7 そんな将来の夢なの!
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今回で支部局長パートは完結です。さて次は誰のお話でしょう? 楽しみにしてみてください。それから創作用アカウントをTwitterで作りました。もしよければ@yatasugi064でご検索ください!
「……馬鹿なの」
本日二度目の台詞を一切感情の読めない声で叩きつけた少女、ササは、目の前で未だ呆けたようにこちらを見つめるばかりの男、ユウキに冷ややかな視線を投げた。
「行動、早すぎ。合流待てないとか子どもなの。馬鹿なの。死ぬの」
「い、いや、死にゃァしねェけど、」
「でもさっき死にかけた。だから馬鹿」
こう言われてしまってはユウキは何も言葉を返すことなどできなかった。自分が何をしたかは理解しているつもりだ。潔いつもりなんてないが、言い訳をするという考えがまずもって頭に浮かばない。ただ淡々と彼女の並べる言葉に耳を傾けることしかできなかった。
「……この騒ぎのせいで、27に借りを作った。報酬も出さなきゃなんない。〈転移〉、オーバーワークだって呆れてたし。それに〈増強(アディット)〉だって」
「……あん? 〈増強〉?」
「そう。リンカが電話かけた」
一、二年前に任務で同行したことがあった名前に片眉を上げる。〈転移〉はその名の通りの魔法の持ち主であり、〈増強〉は自分以外の人間を対象に身体能力を大幅に引き上げる魔法である。ああ、と得心いった。いくら相性がいい魔法だったとはいえ、中学二年生の少女に過ぎないササが大の男である氷の魔法使いを打倒できたのは、〈増強〉のおかげだったのだ。でなければビルから飛び降りるなんて出来るわけがない。
……しかし、〈転移〉に〈増強〉。まるでこの状況を読んでいたかのように揃った人材に内心驚いた。まるでご都合主義、まるで物語めいた面子である。〈増強〉は確か自分とは正反対の好青年だったが、かつて感電しかけたことがあるとかで電子機器をひどく嫌う。ゆえに彼に協力を仰ごうとすれば、彼が運よく27号局にいることを願うほかないのだ。よくいたものだ、と思った。彼も自分と同じアルバイターだったはずだが。
そういえばこういう類の幸運に恵まれた時期があったなと不意に思い出した。妹を探す二年の旅路、その開始から半年が経った頃に、半ば強引に旅に同行してきたあの男のいた時期である。見知らぬ街の不良に囲まれて、その頃は暴力をむやみに振るうことを忌避していたのでどうしたものかと困っていたら、たまたまそこで警察が通りかかったり(ただし彼の身なりが身なりである、一味と間違えられて職質された。それを知った時のあの男は「大変だったねー」なんてカケラもそう思っていない言葉を投げてからからと笑った)、財布を落として探し回っていたらたまたま財布を拾ったという人間と出くわしたりした。奇妙なことに財布を落とした場所から数駅を乗り継いだ場所で落としたことに気づいたというのに、その拾い主も同じルートを辿っていたというから驚いた。
あの男といるときは都合の良い偶然にしょっちゅう恵まれたのだった。多分あいつは幸運……いや、多分悪運に恵まれていたのだ。最後にその悪運がユウキに対して行使されたのは、言うまでもなく妹との再会のきっかけとなった「そっちへ行きなよ」という判断だ。
なんだか懐かしい気持ちになった。
そんなユウキの心境を知ったかのように、ササは言葉を続けた。
「気味悪いくらいに出来た偶然。でもそのおかげで、あんたは死なずに済んだ。……馬鹿なんだから馬鹿なことしなきゃいいのに。リンカに余計な心配かけて」
「……悪ィ」
「謝ってほしいんじゃない。反省しろって言ってる」
やけに口数が多かった。表情はいつもの無表情とほとんど変わっていないように思えるが、放たれた言葉の節々からは緊張から解放されたことによる緩さとかすかな怒りと、そして悲しみが同居しているように聞こえてユウキは更に黙り込む。普段から案外に楽天主義な彼女にここまで心配されていたのだ。心配性で世話焼きな彼の妹は、どうしているんだろう。
呆れたかもしれないな。ユウキは自嘲した。もう多分こんな風に突っ走りはしないだろうと思う。その場の焦りや妙な責任感のせいで死んでは元も子もないのに。反省、という言葉はもうあの妹との別離以降ごめんだと思っていたのに、彼は今猛省と言っていい勢いで自身の行いの間違いを認め始めていた。
