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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
戦場フォーホーム
21/41

6 多すぎる隠し事

 まずは謝罪です。二週間もの間投稿できずに申し訳ありません!!

 

 俗に言うスランプって奴なんでしょうか、全然書けなかったんです。でももう多分大丈夫なので取り戻す勢いでガンガン書きます。更新できていない間も見てくれていた皆さん、本当にありがとうございます!! もっと頑張っていきますので今後もよろしくお願いします!


 アクセス3700突破、ユニーク1100突破です! みなさんありがとうございます! また、《漣の空》様、ご感想ありがとうございました!


 




「なんでそんなことしたんだよ。オレァ頼んでねェぞ、ンなこと!」


 兄の怒声で目が覚めた。ぴょんっと小動物さながらの勢いで飛び起き、きょろきょろ周囲を見渡す。書類山積みの机、転がった筆記用具と閉められたノートパソコン、書棚。いつもの私の部屋だ。リビングに隣接するここに、ああもはっきりと怒鳴り声が聞こえるということはどうも兄はリビングにいるらしい。眠気はすっかり吹き飛んで、私は何事かとベッドを出た。


 ばたばたと私服に着替えて自室のドアを開け、リビングを見てみると、そこでは久方ぶりに見る表情の人物が立っていて、もうひとりの彼女に今にも掴みかかろうとしていた。


「誰が頼んだそんなこと! 言うなって言ってあったよなァ!? ふざけんな、それじゃ手前がッ」


「だから、わたくしの独断ですと何度言えばわかりますの? 勝手にやったことですわ。ユウキにとやかく言われる筋合いはありません」


「筋はあるだろう、手前はオレの問題に首突っ込んだンだ! なんでそんなことをした、理由を言えっつってんだよッ!!」


「ちょっ、お兄ちゃん!? アキちゃん!? な、なにしてるの落ち着いてよ!」


 ダンっと兄がテーブルを握り拳で叩く高めの音に我に帰って、私は慌てて二人の間に割り入った。激怒のままに険しい表情でアキちゃんを睨み据える兄に内心怯えながらも、私はぱたぱたと手足を振って制止を試みる。


「何があったのよ、こんな朝っぱらから! お兄ちゃんとアキちゃんは徹夜多いからいいかもしれないけど、他のみんなはまだ寝てるんだよ? それわかってる?」


「もちろん承知の上ですわ。ですけれどユウキが怒鳴るんですもの」


「これ聞いて怒鳴らずにいられるかッ!」


 兄の反駁に肩をすくめたアキちゃん。その表情は呆れたような、一切悪びれたところのないものである。それが余計に兄の怒りを買っていることを彼女は分かっているはずだから、この態度はわざとなんだろう。兄は頭に血が上ってしまって全然思い至っていないようだけど。


 とにかく落ち着いてと繰り返して、二人をソファに座らせた。不機嫌極まりないという顔の兄は、ここ「魔法同盟」に来てからはあまり見た覚えのないかなり険しいものである。なんだかんだここに来てから丸くなった兄の、不良時代の名残のようなものに見えた。


「……で? どうしたの、こんな朝から。話してみてよ」


「リンカには関係ない。これはオレとアキの問題だ」


「そのお互いじゃ収拾がつかなさそうだから言ってるんでしょ? それに関係ないとか言わせないから。家族でしょ」


 黙り込む兄。家族という言葉に私達兄妹は揃って弱いのである。この場合は兄を黙らせるために申し訳ないけど使わせていただこう。


 数分の沈黙の後、兄はぽそりと呟いた。


「……東興星観タワー」


「タワー? ……って、つい一昨日のこと?」


 兄は頷いた。


 東興星観タワー。それは普段ならこの国の首都にそびえる観光地を指すものの、今私たちの中では様々な謎を残しまくりで有耶無耶に終わってしまったクーデター事件の起きた現場のことだ。


 異例の新人・キサちゃんの魔法……が恐らく使われての事態解決であり、最中学ラン姿の少年の乱入や〈突風〉に起きた異変など、事件から一日経った今でも何もわかっていない。


 あの後、私たちは急遽事後処理に終われてキサちゃんたちを追いかける事ができなかった。唯一の連絡手段であるメールや電話には一切応答がなく、〈突風〉は原因は分からないが未だに意識を取り戻していない。〈人形〉はなにかを諦めたような表情で一切の抵抗なく本部へと連行されており、学ラン少年について何かを調べるような余裕も無かった。


 つまるところ、まだ分からない点が多すぎるのだ。


 調べようと思えば調べられたのかもしれないが、とりあえず事件の隠蔽と怪我人の搬送や扱いについての業務が、局長不在により使い物にならなくなった19号局の分まで我らが64号局まで回ってきていたから、情報収集面において何よりの信頼が置けるシュンくんでも仕事の合間を縫って調べるのは不可能だと言う判断で調べないままに終わっていた。


