんなことでここまで取り乱す自分が信じられない――オレはそんなに脆弱な精神の持ち主じゃ、なかったはずなのに。


「二十五人分全員奢れとかマジ鬼畜だろ……そんな額持ってきてねぇ! ていうかオイコラ、引退記念の打ち上げだからおれたち三年生組で奢るって話はどこに行ったんだよ!」


 ああ、そうだよな、そう、なんだよな。

 お前と会わなくなってから、もう三年も経つんだ。


 オレがバスケを辞めて、人間関係に冷めて、オレを一番に案じてくれたお前とバカみたいな喧嘩をして二度と口を利かないなんて、そう言った時期から――もうそろそろ、三年が、経つ。


「いいじゃん航(こう)、今日くらい奢れって! お前いつもいっつも割り勘割り勘って、セコイ男はモテねーぞ! そこは太っ腹になれよ、バスケ部主将っ」


「うっせ、黙っとけっての! 現実的に無理だってば!」


 へぇ、お前、キャプテンになれたのか。


 あの体育系学校の男子バスケ部でキャプテンなんて、すげぇじゃねぇか。前はオレより下手くそだった癖に。上達しやがって、ああ、楽しそうだな、良かったよ――


 オレもできれば、そんな普通の生活をしてみたかった。


「……なんて、なぁ。航」


 ぼそりと呟くや否や、オレはまるで何かに急かされるように行動を開始した。学生鞄から財布を引っ張り出して会計代の札を引き抜きテーブルに叩き付ける。眼鏡の様子を見ることもせず、オレは早口に言い切った。


「悪い眼鏡、帰る。話はまた今度」


 返事を待たず席を立ち、オレは焦燥感に焼かれるような気分で無心に足を動かした。考えるな、考えるな、考えちゃダメだ。考えたらオレはきっとあいつに話しかける。なにかを言わずにはいられなくなる。だけどそれは、ダメだ。


 ファミレスの自動ドア付近のレジカウンターの前には、さっきの言葉通り二十五人の高校生男子生徒が群れを為していた。お揃いの黒いウインドブレーカーを着て、同じデザインのスポーツバッグを提げて、楽しそうに笑う彼ら。駄目だ、考えるな、羨ましいなんて考えるな、オレは今を自分で選んだんだから、文句なんか言うな――恨み言も泣き言も言うんじゃねぇ。


 そんな甘ったれた根性、オレには必要ない。


 集団の横を通り過ぎる。財布の中身を覗き込んでため息をつくあいつ。三年ぶりに見たその姿はあまり記憶と変わっていないように見えて、大きく変化を遂げているようにも見える。ああ、あいつはちゃんとしてんだなと、そう今更ながらに思った。


 不意に奴が顔を上げる。目が合ったような気がした。少しだけ見開かれたあいつの目に映る感情と情けないオレを見るのはどうにも恐ろしくて、オレは一秒とせず視線を外し自動ドアに向けて飛び込んだ。


 開いたドアの向こうから吹き付けた寒風が顔を突き刺して駆け抜ける。その冷ややかさを普段のオレは嫌うところだったが、今ばかりはありがたく思った。












 勅使河原(てしがわら)航。

 十八歳。男。私立蕗山(ふきやま)学院三年生。

 恐らくは男子バスケ部所属、主将を務める。

 中学時代の成績はいたって平凡だったが運動は得意。部活動においては常にチームの〈セカンドエース〉として動き、その思慮深さと人の良い性格から人望も厚かった。多少世話焼きな面があり、また誰にでも隔てなく話しかけられる、そんな男は――――信じられないだろうが、絶対に信じてもらえないだろうが。


 かつてオレにひとりだけ居た親友であり、そして二人目の理解者だった。


 

 

 

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