5 他愛ない想像
《漣の空》様、ご感想ありがとうございました! 評価ポイントやお気に入り登録が地味に増えてきて嬉しい限りです。おかげさまで2000アクセスを突破いたしました! ありがとうございます!!
いよいよこの章のエピローグとなります。この後もお話は続く予定ですので、読んでみてください。
そして少しズレましたが、ノリと勢いで作ったキャラクター紹介があります。読みづらいと思いますが、気が向いたら見てみてください。なにせ本編に人が多いのです!!
「馬鹿か、お前……結局己の世話になってんじゃねーかよ」
言いながら、びしっとおでこを指で弾かれて、私は心底むくれた。
ここは診察室、つまるところ、私が座る回転スツールの横にある診察用ベッドでぶらぶら暇そうに足を振る弟と目の前のにやけ顔以外、他に誰もいない個室なので別に周囲の目を気にする必要はない。思い切り不機嫌を顔に出して、私はにやにやと笑う中年男性を睨みつけた。まともな手入れはしていないと一目で分かる痛んだ黒髪。何より特徴的なのは、昔あんたは何の職についていたんだよと聞きたくなる、右頬の深々とした切り傷の跡。そんな外見的特徴を持つ、適当な人間――――私と弟の育て親、素川暮秋である。
「仕方ないじゃないですか、私は申し訳ありませんが頭のできが悪いんです。他に手が思い付かなかったんですよ。それに、最悪の事態は回避できましたもん」
「もん、って、姉ちゃんガキくさ」
「本物のガキのあんたには言われたくないー!」
「その言い草が既にガキくせぇって意味だと思うぜ、紀沙」
「うるさいです先生は未来永劫黙っていてください」
「己に自殺の趣味はねぇぞ!?」
桐彦に対する態度と先生に対する態度は天と地ほどの差がある、と言われたことがあったな、なんて思いながら軽口を返した。そんな私には、ユウキが見たという悪夢が刻んだ銃弾の跡はどこにもない。あの日から六日が経過した私の身体は基本的に健康そのもので、それなのになぜ診療所などという場所にいるのかと言えば、それは今もなおずきずきと容赦なく激痛を与えてくる両目のせいであった。
「お前、計何時間、力を使っていたんだって?」
「……朝の十時くらいに向こうに着いてから、午後三時四十五分まで、合わせて五時間四十五分くらいです」
「馬鹿だなお前やっぱ」
「念には念を入れろって言うでしょう! そもそも呼び出し時刻を知らなかったんだからこれは致し方ない事態です!」
「それくらい調べとけよ阿呆。それで目を傷めたら意味ねぇだろうに、なぁ桐彦」
「うん。姉ちゃんはやっぱ本物の馬鹿だった。今度イオリに『馬鹿ってうちの姉ちゃんのこと』って教えておく」
「やめて!? 純真なイオリくんにそんなこと吹き込まないで!?」
馬鹿馬鹿と連呼されるのに耐え難くなって言い返したが、二人とも意見は変えるつもりなどないようだったし、本件に関しては自分が馬鹿だったのもある程度自覚していたので、私は唇を尖らせてそっぽを向くことしかできなかった。
これはあらゆる魔法使いに共通のことだが、魔法は使うことで、図形の浮かぶ箇所に痛みが生じるシステムを持っている。以前トキヒロから聞いたことがあった。指先など使用するために浮かぶ、いわば複製先は痛みに襲われることはないが、大元の図形が現れる場所にはちくちくとした痛みが生まれるのだ。
多くは使用時間と、魔法の威力によってその痛みは変化していく。聞けば、トキヒロはかなり本気で使わない限りそう目は痛くならないらしいが、目にそもそも図形が浮かばず炎を生み出す箇所に図形が生まれるササはじりじりと、それこそ焼けるように痛くなってくるそうだ。
図形が浮かぶ箇所はまちまちなので痛む場所も違う、ということなのだが、まぁそれは今は置いておいて。
私の場合は目に図形が浮かぶ。オレンジ色の閃光を伴う二重円。今回、私は先ほど先生に告げたように五時間四十五分という記録的時間を、魔法行使状態のまま過ごしていた。それも、表情だけを見せかける普段の生活とは疲労も必要な力も段違いの、『他人に見せかける幻』を。
それだけでも私の目はかなりのダメージを受けていたし、本来先生には四時間以上の魔法の行使を禁じられていたのだ。幼いころ四時間半の間、魔法の制御ができなくなって、いざ暴走が止まってみれば小一時間の失明に見舞われたことがある(このとき突然の暗闇に恐怖して泣いたのは無かったことにしたい黒歴史のひとつ)。それなのに、四時間を二時間近く上回った時間、魔法を行使し続けた。
そしてトドメは、やっぱり、一番の大仕掛けだったらしく。
私が目を覚ましたのは三日前。そして私の視界が回復したのはつい今朝のこと。つまり、私は三日間眠り続けた上に視力を二日間に渡って失っていた、ということだ。
今も目の痛みは一向にひかないがこればかりはどうしようもない。何の薬も効きやしないのはもうかつて証明済み、大人しくしていることしかできないのである。
だから、六日前から泊まりっぱなしの診療所で、こうして先生に診てもらっているわけなのだが。
「あ~……わかんねぇな。なにせ六時間近く魔法使いっ放しなんて初めてだからなぁ……さすがに。つーか任意でそんなに長く使えるもんなのな。……うん、ダメだ、あとどんくらいで痛みがひくか、ちっと分からん」
「……ですよね」
はぁ。私は困り果ててため息をついた。
結局、私は六日前から、魔法同盟の面々と一切話していないのである。
意識を回復してから最初に着信履歴やメールを桐彦に見てもらったら、相当な量のメッセージが溜まっていたようで、弟は「……姉ちゃんの携帯がこんなに賑やかなの初めて見た」なんて失礼極まりないコメントを残している。視力が戻った今朝見てみたら、確かに膨大な件数だった。みんなどんだけ心配してんの。いや、嬉しいけれど。
返事返すの? と訊いてきた桐彦に、私は首を横に振った。視力が戻りたての今日に、電子画面を見続けて大丈夫な自信がなかったのと、目の痛みが文面を考えたり話すときの弊害になると思ったのと……ただ普通に、いらない心配事を増やしてほしくなかったというところか。
