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嘘つきダイアリー  作者: 八谷杉幾未
悪辣虚構テラー
10/41

4-1 虚構語り

 約二週間ぶりの投稿になります、八谷杉です。

 さりげ1200アクセス突破しました。ありがとうございます!!


 今回からようやく、ちゃあんとお話が動き出します。多分。予定ではあと三回の更新でひと段落なのですが、それ通りに行くか怪しくなって参りました。それでも読んでいただけたら嬉しいです。


 ≪漣の空≫様、ご感想ありがとうございました!


 それでは、今回もどうぞよろしくです。


 

 視界が次第に判然としてきた。

 

 暗闇に溶けて何も見えなかった視野に徐々に明かりが差し込み、視線を向けた先の世界を映し出す。そこは、どこかのタワーの展望台のようだった。全面をガラスで覆われたそこには数百は下らないだろう観光客らしき人々が、手を強固な結束バンドで縛られていた。今や百円均一ショップで手に入る品だが、その拘束力は侮るべきではない。


 群衆は一様に怯えていた。不安そうに目を瞬く者、今にも泣き出しそうな学生、必死で悲鳴と嗚咽を抑えるために何事かを囁き合う者。その視線はきょどきょどとして落ち着かない。


 視界が少し動いて、群衆の周囲を捉えた。目を見開いたのか視界が広がる。座らされ恐怖に震える群衆の周りには、驚愕すべきことに青色の制服を着た警察官がいた。だが、群衆を包囲するように綺麗な円形に整列している彼らの目はすべて虚ろ。光をまともに映していない。


 この目に見覚えがあった。そして瞬間、脳裏を嫌な予感がかすめる。彼らが揃いも揃って両手で何かを構えているのが見えた。黒光りする鉄の塊。


 何度となく。


 動くことのできないこの閉鎖的で退廃した白黒の世界で、何度となく引かれ、その度に違う命が奪われた引鉄が、死刑宣告を下す悪魔か、はたまた嘲笑う神に思えて。


 動け、動け、動け! そう怒鳴りつけても叫びたくても、ここでは因われた存在である自分にそんな真似はできない。代わりだとでも言いたいのか、動かせないくせに感覚だけは健在の自分の体にばちりとした衝撃が走った。顔は動かせないけれどわかる。今、自分の左半身はまるで焼け焦げた炭のような黒鉛色になっているはずだった――――こそが、このモノクロが夢であり、ただし《必ず実現する》夢であることを証明してしまう、絶望への通行手形。

 

 決死の抵抗も虚しく、群衆の中央にいた人物がゆらりと立ち上がった。夜空のような黒髪にぼんやりとして焦点の合わない瞳。感情が抜け落ちたような無表情なので、そのさえざえとした顔立ちが異端のように際立つ。

  

 顔は見たことがなかったが、彼女が誰なのか、分かってしまった。


 にやり、と。


 口角がゆるゆる持ち上がり、都市伝説の口裂け女よろしく真っ赤な唇を裂けて、彼女は不意に手を挙げた。


 しっかりとこちらを見据えて……その目に憎悪と怨念と無念、失望を宿してこちらを睨めつけて、そして、彼女が口を開くのを黙って見ていることしかできない。


 だが彼女が、聞き取ることも困難なほどの声量で何事か呟いた直後、どこからか号令が発せられた。聞き覚えのある声だ。だけれどどこか不自然。あれ、と違和感を覚えた。この声の主は、気弱で物腰柔らかく、ましてや目の前のあの黒髪の女にそんな命令など出せない男のはずなのに。


 だがそんな違和感が何を出来るでもない。彼の言葉が耳を突き刺した。


「『  』を許可する」


 撃て。


 ぱぁん、と軽く高らかな音が聞こえて、視界にまるで嘘のような赤色が舞い散った。けれど予想と反して、その赤色の出処は黒髪の女ではなく、いつの間にかこちらと彼女を隔てるような位置に、彼女の目の前に≪誰か≫が立っていて、その人物を見た途端に呼吸が止まりそうになった。


「っ、そ、だろっ!? おい、なんでそこに……っ、馬鹿か!」


 聞き慣れたバイト仲間の年下の声と同時、≪誰か≫はぐらりと倒れた。


 どくどくどくどくどくどく、白黒の世界でそこだけが赤い赤い緋色の液体が床に広がる。血だまりだと理解するまでそう時間は掛からない。すぐ後ろで大切な妹の動揺した悲鳴と、ひっと息を呑んだ最年少の気配。視界の反対側で同じように見ていることしかできなかった炎使いの中学生が、目を見開いて何事か叫ぶが、聞こえない。