「で? そのタワーがどうかしたの?」


「ええ、ユウキはあの事件のこと、夢に観ていたのですわ。それでわたくしがそのことを聞き出したんですの」


「へぇ、お兄ちゃん観てたんだ……ってええええええ!? 観てたのッ!?」


 朝だから大声を出すなと言った私だけれど、これは仕方がないと思う。思いっきり大げさなリアクションと共に喉から飛び出した吃驚の叫びに、兄があからさまに顔をしかめた。


 いやでもすごいとんでもないことをさらりと告白されたけど。観てたって、え、それじゃあ、


「お兄ちゃん、キサちゃんのあれ、分かってたの……?」


「違う。あいつが撃たれるところまでは観た。けど無事だってとこは観てねェ」


 兄の魔法、〈夢測(フォーサイト)〉は簡単に言えば未来予知の魔法だ。


 ただしその未来とは全て、「誰かの死」「誰かの負傷」などマイナスイメージを伴う確定した未来のことである。つまり兄が夢で見たことは全てが実現する。いくら結末を知っていたから努力をしてもどこかで方向が狂ったように、必ず夢通りのことが起きてしまうというわけだ。眠っている間に一定の確率で起こるコントロール不能の魔法であるため、兄はこの魔法による悪夢を嫌って睡眠をとりたがらない。


 ここに来た当初にそれを知った私は、どうにか少しでも眠ってもらえないかと説得しようとしたけれど、兄の気持ちが分からないわけではない。頑固に睡眠を拒む兄をそれ以上どうすることもできず、結局連徹続きだ。目の下の濃い隈はその確たる証拠でもあった。


 ……その兄が、キサちゃんが撃たれる夢を視ていたとは。……いや、違うか。


 本人に尋ねる事が出来ていないので正確なことは分からないけれど、あれはキサちゃんの『幻』の魔法によるいわばトリックだったんだろう。事実彼女はどこを怪我した様子もなさそうに、ふらりと私たちの前に姿を現してトキヒロくんに〈遮断〉の行使を促している。


 あの魔法は当初の想定より色んな事に使えそうだよねぇ、などと考えていれば。


「で、リンカ。ユウキは、彼女が撃たれるところまでしか視ていませんのよ。つまり、ユウキはその夢が『本当にキサの撃たれる夢』だと思い込んだんですの。そしてわたくしも」


「……あ、そっか」


 撃たれるところまでで夢が途切れたというのなら、確かに兄はキサちゃんが撃たれる未来が「確定」したと思い込んでもおかしくない。キサちゃんの魔法は知っていたけど、兄も私も彼女がどこまで「騙せる」のか、幻を見せられるのか知らなかった。会ってすらいなかったアキちゃんもまた当然である。まさか表面上の自分を完璧に別人にして潜伏した上、撃たれるという「幻」までもを見せて、あの場にいたあらゆる人間を見事に騙しおおせてみせられるなんて、良くも悪くも予想外だった。


 と、なると。ふむ、話の筋が見えてきたぞ。


「じゃあ、この流れからして……アキちゃんが、お兄ちゃんに代わってキサちゃんに夢の忠告の連絡を入れたんだね? だからキサちゃんは事件の起きる場所を知ってた。私は教えてないからね、なんで現場に来られたのか不思議に思ってたんだよ」


「さすがですわリンカ。ええ、わたくしがお電話いたしました。まぁどちらかと言えば、忠告というよりは死刑宣告ですわね。『あなたは今度東興星観タワーで撃たれて死にますので来ないでくださいます?』とお伝えしましたわ」


「……それは、何て言うか」


 予想以上にドストレートな台詞だった。


 あれ、アキちゃんってこんなに攻撃的な子だったかしら。と思いかけて、ああそういえば初対面はひどかったんだと思い出す。もう彼女が来たのは一年前の十月のことだけれども、あのときのことはくっきりと覚えていた。


 秋羽根葉月ちゃん。通称アキちゃん、魔法名〈色分(カラー)〉。


 今年九月に十七歳になったばかりでありながら、イラストレーター(本人は『絵師』って言っていたけれど違いが良く分からない)の職に就く普段着が和服の彼女は、とある名門一族の生まれだそうだ。それこそ彼女の持つしとやかで品のある雰囲気にぴったりの、武家屋敷のような一門だ。けれどアキちゃんは魔法を得る数ヶ月前に両親と色々あって絶縁し、こちらに上京してきた、ということらしい。


 そのアキちゃんが魔法使いである、ということを見抜いたのが、今まさに不機嫌オーラ全開で貧乏ゆすりを繰り返す兄、小柳悠樹だったりするのだから世の中わかったものではない。実は最初兄が彼女を連れて来たとき、ついに兄がどこかの娘さんでもさらってきてしまったのかとすごくはらはらしたのは内緒の話だ。


 兄が彼女を見つけたのは街の路地裏。


 アキちゃんの魔法〈色分〉は、少々特殊な読心術のようなもので、目で見た相手の心情が「色」となって彼女の目に映るという。喜びならピンク、怒りなら真紅、悲しみなら青、そんな具合にだ。


 魔法使いなら誰にでも存在する、コントロールが絶対に利かない魔法習得から一週間の間、通称≪悪夢の七日間≫に彼女が突入したのはなんと街中を歩いているその最中だったらしい。すぐに目に映る景色にいろんな色が混ぜ込まれていることに気付いた彼女は、慌てて路地裏に駆け込んだ。


 そこで、兄はたまたまアキちゃんを見つけて、彼女の目を見た。日本人にも外国人にも有り得ない、綺麗で深い輝きのライトイエローの瞳を、だ。


 場所と色こそ大きく違えど、同じ《単独系》魔法使いとしてそんな現象に身に覚えがあった兄はすぐに彼女が魔法使いだと気付いて、ここ支部64号局に連れ帰ってきた。ただし彼女に兄がある程度の事情を説明してあったにも関わらず、アキちゃんの第一声はこうだった。