あんな大事の後なのでやるべきことは多かっただろうし、邪魔はしたくない。返事が無いことに心配しはするだろうけれど、なに、快調してからひょっこり顔を出せばよい。
まぁ、その快調する時期がいつになるか分からないから困っているのだが。
「本当、その場に啓太さんがいて良かったよね。じゃなきゃ姉ちゃん無理矢理ひとりで帰ってきたんだろうから」
桐彦の言葉がちくりと突き刺さった。
そう――――気にかかるのはそのことだ。なぜか平日に、学校をサボるとは(従姉妹さん関連以外に)考えられない先輩があのクーデター現場にいたことが謎である。しかもなにかお札みたいな物を〈人形〉の彼女の目に張り、彼女を無力化したのは先輩その人なのだ。
あの日。
トキヒロの魔法による記憶の消去が及んだ後、しばらく人質や警官隊は全員が昏倒状態に陥った。そこで本来ならトキヒロたちと合流しようとしていたのだけれど、それを阻むように先輩に手を引かれ、魔法同盟の呼ぶ声を背中にタワーを出た。確か私は目の痛みを押し隠したまま、なんでここにいるのか、あのお札は何なのか、というかどうして手を引っ張るんだとかいろいろ聞いた気がする。だが質問には何一つ答えてくれないまま、私はタワーからそれなりに離れた公園に連れて行かれたかと思えば無理矢理ベンチに座らされて、至極真面目な顔で、
「お前は寝てろ」
とか何とか言われた。はぁ? と言い返そうとしたはずなのに、気が抜けたせいなのか疲労のせいなのか、私はすとんと意識を捨てて眠りに落ちた。そこで、先輩が以前から顔見知りであった先生に連絡をしてくれて先生が車をかなり飛ばして迎えに来て(ここをやけに先生は強調した。うざい)、今に至るというわけだ。……ちなみに、あのクーデターにより負傷した人々はあの後、自分たちがなぜあんな傷を負ったのか分からないまま別の病院へ入院したらしいと先生は言っていた気がする。きっと快復してくれるだろう。
確かにあの日トキヒロたちとこちらへ戻る気にはなれなかったろうから、一人で電車でぶっ倒れるよりはマシだったかもしれない。
だがやっぱりあの状況は不可解で、先輩に尋ねようとも思ったが気を使ったのか一度も私を訪ねてこなかった先輩にこちらから疑問を切り出すのも気まずい話だ。あの場にいたということは、つまり、他の魔法使いであるトキヒロたちをも目撃したということ。先輩にとって有力な情報源となる彼らのことを隠していたという罪悪感が多少あって、先輩があの場にいた理由を聞けば、こちらもその話を避けるわけにはいかないだろうし……ということで結局、何も聞けていない。
私は今回の件の関係者のほとんどと何も話せないまま、一週間に近い時間を無駄にしたわけで。
「……うん。先輩に、お礼言わなきゃ」
ということは、当然みんなへの釈明も先輩へのお礼も言えていないのだ。
気がつくと、私は着ていたジャージの裾を握り締めていた。少し皺になったそれを視界に入れたのか、先生は机に向かってまとめていたカルテを手にくるりと椅子を回してこちらを振り返る。
「んなことよりまずは体調治すのが先だってぇの。あんまり気に病みすぎるな、治るものも治らなくなるぜ」
「……です、けど」
「患者はさっさと治すのが迷惑かけた奴への贖罪だ。ぐだぐだ言うな。もう十月も下旬だ、冬が来る。それまでに体調をマトモにしておかねぇと、風邪であっさり倒れる羽目になるぞ。昼飯は用意してあるから作んなくていいぞ」
先生は珍しく真面目な表情でそう言って、それから私を追い出すように手首を振った。診察終了。診察室を出ろ、という意味だ。
ありがとうございました、と頭を下げて診察室のスライドドアに手を掛けたところで、あ、と先生が間抜けな声を上げて私を引き止めた。
「言い忘れてた。伝言もらってるぞ」
「……誰から?」
「諸星少年と、それから、――――魔法同盟一同より、だとさ」
「はぁ!?」
思わず声を荒げた私に、先生はどこまでも見透かしたような含み笑いを浮かべた。
「メッセージは同じだ。『今日見舞いに行くから首を洗って待っていやがれ』とさ」
先生のまさかすぎるプレゼント(心底いらねぇ)をもらって、弟に愚痴りながらも診療所から出て家路を辿り、現在時刻が十一時半を指しているのを見てため息をついた。お昼ご飯は用意してあるとか言っていたが、あの医者は致命的なほど生活力が無い。著しく不安なので、もしヤバげだったら自分で何かを作らなくてはなるまい。目が痛いときくらい何もしないでいたいが、そうもいかないだろうなぁ……なんて、面倒くさく回った考え事にもう一度ため息をついた、
――――の、だけれど。
「よう、期橋」
そんな風にぽんと飛んできた声に、痛む目を無理矢理見開いた。やっと見えてきた我が家のインターホンのある門の横に上半身を預けていた、いつも通りの学ランの人物、すなわち諸星啓太先輩を見た瞬間、思わず声を上げる。
「せ、先輩……?」
「なに馬鹿面してんだ? 伝言預けてあっただろ。『見舞いに行くから首を洗って待っていやがれ』って」
にやり、企むように笑う先輩になぜか冷や汗が頬を伝うのが分かった。だがそれを無かったことにできる魔法は、気を抜けば今も呻き声を上げてしまいそうな目の痛みが邪魔をして使うことが出来ない。ちょっとした怖さと不安を感じながらも、私は笑顔を返した。
「あははは、そうでした……。まさか待ち構えているとは思いませんでしたけど」
その笑顔が引き攣っていたのかそうでなかったのか、自分では意外なことに分からなかった。
家に入って、先輩もいるのだからとそのまま台所に立とうとしたら、弟に蹴飛ばされるような形で強制的にリビングに追いやられた。しかもソファに顔面から激突した後、私が隙を見て台所へ行かないようにと桐彦が真横に座ってゲームを始めている。桐彦は一年前啓太先輩に会ってからというもの、「やるときはやる」有言実行の男である彼に思うところあったのか、行動がいちいち先輩に似てきたところがあるので、多分桐彦は私が行こうとしたら「さっき姉ちゃんのこと力づくで台所に行かせないって言ったでしょ」とかなんとかいって更なる愛の鞭、またの名をすね蹴りを喰らわせてくる気がしたのでやめた。あれは実は結構痛いのだ。