沈黙したユウキをちらと一瞥した後、ササは地面に倒れ伏した氷の魔法使いと、その横で伸びた郡司を見やった。
「……知り合い?」
「……おう」
「仲、良かったの」
「それはねェ。……でも」
似ていたところはあった、などという言葉を口にするのは、郡司への侮蔑行為に当たる気がしてユウキは言葉を切った。代わりに、間を開けて「もうしねェ」と呟く。小さく消え入りそうな声だったが、ササの耳にはしっかりと届いていた。
そう。彼女は短く返した。そこで遠方から火花の爆ぜるような音が微かに聞こえてきて、そちらに視線を向ける。幾多の悲鳴も微かに折り重なっていて、思わず顔をしかめた。ササはちょっと愉快そうに口元を歪める。
「……派手にやってる」
「この音っつーとォ……シュンか」
「うん。シュンと、トキヒロと、キサが残りを潰しに行った。十分で片付けないとシュンと三週間口を利かないって言ってある。今、八分」
「……オイオイ」
そんな風に上手くシュンの手綱を握っておきながら、こいつは奴の向ける好意に欠片でさえも気が付いていないっていうからお笑い草だ。わざと気付かないフリをしてるのではないかと疑った時期もあったが、彼女はそんなことが出来るほど器用な性格ではないと最近になって分かってきた。つまり彼女にとって、シュンはまだ、仲間もしくは友人レベルの知り合いなのだ。シュンは随分面倒な相手を好いてしまったもんだな、と同情のため息。多分、ササはかなりの難攻不落である。
隠しボスクラスの手強さのササはしかし、ユウキの心中を今度は察しなかった。ただ黙って音の発生源を見つめるのみである。不意に、シュンに同行したというトキヒロとキサのことが気にかかったが、……あの二人は何の問題もなさそうだとすぐ思考回路を打ち切った。トキヒロは集団相手には非常に向いている魔法だし実力も申し分なく、キサもあの幻の魔法があるしなにより図太い。怪我はしてこないだろう。
そして予想通り一分も経たない内に火花の音は鳴り止み、直後ササのポケットから軽快なサウンドが流れた。
「……もしもし、ササだけ、」
『あっササ!? ボクだよボク! ねぇちゃんと十分以内で片付けたよ! 口利いてくれるよね!?』
怒涛の勢いで元気な声が飛び込んできた。耳に痛いほどのそれはシュンの癖で、あいつはテンションが上がるとかなりやかましくなるのだ。
「……うるさい」
『ごめんごめん、ついテンションあがっちゃって! そっちはもう終わったんでしょ? ユウキは?』
「無事。馬鹿面してる」
『ふっははは、りょーかい、これからトキヒロとキサちゃんと向かうよ! あ、そうだユウキ、どうせ聞こえてるんだろうから言っとくけどさ!』
明るく華やかな調子だった言葉を区切ったかと思えば、シュンは一変して底冷えするほど低く恐ろしい声で告げた。
『……覚悟しといてよ? 全員、超怒ってるから』
きっとあいつはイイ笑顔だったろう。
――――ユウキ、無事。襲撃者撃退・捕縛、ついで依頼達成。
ササちゃんから送られてきたごく簡潔なメールを目にして、私は非常に分かりやすく安堵の息をついた。それに気がついた諸星くんがふっと表情を和らげる。
「どうだって?」
「お兄ちゃん、無事だって。相手も捕まえられたし、ついでに依頼もやってきちゃったみたい」
「はっ、よくやるなぁあいつら……つかアレじゃねぇの、勢い任せでそのままってのじゃね」
「かも、しれないねぇ」
私たちのやり取りに、正面のソファでぼけっとした表情のまま呆けていた美依ちゃんが一瞬で元気を取り戻した。瞳に爛々とした光を宿し、身を乗り出す。
「えっ、マイエンジェルの兄上、ご無事だったのですか!? それは良かったぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 僕、大したお役に立てませんでしたけれど!!」
「あら、そんなことないよ美依ちゃん! 美依ちゃんが〈氷柱〉の魔法使いを見つけてくれなかったら、間に合わなかったかもしれないもの。ありがとう、美依ちゃん」
「……えへへ、そうですかね」
照れくさそうに頬を掻いた美依ちゃんは、どこか誇らしげに見えた。
続いて、私は隣でソファの背もたれに寄りかかって眠るイオリくんを見た。魔法の連続行使によって疲れ切ったイオリくんはあの後すぐに眠り込んでしまったのである。兄にもしものことが起こる可能性なんて考えてすらいない、信頼感に満ちた健やかな寝顔に、思わず笑みがこぼれる。
そっと頭を撫でると、黒い髪がさらりと流れた。