 最初に叫んだ仲間が倒れた誰かに駆け寄り、叫ぶ。黒髪の女は事態を飲み込めていないのか立ち尽くしたままで、警察隊も動く気配はなく、


 そこで視界がオレンジ色に眩んだ。


 いつもと違う終わり方だ――――いつもは、赤いペンキでも被ったかのように視界が奪われるのに。感覚が急速な落下を体験しているかのように痙攣して思うように動かない。やめろ、その先を見せてくれ、叫ぼうとしても声は出ない。


 意識が遠のき白黒が明滅して、遅ればせながら真っ赤な閃光が意識を支配していく。微かに見えた視線の先で、燻っていた光の色は、








「……キ、ユ……ウ! ……ユウキ!!」


 かなり乱暴に揺すぶられて、青年、小柳悠樹は目を覚ました。


 目の前でこちらを覗き込んでいた人物が意外な人物であったことに驚いて、一瞬呼吸が止まりそうになる。視界の実に八割を、最初こそ驚愕したが今となっては見慣れた色のライトイエローが覆っていた。距離が近すぎる。なんなんだ手前。


 いつもならそんな風に軽口を叩けただろうが、彼にそんな余裕は残されていなかった。はっとなってから現状を把握しようと周囲を見渡す。


 場所はユウキ自身の私室だった。当たり前と言えば当たり前で、昨日の午後十一時過ぎにバイト先から帰宅した彼は、妹であるリンカの用意してくれた夕飯を残さず平らげてから風呂に入り……それから、洗い物を片付けて、この部屋にやって来た。


 そこまで思い出して、ユウキは自分の投げ出した右手の先にゲームコントローラが放り出されているのを見つけた。あ、と思って視線を真正面に戻せば、そこの小さなテレビ画面には『Game Over』の文字。そうだった、昨夜は数週間前から攻略を始めたアクションゲームを起動したのだ。リアルタイム戦闘タイプのもので、身の丈ほどもある大剣を担いだ筋肉質な男キャラが、ダンジョンの石畳に倒れている。どくどくと血だまりが出来ているその様は、まるであの夢のようで。


「……、最悪だ……寝落ち回避のためにゲームしてたのにゲームで寝落ちとか死にてェ……」


 しかも見た夢が見た夢だ。ユウキにとってありとあらゆる睡眠時間は全てが最悪だが、今日の夢見は史上最悪レベルと言えよう。全身にはびっしょりと嫌な汗をかいているし、正直言ってまだ寒気がするし身体が震えそうだった。だが、そんな無様をこの場にいて彼を起こしてくれたのであろう彼女に見せるわけにも行かない。


 精一杯の虚勢を意識しながら、ユウキは気遣わしげにこちらを見つめてくるライトイエローにひらひらと手を振った。


「オレぁ大丈夫だ。それより手前、仕事は? 締切が近いからどうのってシュンから聞いたぜ」


「……先ほど終わらせてきたところですわ。これであと二日はゆっくりできそうです。今回は依頼件数が七件もあったから手間取りましたけれど、わたくし本来は仕事の早い人間ですのよ」


「他にやることがねェ、の間違いじゃねェのかよ。手前十七だろ? いつまでもイラストレーターしてられんのかッてェの」


「あらあら、自分の愛することで食べていくことって、ロマンがあって素敵じゃありませんこと?」


 こちらの皮肉も意に介した様子なく、えくぼを深くして微笑む彼女は、仕事柄基本的に出かけるわけでもあるまいに、普段着として和装なのが常である。今日は爽やかな青竹色のもので、乱れなく巻かれた帯は白桃を連想させるような色。


 ゲームをするときいつも座っている、つまり今現在ユウキの座る使い古した座布団の上であぐらをかきなおし、ふいと部屋にある回転椅子を指差すと、彼女はしっとり笑ってそこに座った。彼女は言葉遣いや丁寧な物腰からも察せられるとおり、良家に生まれた子どもだった。本来ならこんなシェアハウスでなく、武家屋敷のようないかめしい場所にいたはずの生い立ちである。


 けれどここでの生活が心底楽しいの、と彼女は朗らかに笑うことが多かった。そもそも閉じ込められるようにして育った彼女にとって、外の世界は誰と一緒であれたいそう魅力的に見えるのだろう。たとえ普段は曖昧な色の入った色眼鏡を掛けなければ外もまともに歩けないにせよ、閉じ込められるよりはマシだと、いつだか言っていたような気がする。  