代わり、というようにすっと先輩が台所へ入ろうとしたところで、こちらを振り返る。
「なんか食いたいものあるか? 冷蔵庫の中身使うけど」
「へっ!? え!? 先輩料理とかするんですかっ!?」
「それぐらいするっての! オレん家、親がしょっちゅう旅行行くからひとりのほうが多いんだよ。家事は全般出来る」
あきれ顔で言い捨てて私を見下ろすので、しばし考えてから「じゃあチャーハンでお願いします」と希望を言うと、先輩はひょいと桐彦に視線を切り替えた。それに弟は目線も上げず、「同じで」と至極簡潔に応答する。ぱっと見かなりよろしくない態度だったが、先輩本人は気にとめた様子も無く台所へ行ってしまった。
かちゃかちゃと台所から流れてくる作業音をBGMに、ちょっと考え込む。なんだかあんまり怒っていなさそうだ。しかも、お昼まで作ってくれるらしい。先生の言っていた『お昼の準備』が先生がつくったものとか買ってきたとかそういう類の物ではなく、まさかの見舞いに来た先輩のことを指すなんて予想外にも程があって、先ほど聞いたときはめちゃくちゃ驚いた。ていうか先生なんか頑張れよ。あんた一応里親だろうが。とかその辺の言いたいことは後で全力で彼を罵倒してすませるとして、私はまるで不思議だった。基本的に面倒事を嫌う先輩が、一体どうしてこんなことを引き受けてくれたんだろう。
……一年前に出会ってから、なんだかんだ数回うちに連れてきたことのある先輩と、育て親であるあの医者は仲が良かっただろうか? いや、そんなことは無かったはずだ。むしろ、先生の方から一方的に先輩を苦手としているような面があってちょっと疎遠だったような気すらする。でも先生が仲も良くない人に、こんなことを頼むとは思えない。
また謎がひとつ増えた、と嘆息した。ひとつは、先輩があの展望タワーにいた理由。もうひとつはお札。更には先輩がお昼を作ることを了承してくれたワケ。……魔法がらみでも色々理解不能な点があったっていうのに、こちらはこちらで問題点は山積み。視界が戻って数時間しか経っていないのに、私は何を色々考えてるんだか。
ていうかそもそも、病人はさっさと治せとか偉そうに言っておいて、こんな風に先輩を呼んでいるんじゃ治るものも治らないわ。何してくれてんだ。あの人ああ言いながら私をくたばらせる気じゃなかろうな……。
ざしゅっ、ざざざざざっ、じゃりぃん! 桐彦の手にしたポータブルゲーム機から鳴り響く派手なサウンドエフェクトも、ほとんど意識に入らない。とりとめもなく脳裏を流れていく言葉の渦を自分なりに整理してみようとしたが、それを邪魔するように眼窩が痛みを訴えた。ぱちぱちと何度か瞬きを繰り返す。
思考を一切放棄して自分の目に意識を向けると、使い過ぎだと叱責するようにそこが痛んで、思わず苦笑いを浮かべた。今回は、ちょっと無理をし過ぎた自覚がある。私の現在のコントロールでは、あの最後の大仕掛けはある意味イチかバチかの賭けだったと言えよう。大仕掛けというほど複雑でもない単純なやり方だったが、負荷があまりにも大きすぎたようである。
と、そこでふと時計を見ると既に三十分ほどの時間が経過していて、頃合いもよく先輩の「できた」という声が飛んできた。思いのほか考え事に耽っていたようだ。
「はーい、じゃあ今取りに」
「姉ちゃん!」
できたという料理を運ぼうと立ち上がったら、桐彦にまたしても一睨みされてしまい、私はすごすごとダイニングテーブルへ歩いて椅子を引いた。過保護だな、と思う。確かに視力は回復したばかりで、ずっと寝ていたから体力も落ちているが、そんなことができないほど弱った覚えはない。そもそもソファから台所まで五歩もないのに。まぁ、そうやって何だかんだと優しい弟に甘えている面が無いとは言えないしそこが弟のいいところでもあるのだけれど。
「……ほらよ」
私の前に出されたお皿に盛られた、ごく普通の卵チャーハンを見て、私は目を白黒させた。にわかには信じ難いことに、私よりも上手に作れているように見える。卵チャーハンは、私の密かな得意料理だったのにこれでは面子丸つぶれじゃないか! と思い至って、わざとからかうような感想を口にした。
「……先輩、本当に料理できたんですね。あ、違います? もしかして台所に妖精さんが!?」
「いきなりファンシーだなおい!? 自分でつくったんだよ、失礼な奴だな!! 文句あるなら食わせねぇぞ期橋、いいのか!?」
「マジさーせんした許してください、啓太様どうかご飯をお恵みください」
「お前にプライドは無いのか」
「かなぐり捨てて来ました!」
「満面の笑顔で言うな!」
律儀にツッコミを入れてから、先輩は私の正面の席に座った。普段は先生が座る席である。桐彦も思った以上に良い出来のチャーハンに驚いたようだったが、素直に「すごいじゃん啓太さん!」と賞賛の言葉を送ってから私の隣に座る。いつもの席だ。
いただきます、と両手をちゃんと合わせてから一口食べて、
「……先輩の裏切り者ぉぉぉぉ!!」
心の底からそう思って恨めしげに正面の学ランを睨みつけた。それに心外だと言わんばかりに眉をひそめる先輩。
「はぁ!? なんだよお前、人がわざわざ! 作りに来て! やったのにッ!?」
「私より美味しいとか何なのもうっ! 悔しい! ふざけんな!」
「プライドかなぐり捨てて来た割には簡単にキレてるじゃねぇか!」
「確かに姉ちゃんより美味しいけど落ち着いてよ、啓太さんびっくりしてんじゃん! ほら、きっと二年の差だよ、二年の、ね!?」
「桐彦あんた慰めになってないから! むしろ傷口に塩塗り込んでるから! さりげなく『姉ちゃんより美味しい』とか言ってるから!」