「わたくし、そんな意味のわからない方々のお世話になるほど落ちぶれた覚えはありませんわ!」


 ……後にこれはただの警戒心から出た言葉だったことが分かったのだけれど。


 まぁこの件からも察せられるように、アキちゃんは初対面の人間やよく知らない相手への警戒心が人一倍強い。人間不信を自称するだけはあってどんな人物でもまず疑ってかかるところがある。それに、彼女は優しいけれどその優しさはとても限定的だ。自分の懐にいない他人に対するとき、アキちゃんはとことん冷酷になれる。


 そして今回も、そういうことだったんだろう。


 兄はキサちゃんにその夢の話をしないように口止めしてあったけれど、アキちゃんはそれを無視してキサちゃんに電話をかけた。ストレートにも程がある考慮ゼロの物言いは、会ったことも話したこともなかったキサちゃんに、彼女が情を以って接する意味なんてどこにもないから、つまり事実をありのままオブラートに包むことすらしなかったと、そういうことだ。


 そして兄は、アキちゃんが頼みを聞き入れなかったことともうひとつのことに怒りを抱いているのだと思うけれど。


「……アキ、手前な、そういうことばっかしてっといつか痛い目見ンぞ」


「あら、ありがたいご忠告ですわねユウキ。独断はしないように気をつけますわ」


「違う、そういうこと言ってんじゃねェはぐらかすな! 手前が悪役に回ることなんざ、」


「何の話ですのユウキ」


 ぴしゃりと言って、アキちゃんは姿勢を正した。真っ直ぐな視線を兄に向ける。


「わたくしは見ず知らずの女の子に優しく出来るほど善良で良くできた娘ではありませんのよ。そもそもその子に電話をしたのも、ユウキやリンカたちが余計なパニックになる確率を下げたかっただけですわ。都合のよいように解釈なさらないで」


 言うなり立ち上がってくるりと踵を返し、さっさと二階の自室への階段を上って行ってしまった。


「……あぁクソ、マジであいつ馬鹿なのか、ムカつくスカした顔しやがって」


「……お兄ちゃんが言えた話なんだか」


「あん? なんか言ったか?」


「ううん、何でもないよ」


 ぼそっとした独白を聞き取れなかったらしい兄に笑顔を向けると、兄は困ったように頭を抱えてソファの背もたれにぼふんとダイブした。


 そんな風に、分かりやすく兄が悩む姿を見せるのはここ一年、つまりアキちゃんが来てからである。普段兄は人に弱みを見せるのを嫌って、悩んでいても困っていても平時と変わらない態度を取ることが多い。だけれどアキちゃんの件は別で、私の前だろうと、たとえシュンくんやトキヒロくんの前だろうと、兄は頭を抱えてのたうち回るのだ。


 理由を聞いたことはない。でも多分、兄はアキちゃんに自分を重ねているんだと思う。


 兄本人が気付いているのかわからないけど、ふたりはそっくりなのだ。例えば、自分から悪役を買って出るところとか、不器用で口下手なところとか。


 今回もそう。キサちゃんに注意喚起を促すにしたって、死刑宣告のように冷たい言葉をわざわざ投げなくても良かったはずなのだ。もっと言ってしまえば、私たちへの配慮云々以前に無関心な相手に電話をかける必要など、アキちゃんにはカケラだって無かったはずだ。それでも電話をしたのは、きっと兄にそんな電話をかけさせるのが偲びなかったから……アキちゃんはともすれば、兄の夢に対する気持ちを誰よりも分かっているのだから。


 だから悪役を買って出た。キサちゃんに嫌われかねない立ち位置、憎まれ役のポジションを。


 そのことに兄は苛立っているみたいだったけど、私から見れば兄だって大して変わらないから、兄が頭を抱える様子はちょっと滑稽に思えた。


 ……兄は隠しているつもりだろうけど、私だって知っている。魔法同盟に来た直後くらいに気になって調べたから知っているんだ、兄があの頃、両親に反発していた理由を。


 両親が、刑事にあるまじき悪行に手を染めていたことを、知っているんだ。


 だから本当は子ども扱いしないで欲しいけど、まだそれは無理な話だろう。兄とまともに話せなかった過去の時間を、今は取り戻している最中なのだから。


「……にしても、キサちゃん大丈夫かなぁ。あんな荒唐無稽な魔法の使い方したら、絶対ヤバイと思うんだけど」


「あの後から連絡取れねェしな。何やってんだあのクソガキ」


 そう言いながらも兄の目にはちょっと心配そうな光がちらついていた。


 嵐のような忙殺の合間を縫って、キサちゃんの携帯電話に何度か連絡を入れてみたりしたけれど一向に返信が無いのだ。電話もメールもまるで無視である。私達は彼女の住所を知っているわけではないので、電話やメールに反応してくれないとこちらとしてはどうしようもないのだ。今キサちゃんがどうしているのかまるでわからない。


 ……あの日、トキヒロくんの魔法行使直前、〈人形〉に魔封紙を張り付けた学ランの少年。もうあやふやだけれど、彼は最初図書館でキサちゃんを見かけたとき一緒にいた少年だったと思う。名前は……何と言ったっけ、忘れてしまったけど、キサちゃんがあのタワーから手を引かれて出ていくとき「先輩!」と叫んでいたから年上のはず。