 ライトイエローの瞳を穏やかに細めた、和服姿の彼女の名は、秋羽根葉月(あきばねはづき)。


 魔法同盟64号支部局の新人である期橋紀沙が、支部の人間の中で唯一会っていない、最後の同僚である。


「それにしても、随分、うなされていたようですわね。大丈夫なんて虚言に騙されませんよ」


「……」


 相変わらずの目だ。


 それは、観察力では決してない。彼女自身はその目さえなければかなりの鈍さであって、空気の読めなさはピカイチと言える。けれど、誰かと向かい合っているとき、人の心情には誰よりも敏感だ。


「今のユウキは……群青、ですわ。心配、不安、動揺。それから少しの赤銅色は焦り。……また、でしたのね」


「……、またも、なにも。寝ちまったんだから、そりゃ見るさ」


 睡魔に負けたオレが悪ィんだよ、とぼそぼそ言い返して、ユウキはコントローラーを手にとった。『continue?』の表示を無視してゲームを終了し、電源ごとぶっちぎる。画面が漆黒に沈黙した。


「そんなこと言わないでくださいな。このところ無理をしてアルバイトばかりだったのでしょう? 休んだらいかがですの?」


「……問題ねェよ。女に心配されるほどヤワじゃねェから」


「イオリやシュンも心配してましたわ」


「っ、そういう、問題じゃねェンだよ」


 なんで、こいつはいちいち首を突っ込んでくるんだ。鬱陶しく思った気持ちは彼女にストレートに伝わることを知っていたけれど、普段からからかわれてんだ、そんくらいいいだろと開き直ることにする。ぎょろり、と隈の浮かぶ目で睨み付ければ、呆れたようにため息をつかれた。


「心配をかけたくないのは分かりますわ。そもそも操作以前の魔法である以上、どうしようもないのですし。けれど、それで無理をされるのは嫌だということですわよ。リンカも最近気にかけているようですわ」


 誰に分かられてたまるか、こんなオレを。


 半ば自暴自棄に近い気分で乱雑に立ち上がれば、アキはその目に憂いの色を湛えてこちらを無言で見つめるばかりだった。今、あいつから見たオレはどんな色をしているんだろう。激怒の赤か、疲れの冬色か、それとも彼女が最も嫌う黒色か。傷付けるように突き放した癖にそんなことが気になるオレは、やっぱり疲れているんだろうか。


 脇に放り出してあった錠剤ケースからカフェイン錠を一気に五、六個口に放り込み、ノートパソコンが放置されたままのテーブルから眠気覚ましのドリンク剤を取って一気にあおった。ちらりと時計を確認すれば、明朝四時。アキはこんな時間まで仕事をしていたのかと思うと一言くらい労いたかったが、妙なプライドが邪魔をして何も言えなかった。


 視線から逃げるようにドアノブを回し、自分の部屋から飛び出す。


 ……誰が言えるというのだろう。


 仲間のうちの一人が、撃たれる夢を見たなんて。


「……っ、あぁ、クソっ」


 しかもその夢はただの夢などではなく、的中率百パーセントの《未来を予知する夢》だなんて誰が言えようか。これまでどう足掻いても覆すことが出来なかった、確実な未来だなんてなぜ言えよう。


 自分のせいで、と嘆く仲間たちの姿が絶対に実現すると思うと、ユウキは途轍もなくやるせなくなってソファにぞんざいに身を預けた。あー、と、意味もなく天井を振り仰ぐ。


 これまでの四年間、何度も何度も夢を見た。


 《人が死ぬか、人が致命傷に近い怪我を負う》夢ばかりを。


 最初は偶然だと思っていた。けれどある日夢で見た場面とそっくりの状況で殺人事件が起きたとテレビ画面は報じた。それでもたまたまだと思い込もうとした。そうすれば、夢を見た翌日に、夢通りに通り魔が出て殺人現場を目撃した。視点も状況も何もかもが同じ、まるで夢のリプレイのようなことが繰り返された。


 何もできなかった。


 一度など、バイト先の先輩が遊びに行った先の海で溺死する夢を見て行かないよう忠告したことがある。いろいろと理由をつけて、メシをおごるなんて自分らしくも無いことを言って、先輩が遊びに行かなかったから安心したのに結局彼は亡くなっていた。死因は溺死。その日の深夜、別れ話を切り出した彼女と揉めた末に、テトラポッドから転落して。