「イオリくん。ありがとう。お兄ちゃんは、やっぱり強かったよ」
囁いたところで聞こえていないはずなのに、イオリくんはむにゃ、と声にならない寝言を漏らして楽しそうに笑った。きっといい夢を見ている。シアワセの溢れる夢を。
「……なんかお前、母親みてぇだぞ」
諸星くんの呆れた声にくすりと笑う。
「うん。私、気分は皆のお母さんだから」
「俺お前と同じ十八だけど」
「関係ないよ。年齢なんて関係ない」
そうかよ、とぶっきらぼうに言って諸星くんは立ち上がったかと思うと、おもむろに身支度を始めた。どうやら帰るつもりらしいと察して、思わず声を上げる。
「夕飯食べていかない? 諸星くんにはたくさんお世話になっちゃったから、お礼、したいんだ」
「……、」
何か言いたげな視線をぼんやりと彷徨わせたあと、諸星くんはふるふると首を横に振った。何か迷いを振り切るような、少し歯切れの悪い拒否の言葉。
「いい。俺はお前らの為に、そいつを助けたわけじゃないから」
「でもお兄ちゃんを助ける力になってくれたでしょ?」
「違う。俺は、そいつが生きていた方が都合がいいから助けただけだ。もしそいつが俺にとって必要な人材じゃなかったら、――――俺は助けなかったから」
「諸星く、」
私が名前を呼ぶより早く、彼はくるっと踵を返して、止める間もなくばたんっと玄関扉を開けて出て行ってしまった。素っ気なくて味気ない帰り方。だけれどそこにあの子らしさみたいなものを感じてしまった気がして、私は苦い気分になる。そして同時に確信した。
やっぱり、諸星くんはただの協力者ではない。
明確な目的があって、私たち魔法同盟に協力している。けれどそれは目的のためには何かが犠牲となることを厭わない、ということだ。それを実際に犠牲にするか、それとも犠牲にしないで違う道を模索するかは人によって分かれると思うけれど、少なくとも当初の彼の心づもりでは目的に必要ではない人間を助ける気はないらしい。……でも実際は。
――――助けなかったはずだ、と言ったときに、彼は自分がひどく苦しそうな顔をしたことに気付いているんだろうか。良くも悪くも嘘がつけない、キサちゃんの言葉が脳裏に蘇る。本当にそうみたいだ。
きっと彼は何かを迷っているんだろう。自分の中の気持ちのせめぎ合いに呑まれてしまいそうで、どうすればいいのか分かってないんだろう。でも、それを乗り越えられるのは彼一人しかいない。私は何にも、することができない。なにせ会って一日目、何が出来るわけもないのだ。少なくとも私には。
……今回の件でも分かったけれど、やっぱり人にはそれぞれ役割というものがある、らしい。
諸星くんの迷いを超えるためには、諸星くん本人と、そして誰かの後押しが必要なはずだ。でもその後押しをするのは私ではない。それはきっと、キサちゃんであったり、彼の家族であったりするはずだ。
誰しもその人にしか出来ないことがある。
支部局長であり、お兄ちゃんの妹である私にしか出来ないことがあったように。
「マイエンジェル、僕はまだマイエンジェルの兄上と、シュンさん……にアキさん、でしたっけ? には会っていないのですけれど!! もしよければご紹介いただけませんか!? ざっぱーーーーーーん! とインパクトに溢れた自己紹介の言葉を考えますので!!」
「うーん、そうだね、美依ちゃんはそのままでも十分にインパクトがあるかもしれないなぁ……普通に喋るだけでも疲れちゃうし」
「あれなんか今すっごい酷いこと言われたような気がするですけど気のせいですか!? マイエンジェルがそのようなことを言うはずありませんよね!? いや女神的美しさを誇るマイエンジェルですけれどそこで仏のように微笑まれても! 僕普通ですよね!? 元ヒキコモリスーパーキューティガールですよね!?」
「美依ちゃん、そのテンションでお兄ちゃんに絡まないほうがいいよ? 危ないかもしれない」
「真剣にアドバイスされてしまいましたです!?」
――――出来る限りの手を打って兄の無事を祈る間、私は考えていた。
兄がかつて、両親にも私にも何も言わずに、荒事の世界に身を投じた理由。それはきっと家族のためだったんじゃないか、と。
両親のやっていることを知った兄は、そのまま黙って無かったことにできる人間ではなかった。昔から変なところで正義感の強い兄である、きっと許せないと思っただろう。ふざけるなと思ったはずだ。罵倒の言葉が心の中でうず高く積み上がったはず。それなのに、兄は一切口に出さなかった。口に出さずに喧嘩の世界に片足を突っ込んで、いつも一方的に怒鳴られ、叱られ、言い返したかったはずなのにそうしないで罵詈雑言を一身に受け続けた。