 彼がどうしてあの場にいたのか、なぜ魔封紙を持っていたのか、疑問は解消されないままだし。


「……もやもやするねー。分かんないこと多過ぎだよ……あの後サトリさんたちとも連絡取れないしどうしたんだろ」


「あ? そうなのか?」


「うん。全然、音沙汰無しだよ。こっちからの連絡にも応じないしさ、忙しいのかなぁ……サトリさんが出ないのはいつものことだけど、コハルさんとカギナさんまで出ないなんて」


「あの二人が真面目に仕事することなんかあンのかよ……だとしたら空から槍が降るどころじゃァ済まねぇぞ」


「だねぇ。空から黒板消しが降ってきちゃうよ」


「……そのたとえはどうかと思うが」


「えっ!? 元の諺ってこうじゃなかったっけ!?」


「元は明日は雨が降るとかだ! 黒板消しが諺に登場してたまるかよ!? あいつそんなに昇格してンのかァ!?」


「そんな……じゃあカワウソの川流れとか書道部にも筆の誤りとかは……?」


「誰から吹き込まれたンだよ!?」


「シュンくんとトキヒロくん!」


「……そォかよ」


 後で処す、とか物騒な台詞が聞こえた気がしたけれど気のせいだと思うことにした。


 しかし、兄はあんな荒れた学生時代を送っていた割によく覚えているものだ。確かに小学生の頃から物覚えが良くて、暗記教科は得意としていたはずだけど、もうかれこれ四年はまともに勉強してないはずなのに。


 そう言ったら「一般常識だろォが」と返されてむっとしたので、この前キサちゃんが持ってきていた高校一年生の教科書に乗っていた問題を出してみることにした。これなら絶対答えられないはず!


「それじゃ問題! 二進法で表された101を十進法で表すと!?」


 ちなみに答えは覚えているけど、どうしてそうなるのか私はまるで分かっていなかったりする。


 兄はいきなりそんな問題を出した私を呆気にとられたように目を細めて見てきたので、ふっこれは勝った! と密かにガッツポーズを決める。


 シュンくんには即答されてしまったけれど(なにせ、二進法はコンピューターの仕組みに大きく関わる数式だ。電気に精通したシュンくんなら知っていて当たり前ということらしい)兄の最盛期の成績は中の上、今やそれからどれほど下がっているか分からない。そんな頭で習ってもいない数式を解けるはずはないのだ!


 幼稚なのは承知の上だけど勝ち誇った表情で兄を見返せば、兄はちょっと困ったように眉根を寄せた後、


「……7」


「なんで分かんのッ!?」


「いや、俺理数系だし」


「習ってないでしょ!?」


「九州からの旅の相方が、せめて高校レベルの勉強はある程度できないと将来が辛いぞとかなんとか言って無理矢理教えてきたンだよ。しゃーねェだろ」


「そっ、そんなぁ……」


 がくん、とうなだれた私に憐れみの視線を送る兄。なんということだ、旅の間に復習なんて聞いてない。むしろ復習どころか予習なんて聞いてない。


 となったら現状、我が支部局の頭の良さを序列してしまうと私どこにいるんだ。ちょっと気になって頭の中で並べてみる。………と、恐ろしい結果が弾き出されたので私はそれを頭から追い出した。今度学力テストでも作ろう、うん、それで結果を見ればいい。まさか私が下から×番目だなんてそんなことはきっとないと願いたい。そうきっと何かの間違い。学生時代、いつも順位は下から数えた方が早かったとは言え! 問題はないはず!


 必至になって自分を納得させていると、不意にぴんぽーん、とインターホンの音が響いた。反射的にウォールクロックを見る。現在時刻、午前五時である。


 まだシュンくんもイオリくんもササちゃんもトキヒロくんも寝入っているこんな早朝に誰だろう。郵便は何も頼んでいないはずだし、と不思議に思って兄と顔を見合わせつつ、私はソファから立ってインターホンのモニタを確認した私は、思わずがちゃっと勢い良く受話器を取っていた。


「はっはい、おはようございます!」


『お、おう、元気いいなお嬢ちゃん……こんな時間によく起きてるもんだ、感心感心』


「いえいえそんなとんでもないです、たたき起こされただけですし! すぐ開けますからちょっと待っててください!」


 受話器を置いて玄関に向かう私の背中に、「おいなんだよ」と兄の声が飛んできた。振り返る間も惜しむように私は言い返す。


「知り合いなの!」


「知り合いだァ?」


「そう!」


 まだ何か兄が言っていた気がしたけれど無視して玄関のドアを開けると、途端にやりと笑う見覚えある男性がひらっと手を振った。


「悪いね、こんな朝早くに邪魔しちまって。九時から開業なんで早めに来ないと間に合わなかったんだ」


「いえ、大丈夫です! 大したこともできませんけど、良ければどうぞごゆっくり……って、あれ」


 ぷつりと言葉が切れた。それは、その中年男性の後ろに居心地悪そうに腕を組む眼鏡の上司と「やっほー」とはにかむリボンの上司、そして片手で顔を覆いポーズを決めた眼帯上司がいたからである。