 何をやっても彼らは死んでしまう。


 全国どこでも、ユウキの夢には日本国内あらゆる場所での死が映った。けれど死を防げたことはなく、どれも犯人がわからず、それが起きる日付も分からずに夢は終わっていた。


 だから。


 ユウキは眠ることを極端に恐れる。まるで夢が人を殺しているようで、夢を見ている自分が彼らを殺しているようで、耐えきれなかった。とはいえ眠るたびに見る夢が、そんな物騒な夢だけだというわけではない。時には何も起きないし、普通の夢のように脈絡も無いものを見ることもある。……それでも、それなりの確率で見る夢が現実になるという事態が、彼を眠りから遠ざけていた。妹の心配を振り切って周りの反対を無視し、わざとえぐい言い方をして黙らせては徹夜を繰り返し、たまの五分にも満たない居眠りから覚めては悪夢に心臓を抑える、そればかりで。


 だから恐れていたんだ。


 いつかのバイト先の先輩のように、知り合いの死の夢を見たくなくて、彼はこれまで眠りを拒絶していたのに。


「……見ち、……まったァ……ッ」


 どう切り出せばいいんだろう。


 入ってきたばかりの新人が、撃たれるなんて、彼らにどう告げればいいんだろう。


 十九歳、現支部局最年長の彼だったが……、その残酷な夢をあっさりと受け容れるほどには、大人にも冷徹にもなり切れていないのだった。そしてだからこそ、何の夢を見たのかと問い詰めに部屋から出てきたアキのことにも、彼は気付かなかった。


 


 




「あれは誰なんだ」


 同時刻のことである。


 八年もの間、その魔法使いであるという素性をこちらに一切知られることが無かったという新人の少女、期橋紀沙のテストを終え、説教の巻き添えを食った上に帰り道で妙な少年と取引を交わしてきた彼――――サトリは、同期の二人がようやく仕事を片付けて眠り込んだのを確認してから自分の部屋に戻り、開口一番そう尋ねた。


 無論部屋の中にいるのは、彼ともう一人だけ。コハル、カギナの両名は溜まっていた仕事の処理を無理矢理やらせたので、疲労困憊の様子で眠っている。一度眠ると、命の危険でも迫らない限りは絶対に起きないのは、それこそ七歳のころから知っていることだ。別に声をひそめるまでもない。


 彼のシンプルな問いかけに、ちょこちょこと後ろをついて歩いていた蛍光色ジャージの彼女、なのはは眠たそうな様子で返答した。ちなみに帰る道中、こいつが「サトリさんサトリさん、剥がせるチーズが食べたいですー! たぁーべーたーいーでぇーすぅー!!」とぎゃあぎゃあ喚き立てるので仕方なく買ってやったチーズを食しながらのことである(見えないなのはの代わりに、剥がせるチーズなる商品を買うからコンビニに入る、と言ったときの同期二人の顔は見物であったが、そのあと彼女らがこらえられなかった爆笑が、彼が密かに握りこんでいた〈見えない凶器〉こと三角定規を振り下ろす理由となったのは言うまでも無い)。


「いとこですよー。三年前にー、サトリさんの魔法を使ってもらったときにー、一緒にいた子ですー」


「……は?」


「すっごく頭が良くてー、だけどめっちゃひねくれちゃった感じ? ですねー。世間を斜め四十五度どころか直角九十度に見てる感じですねぇー。あ、そういう意味では、サトリさんに似てるかもー?」


「……ちょっと待て」


「はいー? なんでしょーかぁー」


「真面目に聞く気が無いなら、そのチーズを即座に取り上げるぞ」


「マジさーせんした」


 変わり身の早い少女である。


 間延びした口調をきっぱり取りやめて敬礼まで決めた彼女にため息をつきそうになった。これがあと十秒もすれば、またあの緩くて緊張感のないモードに入ってしまうとは……。自分の周りには仕事に真面目な女は誰もいないのか。どいつもこいつもふざけるな。


 かちり、と逸れかけた思考の軌道を修正するように眼鏡を直して、サトリはなのはを睨み付けるような形で問うた。


「貴様、三年前のあの日に別の人間を連れてきたのか?」


「え? ……あ、しまった」


「一度その回らない頭を洗濯機にでも突っ込んできたらどうだ。いい具合に脳漿が飛ぶぞ」


「頭が回る、ではなく死ぬ方向にシフトちぇんじー!?」


 大袈裟に驚いて口元に手をやるなのはに、氷河期の氷さながらの冷たい視線を投げながら、サトリは今度こそため息をついた。


 ――――三年前のあの日。


 というのは無論、彼女、末道(すえみち)なのはに、サトリの魔法であるところの〈重塗(へヴィペイント)〉を行使したその日のことだ。つまるところ、彼女が彼の名義上『部下』になった日の事を示す。


 なぜ一般人に過ぎなかった彼女が、あの少年のように取引だけでなく『存在を塗り潰す』という計り知れない犠牲を払ってまでその魔法を行使するようにサトリに頼み込んできたのか、はさておくにせよ、なのはの先程の発言には大きな問題点が含まれていた。……魔法を使ったときに、一緒にいた、だと?