味付けといいぱらぱら具合といい、私より全然上手だった。これでも料理には自信があったのに、何だか完全敗北した気分で眉間にシワを寄せてチャーハンを睨む。いや、これが八つ当たりなのは分かっているのだが、いかんせん悔しい。料理という女子力パラメータ項目において、男である先輩にこうまで負けたのが悔しい。絶対料理なんかできないと思っていたのに、啓太先輩は予想以上にハイスペックだったようだ。
それでも美味しいものは美味しいので、不承不承黙々と箸を動かして口に放り込んでいると、先輩が急に箸を止めて訊いてきた。
「目の調子はどうだ。今朝視力が戻ったって聞いたけど」
「……まぁ、それなりに。もうほとんど痛みはないですし」
「嘘だな。お前今力を使えてないだろ。痛そうだぞ、顔が」
「あぐ……」
そうだった、今はいつもの頼みの綱である魔法が使えないのだった。自分の失策に気付いて呻き声を漏らした。どれくらいこの目の痛みが持続するのか分からないが、案外これは厳しいかもしれない。麻薬のように魔法に溺れている私にとって、魔法の使えない時間というのは辛い。
何より、不安になるのだ。
魔法が使えないとこうなのか、ああなのか、そう判断されることが不安だ。魔法を使えるときの私と使えない私を比較されるのが恐ろしい。その差異の大きさに気付かれないか怖い。
これは、この後待っているだろう魔法同盟組との再会でも苦戦しそうだ、と頭の中で嫌な予感を弾きだしたところで、先輩が話を変えた。
「……いろいろと、オレも訊きたいことがあるんだが、いいか」
「おっ、私も実は訊きたいことがあります。……桐彦、ちょっときなくさい話だけどいい?」
寸前まで考えていたことなんて無かったように受け答えして弟に問うと、すればいいじゃん、と素っ気ない言葉が返ってきた。まだ九歳の弟に、姉が撃たれたどうのこうのの話を聞かせるのは忍びないが、桐彦が聞くつもりが無いなら今はやめてとはっきり言うだろうから気になっているのだと思う。そして気になっているなら、こいつは意地でもここから動かずに話を聞こうとするだろうから、これ以上は言っても無駄だ。
そう判断して、私は先輩にどうぞ、と促した。
「……それじゃ、聞くけど……あのタワーにいた連中は、《魔法使い》で間違いないんだよな? それで、オレが紙切れを貼り付けたのは《魔法使い》のクーデター犯、その周りにいたのが最近お前が通っていたシェアハウスにいる《魔法使い》?」
「……ありゃあ、バレてたんですか? ……すみません。情報だけ持って帰ってきて、先輩に報告するつもりだったんですけど……最初は私全力であの組織を怪しんでいましたし。それに一般人の先輩に下手にあの集団を報告して、何かあったら困りますから言わないでいたんです。ま、結局今のところは有力情報は無いんですけど」
そう言って肩をすくめる。
「はい、そうです。先輩が見た緑の光や赤い炎は、全部魔法なんです。もちろん警察官を操っていたのも、魔法使いのクーデター犯、つまり先輩がお札を貼った女の人の魔法でした。周りにいたのは確かに私の知り合いの魔法使いさんたちです」
「……そうか。ひとり、あの文房具屋の防犯カメラに映ってた女がいたから、だろうなとは思ってた。しかしまぁ、魔法使いってのは年齢は関係ないんだな。小学生のガキもいただろ、あそこに」
「あー……イオリくんのことですか? あれでも、あの支部のメンバーとしては古参だそうですよ。桐彦と同じ九歳。たまたまこいつと同じクラスで、不登校のあの子に配布物を届けに行ったときに、いろいろあって魔法使いだってことが分かりまして。つい最近の話なんですがね」
「……そのいろいろっていうのが気になるところだが、そこはともかく」
と、先輩は一度言葉を切った。それから一度ちらりと私たち姉弟を見てから、言いづらそうに目を泳がせる。最初に魔法使いの噂を聞いたと切り出すその直前と良く似た動作に、思わず淡い微笑みをこぼした。分かりやすい人だ。無駄だろうなとは思いつつもそっと助け船を出してやる。
「桐彦にはあまり聞かせたくない話みたいだけど、どうする?」
「ヤだね。僕だって姉ちゃんの弟だ。話を聞くケンリはあるでしょ」
「だ、そうですよ? そして私は当事者ですので質問にはお答えします」
即答した私たちの顔をじっと、見定めるように見詰めた先輩は、やがて微かに諦めの表情を浮かべてそうかよ、と吐き捨てるように呟いた。
「お前ら、本当姉弟だな。そっくりだぜその顔、ちょっとイラっとする……まぁいい。オレが訊きたいのは、あとこれだけだからな」
台詞の前半部に文句をつける暇も無く、先輩は真剣な表情で私たちを……正確には私を見て、質問した。
「――――お前、ライフルで撃たれたはずのとき、何をしたんだ」
びくり、と桐彦の肩が震えたのに対し、私はああやっぱり来たか程度の感慨しか抱かなかった。きっとトキヒロたちにも同じことを聞かれるだろうと思う。あの場にいた人間ならば、誰もが疑問に思うことだろうから。
私は安心させるようにぽすっと弟の頭に手を置いてから、笑う。
「そうですね……あははは、まぁちょっと無理が祟りましたね! アレ、本来はオーバーワーク、キャパオーバーの裏技みたいなもので、ある《親切な》お人の忠告が無ければ上手くいかなかったはずのことなんですー!」
「笑って誤魔化すな。気を抜いた途端ぶっ倒れるようなことしてたんだろ、『ちょっと』の無理じゃないだろうが。その《親切》な人が誰なんだか知らねぇけど、全部洗いざらい話してもらうからな」
ふざけた口調での言葉に思いのほか本気で返事を返され、しかもぎんっと鋭い眼光でこちらを睨むものだから身が竦んでしまった。あれ、こんなに迫力のある人だったろうか。何か成長したような、ひとつ峠を越えたようなそんな顔の先輩を見てふと思う。今の私が弱気なだけ? もしくは……先輩が、何か覚悟でも決めたのか? 少しだけ疑問を感じながら、話を続ける。