 数年前、シュンくんとイオリくんと初対面のあの日に私に二人を任せてくれた男性はどこか見覚えのある笑顔で、実に愉快そうに告げた。


「こいつらが世話になってるらしーじゃねぇか。ったく、反抗期ってのは怖いねぇ、こんな面白いことになってるってのに話してくれないなんて」


 なぁ、お嬢ちゃん。


 からかうようなその口調は、やっぱり誰かを彷彿とさせるのだけど、誰なのか答えは出せなかった。





「それで、あの」


 わたわたと用意した四人分のお茶をテーブルに出しながら、私は恐る恐る切り出した。先程までぐだぐだ転がっていた兄は、サトリさんたちを見るなり自分がいるべきではないと察したのか、炭酸飲料のペットボトル片手に自室へと消えていた。朝から炭酸飲料を飲まない方がいいと再三言っているが、くせになったのかやめる気配は無い。まったく健康に悪い生活を送ってしまっていて、妹としても支部局長としても頭の痛いことだ。


 ん? とお茶の入ったカップを持った手を止めた男性に、私は若干の気恥ずかしさを覚えつつも、


「お名前、伺ってなかったなぁと思いまして……」


「あれ? 己名乗らなかったか? 前会ったときに」


「おじさん名乗ってないわよ。アタシがりぃちゃん連れてきて引き合わせる時さっさといなくなったでしょ? 忘れたのアンタ?」


 あっきれた、とぶっきらぼうに呟いて首を振るコハルさん。だがその彼女の頬や腕などあちこちに絆創膏が貼り付いていて、それは彼女のみならずカギナさんにも該当することだった。サトリさんはと言えば一見怪我はないようだけれど、少し顔色が悪い。ぼろぼろというか満身創痍な三人の上司を見るのは初めてのことだった。何があったのか聞いていないが、とりあえずロクでもない目に遭ったらしい。


 そしてその三人を従えてきた男性は、あまり以前と変わらないくたびれたベストにオレンジのネクタイ姿。もう三年経ったはずなのにさほど老けたようにも見えない彼は、そうかと言って笑った。


「己の名前は素川暮秋という。この界隈で医者として診療所やってるから、なんかあったら来いよ。一通りの患者は診れるぜ? まぁつったって、規模の問題で手術は向いてねーけどな」


「素川さん、ですね? ……えっと、改めまして、魔法同盟関東支部64号局局長、小柳燐花です。どうぞよろしくお願いします」


「あーー、いいいい、堅苦しいのは嫌いなんだよ己。それに己は別にお偉方じゃあない、ただの医者だよ。嬢ちゃんに畏まられちゃ己が困る」


「そ、そうですか……?」


 随分フランクな人柄なのか、私の問い返しにも気分良さそうに頷いた。 

 

 ていうかただの医者はまず魔法同盟関係者にはなれないと思うけどなぁ、と思いながら、素川さんを眺める。頬に走った深めの傷跡が彼がただの医者ではないことを証明している気がするのは私だけだろうか。


 魔法同盟、それも〈三人衆〉と接触できる人物はそういない。まして新たな魔法使いというならまだしも、明らかに四十をまたいだ年齢であろう人物なんて余計だ。私が知らなかっただけで、闇医者的な仕事をしている魔法同盟の協力者とか? うん、この素川さんなら有り得る気がする……。


 二度目の顔合わせにも関わらず勝手にそんなイメージを抱いた私だが、表面上顔には出さずに四人と対面するソファに座って尋ねた。


「それで、ご用件は?」


「あー、そうだな。まずは謝罪か」


「……はい?」


 謝罪? って、なんで謝罪?


 素川さんの言葉に戸惑いを隠せない私をしっかりと見据えて、彼は突然折り目正しく頭を下げ……ってええ!?


 予想外の出来事に慌てふためきソファを勢いよく立ち上がる。


「ちょっ、あの、何してるんですかっ!?」


「え、何って嬢ちゃん、人に謝るときは頭を下げるのが常識だぜ。常識を疑ってかかるのは感心だが、そのあたりの礼節はわきまえねーと」


「いえではなくて! なぜ私が謝られるんです!? 何もされてないですけど……!?」


「うんにゃ、己っつーか、娘に代わってだな。娘がそっちに随分迷惑かけたらしいじゃねーか。ったく、ホントに後先考えねー馬鹿で悪かったなぁ」


「……はい?」


 いきなりすぎてぴたりと行動を停止させた。


 娘? むすめ、娘、え、お子さん? 次いで思考回路も停止した。いやまぁ年齢的にいてもおかしくはないわけだけど、一体誰のことを言ってるんですか? そんな質問をすることもできずに口をはくはくさせる。私的にこの生活力無さそうな四十代男性に娘がいると言うのがかなり衝撃的だったらしい。


 その姿を見たコハルさんが勢いよく吹き出した。


「ぶっは、ちょ、りぃちゃんその顔! あっはははは、びっくりし過ぎっしょ!!」


「い、え、あ、いやだって! す、すすすすす素川さんにおおおおおおお子さんですか!? むしろ奥様いらっしゃったんですか!? そ、そんな、え、ちょっと待ってくださいイメージと違いすぎて!」


「嬢ちゃんそりゃどういう意味だ!? 己は独り身に見えるってことかよ!!」


「……むしろそれ以外に何に見えると」


「おいコラ眼鏡坊主、お前さん今繊細な中年の心の傷を抉ったことに気付いてんのか」


「我輩だってそれを聞いたときは天へ召されるかと思った。間違ってなどいない! そもそも我輩に間違いなどどう考えても有り得ぬ!」


「えぇぇぇぇそりゃないぜ眼帯小娘……いやまぁ己に嫁さんはいないけどさぁ」


 更なる衝撃発言にいよいよ息が止まるかと思った。奥様がいない。え、それってもしかして逃げられたとか……? それとも今多いって話の、あれなんだろうか、ほら子どもを授かってしまってみたいなあのパターン……? 