 サトリはあの日、なのはがあるポイントに来たら魔法が起動するように、簡単に言えば事前準備を施した。なのはがその場所に到達すれば、どれだけ遠距離にいようと発動するように仕組んだ魔法である。普段はその場で使うことのほうが多かったし、この立場に立って数カ月のころのこと、まだ技術的にも未熟な部分が多かったし……何より、物体ではなく『人間の存在』を塗り潰すこと自体初めてだった。悪戦苦闘したことをよく覚えている。


 ある事情で、サトリ自身があの場に行くことは出来なかったのでその処置をしたのだけれども……当時は彼女の性格をよく知らなかった。思い返せば、知っていたらあんなマネはしなかったはずだ。


「……まさか貴様、あの場にあの小僧を連れてきていたのか? 目撃されていないだろうな、俺の魔法は? 一般の魔法使いにも伏せている俺の魔法が、まさか一般人に露見しているとは言うまいな」


「え、ええっとぉー。うーん、あっれぇー、どうでしたっけーぇ」


「とぼけると首が飛ぶぞ」


「目がガチすぎて怖いっすよサトリさぁんー! ね、人類遊び心が大事じゃないですかぁー、笑顔笑顔! 大丈夫ですよー、サトリさんの嘲笑も一応、カテゴリ上は笑顔ですからー……あ、すみませんふざけすぎましたぁ」


 サトリがぐっと右拳を握り締めたのを見て、なのはは軽口をたたくのをやめた。彼女ももう三年の付き合いになるのだ、この少年の性格は良く分かっている。「やるときはやる」人だ。


 もう誤魔化すことはできないだろうな、と悟った彼女は、観念したように両手を挙げた。ホールドアップの姿勢を取って、あははと乾いた笑い声を上げる。


「えいっとー……ごめんなさいー。ばっちり目撃されちゃってます。実は約束のポイント、すっかり忘れててー。あ、でも、サトリさんの魔法を啓太の前で見せなければだいじょーぶですよー!」


「……呑気なものじゃないか、〈兎〉」


 サトリはこちらにくるりと背を向けてビジネスデスクへと歩き出し、回転椅子に身を沈めた。目つきの剣呑さが十五倍増しである。いつも刃物のような鋭利な雰囲気の彼だが、ここまで来ると刃物というか、いっそ日本刀に近い気すらしてしまう。この少年が、なのはの年下だなんて信じられない程だ。いとこである啓太よりずっと大人びて見えてしまって、なのはは気付かれないよう小さく頭を振った。


 忘れちゃいけない、となのはは思う。愛すべき彼の幼馴染である、リボンの少女と眼帯の少女、雷使いの少年たちですら時折忘れる事を、せめて自分は忘れてはならないと思う。


 彼がまだ、十五歳の少年に過ぎないことを。


 サトリは頭が痛いとばかりに片手を額に当てて、そっと目を閉じていた。考え事をしているときの癖である。ああは言ったものの、これで彼が背負うリスクは跳ね上がってしまったわけだから、それも当然かもしれない。


 啓太は、どうやらなのはを捜しているようなのだ。


 あの邂逅のとき、なのはは当然死ぬほど驚いた。なんでここにいとこがいるんだろうとびっくりして、最初「ひゃうっ」と奇妙な声を出してしまったほどだ。勿論サトリ以外にその奇声は聞こえていなかったのだけれど、彼が一瞬寄越した冷たい視線が本気で怖かったのは内緒である。


 しかし事情を知っているわけもないリボン、ことコハルが彼を取り押さえてしまって、本部に連行したがっているのを見て、彼女は咄嗟に助け船を出したのだ。必死に押し隠そうとしているけれど震えていたその様子が、まさか洗脳魔法によるものなはずもないと一発で気付いた。あのいとこは、意外にもああいう修羅場に対する耐性が無いらしい。予想に反してロクな憎まれ口も叩かなかった。