「もう、怖いですよーっ先輩! ちゃあんと話しますって、安心してくださいっ! ……まず、あの作戦が成功したのは、私の知り合った魔法使いの中に《予知夢》の魔法使いがいたからなんです。私は知らなかったんですけどね、その人はそれはもうエグイ魔法を使う……いえ、勝手に使わされて振り回されている人でして」
あの、柄の悪い派手な服装で、貴金属をぶらさげ、場所を考えずに小学生がビビるに十分な怒鳴り声を上げる青年のことを思い出しながら、私は言う。
「その人の夢は少々特殊なんだそうです。もちろん普通の、とりとめもない夢を見る事もあれば、――――誰かが亡くなったり怪我をしたりする夢を見ることもある、と。そしてまたタチの悪いことに、その亡くなったり怪我したりする夢はすべて『確実に当たる』らしいんです。的中率は百パーセント、その人が夢に見たら、そのことは確実に現実になる」
いつも目元に浮かべていた隈の意味は、彼の魔法にあったのだ。誰かが死に、誰かが傷つく夢を見るのが嫌で、徹夜を繰り返していたんだと思う。その推測は何度か聞いたシュンやリンカの言葉が証明していた。寝ている間に制御も出来ずに発動する《夢測》と名付けられた魔法が、もし私のものだったら。そう考えるだけでぞっとした。そして同時に、その悪夢のような魔法に耐えている彼のメンタルの強さを思うと忍びなくなってくるのを抑えて、言葉を続ける。
「その人が、私が撃たれる夢を見たらしいと教えてくれた人がいたんです。……あっと、あの魔法使い組の和服の人です、多分。で、その人から詳しいその夢の内容を聞いて、二日間わッるい頭で考えて、アレを思い付いたんです」
――――それでは種明かしと行こうか。
夢の的中率は百パーセント。
それが外れることは有り得ない。傍から聞けば、普通に考えてかなり絶望的な状況である。
アキの語った夢の内容では、私はライフルによって肩を撃ち抜かれて倒れ、その出血量からして助かりそうもなかったという話だった。あくまでユウキの主観による言葉なわけだが、彼はその夢のせいで多くの死を見てきた人間だ、そのあたりの目安は身にしみついているから、彼にとっては不本意だろうがそれは正しい見方なのだろう。
だが、その状況の中にひとつだけ、私が生き残るという考えの根拠たるものがあった。それが、ユウキの魔法が切れるそのときに見えた、『オレンジ色の閃光』である。
面識のなかったアキはともかく、ユウキは何度か顔を合わせ彼の目の前で、表情をごまかすために魔法を使ったこともある。だが私は癖として、魔法を使った印であるオレンジの閃光と二重円を更に魔法で覆い隠すということを日常的に行っていた。よって、ユウキは私が魔法を使うと、オレンジの光が発せられるということを知らなかったのだ。どころか、私が彼の前で魔法を使っていることすら知らなかっただろう。
つまり、確実に起こる未来の現象である私の死を知っていたのは、ユウキとアキの両名のみ。彼ら二人は、私の魔法による光も図形も知らなかった。そして夢の内容上、他のメンバーに教えるべきではないと判断したのか、他のメンバーは何も知らなかった。魔法を使ったときの印を知っているリンカやトキヒロが知らなかった。
それに結果的に救われた。
「……おい、お前、まさか……」
「そのまさか、で多分合ってると思います。――――ユウキの夢で撃たれた私は『幻』だろうと、そう仮定したんです」
戦々恐々としたような珍しい表情の先輩をからかうように笑う。ただし、魔法は使わない自力での演技だ。実際は目が痛すぎて笑うどころではない。
「そもそも私、あのクーデター犯の〈人形〉さんとは面識とかカケラもないですし、それに自分がお人好しのハイエンドのつもりもありません。見ず知らずに等しい、しかも人質を取るような彼女がいかに正当な理由を掲げてあの騒動を引き起こしたにせよ、ライフルから庇うなんて有り得ないと思ったんです。……私は、そんな神様みたいな人じゃない」
そう、私は決して優しくない。
多分、私はユウキの夢が無かったら、撃たれる彼女をただ無表情で眺めるだけだったのだろうと思う。別に彼女には何の思い入れもないし、同情するポイントもない。無関係の人間が撃たれたからなんだって言うんだ、と私は冷たく言い放ったはずである。
「だから、もしそうするんだとしたら私は魔法を使ったんだろうと思ったわけです。生身で庇うなんて冗談じゃありませんけど、魔法ならつまり幻、基本的には《存在しない》。銃弾で撃たれようとナイフで刺されようと、それはそこに無いんだから透過してすり抜ける。私本人には、傷一つつかない――――だから私は死なないだろうと七割推測して、残りの三割はそのあたりの推測が全部外れていて、私が本当にライフルの前に立った場合に、っていう考えです」
あの金属バットの襲撃事件のときに見せた壁も、本来は存在しないので、あのままバットが振り下ろされれば私たちは殴られていた。幻である以上、そして人を騙す代物である以上その質量感や存在感は大切で、魔法の精度を上げればその分幻に見えなくなる。でも、それはしょせんハリボテなので、存在する物体には叶わないのだ。
「……いや、でも、ヘンだよ」
そう口を挟んだのは桐彦だった。深く考えないタチのこいつだが、今ばかりは考え事をしているのが手に取るように分かる。
「姉ちゃんの魔法は確かにすごいけど、でも、人ひとりを魔法で見せるなんて気付かれないはずないじゃん。自分を別人にって言うならまだ分かるよ? でもそーじゃなくてさ、離れた場所に、自分の姿を作ったんでしょ? バレないはずなくない? 知り合いなんだし」
「うん、まぁ、本来はそう。いくらなんでも、とっきーたちは気付いたと思う。でも私が皆を騙せば良かったのは、その撃たれる直前と直後、長くても合わせて一分くらい。それならできた」
「……? 一分だぞ? お前確か、物体を見せるだけでも相当疲れるんじゃなかったか。それなのに一分も力を使い続けるなんて無理難題なんじゃ」