それは兄に言い出す勇気がなかったから、じゃなくて。
むしろ兄に言わない勇気があったからじゃないか、なんて思った。
言ったほうが楽だったに決まっている。「父さんや母さんこそ、刑事の癖になにしてるんだよ」、そう言えてしまえば兄はどんなに楽だったことだろう。少なくとも両親に路傍の石を見るような目で見られることはなかったはずだ。喧嘩の世界にどっぷり浸かることもなかったかもしれないし、何よりそのことで理不尽なことを言われて我慢することもなかったはずで。
兄が言わなかったのは、もしかしたら家の為だったのかもしれないと、そう思った。
もし当時の私が両親の悪事を知れば、まず間違いなく兄のような選択はできなかった。馬鹿みたく怒って泣いて失望することしかできなかっただろうと思う。そしてそうなれば、それまでの幸せな家庭がどこかで壊れてしまうことに気付いたから、兄は言わずにいた。
ひとり理不尽に耐えて。
ひとり孤独に身をやつし。
ひとり罪悪感に浸って。
自分を悪役に仕立て上げることで、家族の幸せを守ろうとした。当時の兄なりの最善策だった。結果それは成功とは言い難い形になってしまったけど、でもあの頃の兄は家族の為に戦っていたんじゃないかって、そんな希望的観測を、ずっと考えていた。
そう、あくまで想像。もっと言えば妄想。
兄が本当は何を考えていたかなんて分からないし、聞いたって教えてくれないだろう。検討をつけたところで確かめる術はない。でもどうせ分からないなら思いこんでおけばいいと思った。それが正解か分からないなら、それを正解だと思って進めばきっといいことがあると思うことにしたのだ。
思い込みの強さは母譲り。一度そう考えてしまえば、私はきっとそう変わらない。
そしてもし私の出した答えが正解でなかったとしても、私はそんな人になりたいと思った。
ドアノブの回る音がした。がやがやと、キサちゃんやシュンくんの笑い声に、ササちゃんのため息が混じる。私は玄関まで小走りに駆けた。一際背の高い兄と目が合う。兄は少し気まずそうに、だけれど優しく言った。
「……ただ、いま」
かつてはあまり聞けなかったその言葉に、私ははにかむ。
「お帰り、お兄ちゃん!」
新しい家族である、この場所の仲間たちを守るために戦場に立てる、そんな人になりたいと思った。ささやかな、誰にも言わない私だけの夢だ。
「……やれやれ、まったく手のかかる子だよ」
と、男は芝居がかった動作で肩をすくめた。
シェアハウスを囲むように植わる森林のうちの一つの樹。その天辺近くで枝葉の間に身を潜めているにも関わらず、彼はさして窮屈そうな様子もなく独り言をこぼす。
「相変わらず突っ走ってるんじゃあ、昔とそう変わらないじゃないか。いや、でも今は妹さんたちのおかげで落ち着いてはいるのかな。あはは、元気そうで何より。この前はうっかり別れを告げ損ねていたからね、今度会うときはちゃんと再会の挨拶をしなくてはならないかな。いや、しなくてもいいか」
肯定したり、否定したり。脈絡のない話し方をするその男は、すぅと愛嬌のある黒眼を細めた。二十歳過ぎの若い男だが、女性ではないかと見紛うほどに華奢で細い体つきだ。黒に近い深緑のロングコートを前面を開けて着こなした男は、少し癖のある黒髪を撫でつけながら、シェアハウスの玄関口で大勢に囲まれた一人の青年をじっと見つめた。
青年は男の記憶の中の三年前の姿より背が伸びて、体躯もたくましくなったようである。何より、男がほぼ見たことのなかった、ささやかでも幸せそうな表情が印象的だった。三年分の成長は、青年を良い方向に導けたのだろう。ちょっとばかり安心した。
まぁ気になって見に来てみたけれど大丈夫だろうな、と判断して、男は身軽な動作で樹を降りた。長いコートの裾をどこに引っかけることもなく地面に着地し、それから近くに止めてあったバイクに歩み寄る。キーを回して静かにエンジンをかけ、ヘルメットを被ったところで、男はもう一度シェアハウスを振り返った。
今度会うとき自分がどうなっているか分からない、ということを思い出したが故の、宛て先に届くはずもない独白だった。
「じゃあね、悠樹。君に神の祝福があらんことを」
その言葉と男は心なしかいつもより明るさを増した濃紺の夜に溶かされて、霧のように消えた。