 反射的に叫んだのは、「その人は大丈夫です」という、混乱していたせいで根拠も何も付け加えられなかったシンプルすぎる言葉だった。最初は無視されるんじゃないかと思ったけれど――――サトリは、ちゃんと言葉を聞き届けてくれて。


 聞こえるはずもないと分かっていたけれど、しゃがみこんで、まるで独り言のようにしゃべってみることにした。きっと三年間心配していただろう彼に、どうか形だけでも自分の無事を知らせてあげたかった。家族にも何も言わずに出てきたから、行方不明扱いになっているであろう自分である。せめて、伝えようとしたという事実だけはと思ったのだ。ふとしゃがみこんでみると、相手は見えているはずもないのに、なのはのいる場所を凝視して目を見開いた。


 それを訝しく思いながらも、いつもより少しだけゆっくりと、言葉を告げた。


『わたしは、元気だよ。サトリさんは、わたしの恩人』


『啓太、元気そうで、良かった。また今度ね』


 聞こえるはずもないのに、わたしらしくもなくセンチメンタルだなぁ――――なんて思ったとき、ふと、啓太が笑ったのを見た。


 なのはに似ている、としょっちゅう評された、企むような笑顔ではない。淡く薄い、されど笑顔らしい笑顔だった。


 あれ、こんな顔も出来たっけこの子。唖然としていれば、急に啓太は名乗りを上げて、妙なことを言い出した。曰く、なのはがいなくなった原因である不思議な力の持ち主を捜していた――――あんたを捜していたんだと、サトリに向かってはっきりとそう言ったのだ。≪なのはの言葉が聞こえていたはずもないのに≫。あいつと似たような、と誰かを比喩に持ち出したのは、多分サトリたちがテストしたあの子のことだろう。彼も、あのオレンジ色の子を知っているような口ぶりであったし。


 三年間が報われたんだ、と言った後に、次は企み笑顔を刻んで、彼は不敵に言い放った。


『俺の後輩といとこが世話になってるみたいだ――――ずっと捜していたんだ、≪魔法使い≫さんよ。ここはひとつ、取引しようぜ』


 その後彼が言い出した情報や態度からして、なのはは推測したのである。三年間が報われたという言葉の意味を察したのだ。このいとこの少年は、三年間、目撃情報などあるはずがない、手がかりなんて数えるほども無い情報を頼りに、自分を捜してくれていたんだと。


 諦めないで、捜してくれたんだと。


 最初は渋い顔をしたサトリの耳元で、うるさいと後から怒られるのも承知、彼女は必死で説得を試みた。この場で知り合いだと言って一方的に説明するのは無理があると思ったので、「嘘は言ってるように見えませんよー!」「大丈夫ですってー! ね、受けましょう!」と当たり障りない言葉を並べることしかできなかったが。


 ここで断らせてしまえば、彼が犠牲にしてきた三年間が報われなさすぎると思ったから。


 だがどうやらサトリにはお見通しだったらしく、だからこそ「誰だ」と知り合い前提の問いを投げてきたのだろう。


 ……で、問題は、啓太がなのはを捜しているという点である。啓太はなのはが魔法によって消えた瞬間をばっちり目撃してしまっている。無論、そのときの状況も覚えているだろうし、場合によっては足もとに浮かんだ魔法陣すら目撃しただろう。ということは、もしサトリが彼の前で魔法を行使すれば、なのはを行方不明としたきっかけたる魔法の使い手が彼であることが露見してしまうのだ。


 もしそうだと分かれば、魔法同盟は協力者を失うことになるだろう。正直〈人形〉のクーデターも画策され、いつ起こるか分からない現状、使える手駒が減るのを彼は嫌うはずだ。だから魔法を使うことが出来なくなる。啓太の前で、サトリは魔法を使うことができないのだ。


「……面倒なことになった」


「いつも面倒事ばかり引き受ける癖にー。今更ひとつやふたつ増えたって、さして変わりませんよーぅ」


 貴様のせいだろうが、と言いたげにこちらを睨みつけてきたサトリに、おどけたように微笑んで見せれば、彼は疲れたようにため息をついた。三年前から、サトリはため息の回数が多い。幸せが逃げますよ、と言ったら、そんな不定形は要らない、と返されたことがある。あのとき彼は十二歳。とてもじゃないけれど、十二歳の子どもが言うべき台詞ではない。


(……この魔法同盟にいる人って、誰も彼も、どっかひねくれてるっていうか)