「はい、先輩が言ってることは正しいです。正直最初は無理だと思いましたけどね、要は、少しでも認識が遅れてくれれば良かったんです」
私の言葉に首を傾げるふたり。
そろそろ本格的に目がヤバいのだが、話を中断するわけにもいかない。私には全部を説明する義務があるのだ。
「私はあの日、いつもより派手な服装でしたよね。白と赤のリュックにフード、黒いジャケット、黄色とオレンジのインナーにショートパンツにスニーカー。ジャケットとかはともかく、私は赤白シマシマのリュック附属のフードを被っていました。正直趣味じゃないんですけど、中学時代に友達に推されて買ったものなんです、あれ。あの子最初ピンクにレースふりっふりのリュック勧めてきましたからね、全力でお断り申し上げました!」
「お前の数少ない友達が少女趣味なのはよぉく分かった。どうでもいいから話を続けろ」
ざっくり切り捨てられた。ひどい。言葉通り数少ない友達なのに。
「……で、その派手な服が大事だったんです。普段の私は着ないような服装であることが、今回の作戦のミソでした。とりあえず作戦内容としては、私の幻が撃たれて皆が動揺している間に、なんとかして〈人形〉さんを捕まえるというものだったので、撃たれた私が幻だったと気付かれるのは〈人形〉さんを確保してからでなければならなかった。本当は私があの人を捕まえるつもりだったんですが、思った以上に魔法で体力を削っちゃって、動けなかったんですよねぇ」
結局、彼女を無力化したのは、先輩だったのだけれども。
お札めいた紙を彼女に貼り付けた、先輩だったのだが。
「ライフルの銃口の先に出現させた『私の幻』は撃たれます。そりゃあそうです、狙ってる目標との間にいきなり誰か知らない人間が突然現れたら弾の軌道も逸れますよね! 逸れないって可能性は、幸いユウキの夢が潰していてくれたので良かったんですけど……夢では肩を撃たれた私でしたが、実際はちょっと幻の位置をミスって心臓をやられちゃいました。まぁ、幻ですけど。……ここはいいんです、撃った人は知り合いじゃなかったから、とりあえず弾が逸れてくれれば成功と言えましょう」
想定以上に溜まっていた疲れが原因で、夢の内容とはズレを生じてしまったのである。あの瞬間はヤバいと思って肝が冷えた。敵を騙すにはまず味方から。別に彼等は味方ではないが、夢での撃たれた場所を知るユウキとアキには、少しの誤差であっても違和感を抱かれては困ったのだ。結局のところ滞りはなく次の段階に移れたのは幸いだった。
「で、第二段階。ここで私の派手な服が効いてくれました――――撃たれて血が出ると言う幻を見せるのは少々手間でしてね、即座にぽんと出せるようなもんじゃないんですよ! 液体なんてなおさら難しいんです。無機物は簡単、有機物は困難、液体は難関でした。だから、何度か練習をしたら、私が幻で液体を再現するまでに一秒の半分かかることが分かったんです。でも、人を騙す幻に一秒の半分は致命的すぎる。――――だから、派手な服で行ったんです。《目の前で人が撃たれたという衝撃による認識の遅れと、服装がいつもとズレていることによる認識の遅れ》を狙うために」
人間は意外と、見慣れた人間が見慣れない服装だと認識が遅れることがある。髪型を変えたら別人に見えたとか、そういうものだ。ただでさえ人が撃たれるという緊急事態、加えて撃たれたそいつはいつもと違う派手な服だから皆はすぐに私と判断はできまい。二つの衝撃を合わせれば、一秒の半分というロスタイムを満たすことは出来る、そう踏んだ上での服装だったのである。
「……なるほど。期橋にしちゃ、考えたな」
「命懸かってましたからね。そして第三段階、倒れる。このときフードを被ったままにするのも大切で、少しばかり集中力が切れてしまってもバレにくくしたんです。どうしても限界が来たらフードで隠れた顔を変えるようにした。顔が違ったところで緊急事態だから誰も気付かないだろうと……で、第四段階は〈人形〉さん確保だったんですが、その前に大誤算。とっきー、ことトキヒロくんが私に駆け寄ってきたこと。実はうっかりアキさんからそのことを聞き損ねてまして、内心揺さぶられないかとヒヤヒヤしてたんです。もし触られたらマボロシだって即バレですからね」
「ああ、そうだね。そしたら、トキヒロさんの手が姉ちゃんの身体を通り過ぎるっていう心霊現象が起きちゃう。それじゃヘンだって分かっちゃうから……」
「そう。だからそこで抜きかけてた気を入れ直してフルで使ったんで、動けなくなっちゃったわけ。……こんな感じのネタばらしになりますね。私はただ、魔法を使っただけです。別に特殊なことはやってないですよー」
一息に言葉を紡いで、私は深呼吸した。さすがに疲れてきたのである。ついでに空腹が加速したような気がしたので目の前のチャーハンをかきこんだ。すごく美味しい。そしてめちゃくちゃ悔しい。
ついでに説明を付け加えておくと、最後、トキヒロに魔法を使うよう促せた理由は私が前についた嘘にある。向こうは私がトキヒロの魔法を知らないと思っているだろうけれど、実はあの魔法のきっかけを聞いた、トキヒロに魔法を見破られたその日の彼の台詞を思い出したのだった。『オレの魔法で《遮断》したって、忘れない奴が大半だ』というそれを。だから多分記憶喪失的な事ができるんだろうという、そんな適当な考えだ。もし違っていたら私は盛大にスベるだけで、彼らがいつもするであろう処理をしてあの場は終了した。だから、あの魔法はさほど大きな意味も無かったのかもしれない。
先輩は私の説明にしばし考え込んだかと思うと、ぽつりと述べた。
「随分と危なっかしい賭けだったんだな」
「……ですねぇ。今思えばよく成功したもんです。あー、これが噂のビギナーズラック? どれもこれも、上手く行ったのが不思議で仕方ないですよーぅ!」
「いや……確かに賭けは多かったけど、ビギナーズラックもあっただろうけど、お前はよくやったよ。さすが、自分を詐欺師と称するだけある。最初はオレも完璧に騙された」
……へ?