 顔が引き攣ったところで、素川さんは大きなため息をついた。


「あのさ嬢ちゃん、今すげぇ失礼なこと考えてるの丸分かりだけど、そもそも実子じゃねーから!! 養子! 里子! 嫁さんも何も結婚してねぇし、むしろ彼女がいたのは大学生時代までだわ!」


「それまでの彼女さんにセーダイに拍手っ!」


「本気でリボン小娘黙る気ねーか!?」


 アリマセンケド、とカタコトに答えるコハルさんにがっくりと肩を落とす素川さんに、次々と「奇跡だな」「神の最後の慈悲か」と爆撃投下していくサトリさんにカギナさんである。この三人が一斉に誰かをいじり倒すのなんてあまり見ない光景なので、私は目をぱちくりさせた。どういう間柄なんだろう。ただの医者と患者というには仲が良すぎる気がする。そう、強いて言うならそれこそ、親子みたいな。


 ということはこの三人の養父とか? それならあんまり違和感はないけれど……いやでも、三人に養父がいるなんて話聞いたことが無いような、あれじゃあどういうことかしら。ようやく正常になってきた頭を働かせていれば、素川さんは少しシアワセそうに微笑んだ。


「娘。期橋紀沙が、面倒かけたようで悪かったよ」


「――――!」


 期橋紀沙。それは紛うことなく、昨日事件を解決した新米さんの名前。


 彼が先程見せた玄関口でのからかうような口調、見覚えのある笑顔が、綺麗に彼女の表情と一致した。なるほど、似ている。里子というからには血縁関係は無いのだろうけど、仕草やふとした言動が似ているのだ。


 そう言われてみれば色々なピースが繋がった気がした。


「キサちゃんの、養父さん、でしたか……」


「まぁな。なんだかんだで八年ちょい。最近はこいつらと同じく反抗期なのか全然口利いてくれな……あ、いやアイツが己に対して辛辣なのはずっと前からだけど。ともかく娘が世話になったな」


「いっ、いえいえこちらこそ!! キサちゃんがいなかったらどうなってたことか……あんな無理をさせてしまって不甲斐ない……本当に申し訳ないです」


「あぁ、いやいいんだってあんくらい。やり方は賢くなかったが、アイツが好きでやったことに己が口を出すつもりはねーさ。けどそっちこそ心配してくれてたんだろ? アイツの携帯にメールやら着信やらが山のように入ってたぜ」


 桐彦が死ぬほどびっくりしてたなぁ、と続けてにかりと快活に笑うその姿に、ああこの人はキサちゃんのお養父さんなんだなぁと改めて認識する。サトリさんたちと接するときも楽しそうだけれど、それとは全然別種のシアワセそうなその表情をかつてどこかで見た記憶があった。


 私にとって父親というのは、あんまり身近な存在ではなかった。それを言うなら母親もしかりなのだけれど、ともかく刑事であり共働きだった両親よりも、小学六年生までよく面倒を見てくれた祖父母のほうが印象深いくらいだ。……だけどその薄い記憶の中で、父はよくこうやって笑っていたな、と思う。


 父と母がやっていた悪事は知っているけど。


 それでもあの人たちは、どうやったって私の両親で、兄の両親だった。たとえ兄を路傍の石のように見做していたとしても、やっぱりどうあがいたってあの人たちは両親だったのだ。


 ……そんな当たり前のことが頭を過ぎった。それと並行するように、素川さんがキサちゃんの養父であるということから疑問が生まれる。


「あの、それでキサちゃんは? 連絡取れてないんですけど……」


 そう、そのこと。


 口振りからして、最悪の事態と言っていい落命は避けられたようだけれども元気ではないだろう。そのあたりが気にかかっていた事項である。私も勿論だけれど、一番彼女の容体を気にかけていたのはトキヒロくんであったように思う。


 トキヒロくんはキサちゃんをいたく気に入ったのか、それとも誰かに重ねているのか分からないけれどやたらと心配をする。本人の前ではあまり顔に出さないけれど、あの三人衆のテストのときだって正直私以上に怒っていたんだろうし(多分、トキヒロくんはテストを初めて見たからだ、なんて思ってるだろうけれどそのくらいでああまで怒るはずはない。一言も口を利かずに部屋へ閉じこもるのは、彼が怒髪天を衝く勢いで激怒したときの行動だ)、昨日の一件で学ランくんに手を引かれていくキサちゃんを追いかけようとしてすかっとすっ転んだのは記憶に新しいところである。


 それに、キサちゃんはトキヒロくんの魔法を知っていた。


 トキヒロくんは滅多なことでは自分の魔法を他者に教えたりしない。必要に迫られれば話は別だけれど、そんな用事も無かった事件までの期間でなぜ彼女が知り得たのかと言えば、トキヒロくんが口を滑らせた以外に考えられないわけだけど普段ならそれも有り得ない。魔法は個人のトラウマに直通する。トキヒロくんのなんて、それこそかなりダイレクトなものだから、そう人には言わないのだ。