 魔法の要因を知っているなのはだから、分からなくもないのだけれど――――実際目の前のサトリは、その中でもかなり壮絶な体験を強いられた人生を送ってきたらしいけれど、それでも年下で、本来ならまだ中学三年生と保護されるべき年齢の彼が、こうまで大人びなくてはならない世間ってどうなんだろう、と思わないわけではない。自分がこの年のときは、馬鹿みたいに遊びまわっていた記憶しかないのに、彼は毎日部屋にこもって書類に向かっているのだ。……友達がいたこととか、あるんだろうか。あの幼馴染たちでなく。どこかに遊びに行ったこととか、あるのかな。遊園地とか、動物公園とか。


 巡らせても、仕方のない思考なのだけれど――――なのは自身にはどうすることもできないことなんだけれど、それでも、ちょっとだけ心配だ。


 言ったらむくれてしまうだろうから、絶対に言わないけれど。


 剥がれるチーズを薄く削ぐのも飽きてきたので分厚く削って口に放り込む。勘違いされそうだが、なのはは他の人間に見えないだけで、食事も睡眠も必要だ。幽霊みたく精神だけ漂っているとか、そういうのではない。その場にいるのに見えないし、そこにいる痕跡を自分では残せない、それだけ。チーズだって、彼女が一度持てば同じように≪塗り潰され≫、他の人が見る事が出来ないのだ。


 だから携帯電話でも、メモ帳でも、自分の意思は伝えられない。すべて、この魔法の施行者であるサトリを介さねばならないのだ。


 明朝の澄んだ空気とは程遠く、ほとんど閉め切られているせいで少し淀んだ空気をちょっと吸い込んだ。サトリは考え事を続行したままファイルの整理を始めたようで、眉間には縦じわが寄っていた。そんな難しい顔してないで、気楽にやればいーのに。思うけど、言わない。


 この部屋にはビジネスデスクと回転椅子と書棚と筆記用具しかない。なのはは一応敷いてあるラグに座り込んだ。まだ小窓の外は暗い。太陽が昇るのはもう少し後のようだった。


 居心地のよい沈黙が室内に満ち、時計の針の音がかちこちと鳴る。剥がせるチーズを食べ終えたなのはは、退屈を紛らわせるかのように、書棚のファイルのうちの一つを手に取った。最初は触らせてもくれなかったけれど、立場上これの閲覧は許されている。現在魔法同盟で確認されている、魔法使いのリストファイルだ。


 向こうにその認識はないだろうけども、なのはは随分多くの魔法使いの顔を見知っている。適当にページをめくっていれば、知り合いの顔写真と魔法の名前、種類、効果、簡単な略歴が列記されていた。多くは悲惨な文字が並ぶ経歴の部分は見ないよう努める。このファイルには、勿論サトリたち三人衆も含まれているわけだが、見たことは無い。


 ぱらぱらぱら、乾いた音を立てる透明な材質たち。ここに近々、いとこの後輩であるらしいあの女の子も並ぶのだろう。口ぶりからして仲が良さそうだった――――あの無愛想ないとこに仲の良い後輩ができるとは。しかも女の子とは。ちょっと口元が緩んだ。


 と、そこで。


 沈黙を破るかのようにアラート音が鳴り響いた。サトリの持つ端末のものだ。初期設定のままの着信音に苛立ったのか目を細めたサトリだが、デスクの上に放置されていたそれを手早くつかみ取って耳元に当てる。


「何の用だ、シュン。今の時間は分かっているんだろうな」


 不機嫌さマックスモードのその声音に、電話口の向こうで明るい声が弾けた。


『あっははは、ごめんごめん! ボク今日徹夜しててさっ、ちょっと早めに言っておきたいことがあってね! そんなに怒んないでよー、怖いなぁ』


「用件をさっさと言え。俺は忙しいんだが」


『ん、そう? じゃあさくっと言うけどさ――――掲示板に犯行予告が出たよ』


 何の、という言葉は必要なかった。思わずなのははファイルを取り落とす。サトリはぴくりと片眉を持ちあげつつも無表情を保ったまま、問い返した。


「内容は」


『うん、一般の人には分からないように暗号になってたんだけど、まぁ要約すると明後日に、東興星観タワー展望台にて待つ、ってさ。ちなみに三人衆との面会が目当てみたい。来ないと一生後悔するぞ、って脅し文句プラス』