まさか褒められるとは思っていなくて、わたしはぽかんと間抜けに目を見開いた。先輩が人を褒めるなんて、それも私を褒めるなんて何事だ。明日は槍でも降ってくるのか?
「……天変地異が起きそうだ、みたいなカオやめろ。ぶん殴るぞ」
「え、だ、だって先輩が!? 私を!? 褒める、なんて!? あ、り、え、な、いっ!!」
本当に有り得ないと思って叫んだ台詞に先輩は、
「あのなぁ……今回はお前、本当によくやったよ。心臓に悪いやり方だったのは確かだが、馬鹿なお前にしては考えた。それに、お前神様じゃないとかぬかしてたけど、幻であれ何であれ自分の力で人一人の命を助けたってことにもう少し自信を持てよ。優しさだろうが偽善だろうが利害関係での行動だろうが、やったことは人命救助なんだから。その過小評価、あんまり良くないと思うぜ」
「……先輩、いきなり私を褒め殺すつもりですか……?」
「なんでそうなるんだよお前! オレが珍しくアドバイスをくれてやったのに!?」
「いつもバカにしてばっかりの啓太さんが姉ちゃんを褒めるなんて、……啓太さん、変なキノコでも食べたの……?」
「おい期橋弟、違うからな!?」
諦めたようにため息をついて私たちを見る先輩は、やっぱり少し違って見えた。うん、覚悟を決めたという言葉が正しそうだ。それが一体何に対しての覚悟なのかは分からないけれど、きっと先輩がいつか見せた、らしくもない愛想笑いなど二度とさせないような、大切なものだろうことは察した。そしてそれが先輩が追い続けるいとこさんが関係しているだろうことも。
そんなことを考えたのは、多分照れ隠しみたいなものだった。褒められることに慣れていない私なので、いきなり褒め言葉を羅列した先輩に動揺もしたのだ。だがそれを悟られるのはシャクだったので、私は場の雰囲気を変えるように、
「――――あの、先輩。今度は、私から質問しても、」
言葉を言い切ることは出来なかった。
突然、ぴんぽーん、と家のチャイムが鳴り響いたからである。桐彦と顔を見合わせると、よくできた弟であるこいつはひょこっと椅子から降りてインターホンに出た。
「はい、期橋ですけど。……あ、どうも。うん、いる。……ただ、今別の人来てるんだけど。構わない、って、いやあっちが構うでしょ。ちょっと待ってて、今聞くから」
受話器を手にこちらを振り返る弟。
「姉ちゃん、啓太さん、……来てるんだけど。魔法使いさん」
「えッ!? マジ!? う、ううう嘘はやっ」
「あ? 別にオレは構わないぜ、期橋弟。魔法使いってんならオレも会ってみたいし?」
動揺しまくりの私の前で涼しい顔で言い放つ先輩。はぁ? ちょっと何言ってくれてるんですか!? という言葉はすっかり出てこなくて、弟は勝手に私まで了承したと解釈したのか受話器に向けて「今開けに行くから」なんて返してしまい、そのままてくてくと玄関へ……。
って! いや私、実況している場合じゃないっ!
まだ目は痛むので急な動きは避けたいところだったが、正直言ってまだ彼らに色々言うべき言葉がまとまっていないのも事実だし、大丈夫そうだと判断はしたけれどまたあんな事件に先輩を巻き込みかねないわけで、本当は魔法使いである彼らと接触させたくないし。一瞬で駆け巡った言い訳の数々を抱えたまま、私は椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がって、制止の声を上げる先輩を無視して桐彦に追いすがった。
本当は違う。私が、あんな悪趣味な騙し方しかできなかったということに対する罪悪感に対しての整理が出来ていなかったのだ。謝罪と感謝の言葉をまとめられなかったのだ。
「っ、桐彦ちょっとタイムっ!」
「だが断る」
どこで覚えてきたそのネタぁ! と叫びたくなる言葉でもって私の制止を無視した弟を止めるべく、咄嗟に伸ばした手は僅差で届かなかった。素早く解錠され、ドアが開く。
途端射し込んできた昼の光が目に突き刺さって、思わず私は目を瞑った。まだ視力回復したての私には突然の光は凶器と同じような物で、ああこれは容易に追いかけてくるんじゃなかったと密かに後悔。
だがその後悔を自覚したそのとき、耳朶を低い怒鳴り声が打ちそれどころではなくなった。
「……紀沙、お前なにやってんだよっ!!」
「ほへぇ!?」
情けない悲鳴を上げたのも致し方ないと思ってほしい。突然ぐいっと左腕を引かれたかと思ったら、勢いよく誰かの身体にぶつかったのだから。
え、な、何? 状況が読めない、光に眩んだのと痛みで目が開けられない。今私誰かに受け止められたのか? え、と、誰に?