 キサちゃんの前では気が抜けるのか。それともキサちゃんには教えたいと思ったのか。キサちゃんのその姿勢や態度に、何か思うところがあるのか、それは分からないけど。


 眠れる気がしないと言って夜更かししようとした彼を無理矢理部屋に押し込めてきた私としては、そのトキヒロくんや、勿論夢のことを黙っていた兄、そして死刑宣告という辛い役割を自ら引き受けたアキちゃんや現場を見たササちゃんやイオリくんや、人が傷つくことをひどく嫌うシュンくんのためにも、そのあたりはちゃんと聞いておきたかった。


 私の問いに、素川さんはあっけらかんと答えた。


「今は意識不明。まぁあと一日もすりゃあ起きるだろうけど、二・三日は目が見えないんじゃね?」


「……ってはい!?」


「ちょっと待つのだそれは我輩の耳に入っていないぞ闇に潜みし医術の玄人よ!!」


「あ、アタシも聞いてないわよおじさん!? 意識不明!? えっそんな重症だったの!?」


「そういうことは早く言わないか貴様!」


 珍しいことにサトリさんまでびっくりしたように叫んだ。その瞬間は非常にレアだったと思うので出来る事なら激写したかったけれど、当然そんな余裕はない。三人衆も容態を聞かされていなかったということに驚く暇もなく、私は慌てふためいたまま怒涛の勢いでまくしたてた。


「い、いいいいい意識不明って、そのえっ!? 大丈夫なんですか!? 嘘っ、そんな、え、えっ」


「だから、大丈夫だって言ってんだろう嬢ちゃん! んな簡単にくたばるようなガキじゃないってーの、己の娘はああ見えてタフなんだ。いや、図太いっていうべきかね……つーかお前さんたちも落ち着け」


 呆れたと言いたげにため息をついた素川さんに、はっと我に返ったように静かになる三人衆の上司たち。それにつられるように黙り込む。そんな大ごとになっていたなんて、そんなの聞いてない。焦燥に熱せられる頭脳を冷やすように、素川さんの冷静な台詞が降ってきた。


「前にあいつが魔法を暴発させたときも、四時間程度の暴発だったのに失明したことがあってな。その延長線上みてーなもんだろ。あんときは小一時間だったのを考えると、今回は大幅キャパオーバーってとこなんだろうけどな。今のとこ意識がないだけで他は何の異常もない。大丈夫だよ」


「……よ、良かったぁ……」


「おう、アイツのは魔法使いの使いすぎによる副作用っつーにゃ重すぎる症状だけどな。そのあたりは眼鏡坊主もリボン小娘も眼帯小娘も変わらん。強い魔法を使える奴は、でけぇリスクを背負わなきゃなんねーってわけさ。誰かが勝手に渡したそんな馬鹿みたいな現象のせいで痛い目見るんじゃ割に合わないけどよ」


 ほっ、と安堵の息をついた私たち(コハルさんとカギナさんのことだ。サトリさんは一瞬だけ黙った後、すぅと目を細めたのみである。でも多分安心したんだろう)の耳に続けて入ってきた素川さんの言葉は、どこか皮肉に満ちた文句に聞こえた。馬鹿にしている、いや自嘲しているような、そんな響きだった。協力者という以上は魔法についてある程度の知識があるのだろうけれど、それを合わせてもなんだか妙な含みがあった気がして、私は内心首を傾げる。


 娘が魔法使いで副作用に苦しんでいる、というだけではなさそうな、そんな言葉だった。


 けれどその違和感を一瞬で拭うように、素川さんは破顔した。


「そいじゃ、己からの用事はこんくらいだな。次はお前さんたちの番だろ」


「そうねー。うん、アタシたちの番か」


 コハルさんが台詞を引き継いだ。いつもとさほど変わらない、面倒で気だるそうな雰囲気のまま腕を組む。セミロングの髪の一部をすくい上げて結わえる、ピンク色のリボンがふわりと揺れた。それを横目に、私は注意を三人衆へ切り替えて質問した。


「えっと、そちらの用事は?」


「……ふむ。いろいろと語るべき時が来たのだ。我輩たちの立ち会えなかった、人を操る魔法使いに関わる星屑観測所の事件についてな」


 カギナさんは鷹揚な仕草でそう言って、憂いの色を帯びた表情で目を細めた。わざとらしく「ついにこの時が来たか……!」なんてぽそぽそ呟いている。聞こえていないと思っているようだけどちゃんと耳に入っていた。……これが、この前キサちゃんの言っていた「イタイ」か。中二病ってやつらしい。兄が付け足すには「将来思い出すとあまりの恥ずかしさに身もだえしたくなる」というけど、カギナさんは大丈夫かしら。


 と今はあまり関係ないことが頭をよぎったけれど、カギナさんの言葉を翻訳してみると、どうやらあの謎だらけのクーデター事件について解説してくれるということらしい、と気づいて私は気を引き締めた。あのとき起きていた現象はまるで理解不能であったが、それが「良い事」ではなく「悪い事」にカテゴライズされることはほぼ間違いなかろう。


 局員が巻き込まれた事件としても、魔法使いの一人としても、クーデター事件についてはちゃんと知っておきたいところだった。聞き流して良い事案ではあるまい。


 それを見て取ったのだろう、サトリさんはふ、と息を吐いて背筋を伸ばした。その表情は一切動かない無表情だけれど、顔色はすこぶる良くないことに気付いて声をかけた。


「サトリさん、具合が悪いなら休んだ方がいいんじゃないですか……? お布団くらい用意できますよ?」


「……、構うな。これは俺のミスだ、わざわざ休むほどのことでもない。しばらくすれば治る」


「そんなこと言われても今にも倒れそうなんですけど……」


「嬢ちゃん」


 素川さんの声でサトリさんから視線を外してみると、素川さんはそっと首を振った。意地でもこいつは動かねーよ、そんな感じのメッセージに見える。


 ひとつ頷いてまたサトリさんを見れば、少しいつもより幼く見えたのは気のせいだろうか。十七歳くらいに見える上司が本当は十五歳であると聞いたときは天地がひっくり返る勢いで驚いたけれど、こうして見ると年相応なんだよなぁ、なんてぼんやり思う。


 そして同時に疑問に思った。


 なぜこの三人はそれぞれ満身創痍なんだろう。〈三人衆〉は決して伊達の名前ではない。魔法同盟でもトップクラスの実力を持つはずの彼ら、その彼らをここまで疲労させたのはなんなのか……。


 けれどその疑問を察したかのようにコハルさんが話し始めたため、すぐに疑問は解決する。


「アタシたちがこんななのは、まぁちょっと妨害に遭ってね。星観タワーに急行しようとしたところを邪魔されちゃって? まぁこの後話すけど、そんで代わりにあの学ラン送ったってわけ。あ、でね、これやった奴がまた化物レベルの強さでさぁ! チートよチート!」


「は、はぁ……」

 

「――――で、その妨害者はまず間違いなく〈突風〉を乗っ取ったヤツよ」


三人衆だって私からすれば十分すぎる強者なんですけどとツッコミを入れる間もなくとんでもないことをぬかしたコハルさんを、私は思わず穴があくほどじっと見つめた。多分ぽかんと馬鹿面をさらしていたはずだ。


 三人衆を倒したのは、〈突風〉の意識を乗っ取るようにして残忍に嗤ったあの人物だというのか?


 にわかには信じられない言葉に絶句した。


「詳しくは言えないし、仕組みも言えない。色々今バラすには早すぎる。でも、あれは間違いなくそいつの仕業。これで〈突風〉がおかしかったことには説明つくでしょ?」


「……つくような、つかないような」


「うん、曖昧でいいわ。今はほとんど何も教えられないから。でもね、ひとつだけりぃちゃんに教えておけることがあるの」


 そうして言葉を切ったコハルさんの目に宿っていた感情は――――紛れもない、敵愾心だった。



「アタシたちはとある存在を、あらゆる魔法使いの《敵》だと見なしたわ。そいつは〈人形〉の友人であった〈跳躍〉、組木あさがおを殺し、そして先代の〈三人衆〉も殺し――――言うなれば、過去数百年の間ずっと魔法使いを殺し続けている。アタシたちは、アタシたちの代で、そいつを絶対に」



 殺す。


 その瞳の冷たさにぞっとしたのは、決して気のせいなどではなかった。







「それじゃあ嬢ちゃん、伝言承ったぜ。『見舞いに行くから首を洗って待っとけ』だな?」


「いや、私首を洗ってなんて言ってないんですけど……」


「他に似たような趣旨の伝言預かってんだからまとめていいだろ」


 割合適当なことを言って、また悪戯に微笑んだ素川さんが玄関のドアを開けた。時刻は午前七時五十三分、そろそろ皆起きてくる頃合いだし、開業時間が迫っているということで今日は帰るという話だった。


 その素川さんの後ろに続いて、コハルさんがにかっと笑う。


「そんじゃりぃちゃん、シュンとか他のにもヨロシクね! あと仕事もジャンジャン回すから仕事してよねーっ!」


「そうだぞ我が同胞よ、我輩が目標達成のために全力を賭けようというのだ、お主も持てる力のすべてで、お主にできる万事をこなすが良いぞ!」


 ふっ! と鋭く息を吐いて、「破」と墨で書かれた包帯を前面に押し出す形で両腕をクロスさせるキメポーズを完璧にやり切ったー! みたいな顔で披露したカギナさんだが、直後に、


「さて、それでは貴様らが仕事をすると宣言した以上、俺も貴様らに仕事を与えなければならんな。とりあえず貴様らの遅れている仕事分ということで、今週分も含め四週間分をまとめて今週中にこなしてもらおうか」


 という容赦の欠片もない言葉によってあえなく撃沈した。


 サトリさんの仕事の速さは驚嘆に値するので比べるべきじゃないと思うけど、それでもコハルさんやカギナさんは若干サボり癖がある。このくらい厳しいのがちょうどいいのかもしれない。


 微笑ましいやり取りに思わず零れた笑い声に、サトリさんがぎんっとこちらを睨みつけた。慌てて平静を取り繕う。サトリさん怖いんです、その顔すごく怖いんです、と言いたいが黙らないと寿命が縮む気がしたので言ったことは無い。


 がやがやと騒ぎつつも、「じゃあねー!」「それでは、なのだ!」「仕事は早急に片付けるんだな」「怪我も病気も受け付けてるぜー」とそれぞれ言葉を残して、玄関ドアはぱたんと閉められた。


 急に広がった静寂に奇妙な感慨を抱きながら、私はリビングに戻って、なんとなくその場にあったクッションを抱き抱えた。本当はもう朝ごはんの準備をしなくちゃならない。だけど、もう少しだけ。


 彼らによって告げられた台詞の不穏さが、私の心を不安で塗り込めていくような気がして、私はちょっとだけ怖くなった。

 

 分からないことが依然として多すぎて、むしろ謎が増えていくこの感覚が、少し気持ち悪く思えた。





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