混乱しきった頭に、まるで解答のように流れ込んでくる声。
「びっくりしただろうが! 死んだと思った、また、いなくなるかと思った! また忘れなきゃなんないかと思った、馬鹿な真似すんな馬鹿! こんにゃろ、お前、しばらく許さないからな……ッ!!」
「……と、……とっ、きー?」
「もう二度と馬鹿な真似しないでくれよ、こっちの身にもなってくれ……!」
顔を上げる事も許されなかった。ぎゅっと、私の背中にまわされた腕に力がこもったからだった。
その状況が傍から見るとどんなかとか、周りに誰がいるとか、またって何だろうとか、そういったことがすべて頭から抜けていく。驚きすぎて思考回路がまともに働かない。ただ呆然と、あったかいなぁ、と思った。
なんだろう。その温かさに、安心した。
「……とっきー。私、大丈夫だから。とりあえず苦しいよ、離してくれる?」
「……あ、ご、ごめんな、そのつい」
ぱっと今更思い出したように離れたトキヒロに、その後ろからひょっこり顔を覗かせたシュンがにんまりと笑った。
「ありゃりゃー、紀沙ちゃんが心配だったからって病み上がりにそれは無いよトキヒロ! ごめんね紀沙ちゃん、トキヒロってばこの一週間一言目には紀沙ちゃん紀沙ちゃんってさぁ」
「……シュン、それくらいにしときなよ」
シュンの隣にいたササが問答無用とでも言いたげに彼の足の甲を踏みつけたせいで、シュンから「うぎゃっ」という蛙の潰れたような悲鳴が聞こえた。
「あー、その、大丈夫か手前……色々こっちも謝ンなきゃなんねェんだけど、元気そうで何より、だ」
ユウキがぶっきらぼうに言葉を並べれば、あら、なんて和服の彼女、アキが微笑む。
「バイトもロクに手がつかないくらい心配してらっしゃったのに、そんな言い方では誤解を招きますわよユウキ?」
「……アキも結構、心配、してたのに……素直じゃな」
「なにか言いましてイオリ?」
「ひえぇぇぇ!? な、なにも言ってないよ!!」
怯えたようにリンカに縋り付いたイオリを見て、彼女は困ったようにふわりと微笑んだ。それから私のほうに視線を向けて、心の底から安堵したような優しい表情を浮かべる。
「良かった、紀沙ちゃん。お久しぶり」
そして、私から離れたトキヒロが、真剣な表情で。
「本当に――――生きてて良かった」
そこにいた魔法同盟関東支部64号局のメンバーたちの姿に、なぜだか喉が詰まった。
もう今は馬鹿みたいに突っ立っているだけなのに、誰にも触れられているわけではないのに、なんだかとっても温かくてほっとする。あれ、おかしいな、私はこんなに彼らと馴染んだ仲だったかな。ちょっと不思議な気分になって、それから私は何を言えばいいのか分からなくなって、桐彦に視線を投げた。
「姉ちゃん、なにおどおどしてるの? 言いたいことあるんでしょ。言えばいいじゃん」
そりゃあ言いたいことはある。たくさんある。私を心配してくれたことへの感謝も、あんな風にしかできなかった謝罪も。でもそれを言おうにもどう言葉にまとめればいいのか分からない。いつもの調子で言ったら、そこに込めたはずの本物の気持ちがどこかへ消し飛んでしまうような気がして。
後ろから不意に声が飛んできた。
「期橋、オレからすればお前は詐欺師でもなんでもないただの後輩だ。だから安心しろよ。お前の言った言葉が嘘だけだなんて、オレはそれこそ信じてねぇよ。……そいつらも、一緒なんじゃねぇの」
ああ、もう、先輩、あんた本当にタチが悪い。
思わず私はそうぼそりと呟いた。なんで、この人はいちいち琴線に触れることばっかり言ってくるんだろう。なんだよ、いつも私の心に巣食っていた臆病虫が、今ばかりは尻尾を巻いて逃げだしてしまったじゃないか。この一件で先輩にしたかった質問があったことも忘れて、私は覚悟を決めるように、
すぅ、と、ひとつ息を吸い込んだ。
――――詐欺師を自称してずっと人を騙しているのは、私、期橋紀沙という人間だ。きっとそれはこれからも変わらない。もしこの魔法が無くなろうとも、私はずっと嘘をつくだろうし、ずっと人を騙して行くことだろう。汚くて臆病で怖がりな自分を虚構の城壁で覆い隠して圧し潰して、人には見せようとしないんだろう。
けれど、私は今。
自分の見せた幻が結果的に〈人形〉を救い、自分を救い、更にはここにいる彼らのことも守れたのかもしれないと、そう思った。あの幻がなければライフル弾は〈人形〉に被弾して彼女は亡くなっていただろうし、自分もあの作戦を思い付けなければ死んでいたのかもしれない。そして私が死んでしまえば、優しい彼等はきっと私の為に悲しんだのだろうと思う。悔しいながら、先輩の言う通り。
ならば、と、私は思う。
今は、今だけは、――――自分のこれまで生み出した無数の幻覚たちに、感謝をしよう。そして自分の幻を、本当に今だけは誇りに思うことにしよう。
そして、これからは、弱すぎる自分を守るための幻ではなく、そんな風に誰かを守る虚構を語ることができたら。
そんな未来の想像を、まぶたに焼き付けるようにして。
目の痛みすらも誇りに思えるように、私は魔法の力ではない笑顔で、言葉を紡いだ。