「幼稚だな。馬鹿馬鹿しい」


『ハンドルネームも〈人形〉、ほぼ間違いないと思う。どうするかは、コハルやカギナとも相談してほしいところだけど――――どうあれ〈人形〉さんは確保する方向で行くんだろうから、ウチと19号局とのコンビで迎え撃つかな。あ、でも19号は動けないかも知んないから、27かもだけど。とりあえず耳に入れておこうと思って?』


 サトリはしばし黙考するように視線を落とした。わざわざ掲示板に書き込まれていたということは、向こうも恐らくシュンが情報を拾ってくることを想定しての行動だろう。もう間違いなく罠だ。こちらを待ち構えているのは確実であると思われる。しかも〈三人衆〉を名指しで呼び出してくるとは。


「……やはり、来たか」


 誰かしらが、〈三人衆〉に辿り着くのは分かっていたことだ。


 消えていく魔法使い、補充される彼等。親しい友人が消えたのに捜すことすら許されない同僚たち。むしろ動くのが遅すぎるぐらいだと思う。


 電話の向こうの幼馴染は、果たしてサトリたちが知って隠匿していることを知っているのだろうか。昔から子どもっぽさの中に大人びた素顔があって、気が優しい、いつもサトリたちを引っ張ってきた彼は。


 そんなことを思いながら、声は無機質なままだった。


「承知した。対応を確定したら連絡する」


 それだけ告げて通話ボタンを切った。


 再び沈黙の落ちた室内で、一瞬だけサトリがその携帯端末を握り締めたのを、なのはは見逃さなかった。


 落ちたファイルのページは、支部局64号のページを開いている。そのメンバーリストの中に、≪滝仲瞬≫の文字は『無い』。







 


「ちわっすどもっすハローエブリワン! おっはようごっざいまぁっす先輩ッ!! 本日朝十一時を爽やかな秋風と共にお送り申し上げまっすぜぃ! 今度こそ時間に遅れずやってきてやったぞうぇーい!」


「本気でうぜぇぇぇ……」


 私の挨拶をそんなげんなりした声で一蹴した先輩は、今日も相変わらずの学ランにぼっさぼさの髪だった。特に変わったところも無さそうである。私はいつも以上の満面の笑みを浮かべて、先輩の腰掛ける石段の三段ほど下の段に座った。


 今日は先輩の呼び出しではなく、珍しく私から声をかけたので決まった集まりだ。約束時刻ジャストに着くように来たというのに、今回の集合場所である自然公園には既に先輩の姿があった。時間に律儀な人で、十分前行動は当たり前なのである。


 土曜日の昼間ともなれば、この自然公園には子どもたちが溢れる。開けた場所でサッカーに興じ、隠れんぼも楽しんでいるらしい彼らの姿は、しかし緊張しきった私の神経に障るだけだった。残念ながら彼らの声は癒しには程遠く聞こえる。


 まぁ、それは現状、自分の置かれている状況を思えば仕方のない話である。今日の朝九時に携帯を震わせた着信を思い出して、私は気を引き締め直した。


「まぁまぁ、良いじゃあないですかっ先輩! こんなに愉快な後輩に恵まれること、きっともう先輩にはありませんよ? ほら、嫌なキャラだから?」


「勝手に人のことを嫌な奴扱いすんな」


「だってとっつきづらいし仏頂面だし口悪いし偉そうだし彼女いない歴イコール年齢だし怖いし」


「もういい黙れ……」


 ふふふふ、なんて微笑みを零せば、文句ありげにこちらを睨み付けてきたので軽く受け流した。ように見えただろうけれど、正直今の私に先輩と目を合わせる自信は無くて、その姿は幻である。


 笑っている姿も、幻だ。


 本当の今の私は、二重円だけが知っている。


「で、何の用だよ」


「んー、特にありませんけど?」


「本気で殴り飛ばすぞてめぇ」


「え、マジですか!? ひっどい、か弱い女子に殴るなんて……っ! そんな人だったのね! 騙すなんて最低だわっ! もう信じられない!」


「普段から人を騙しまくりのお前が言うな! 昼ドラのどろどろした愛憎劇か! そしてどこがか弱いんだ、自分を省みろ!」


 舌鋒鋭くツッコミを入れてきた先輩をからかうように笑い声をあげながら、私はずっと脳裏をリフレインする声を思い出した。この自然公園に来た時からずっと回り続けている二重円のせいで、視界はまったくクリアじゃないし、目が痛くて仕方が無い。それもこれも、アキと名乗った、支部64号局のまだ見ぬ同僚からよこされた電話のせいだ。


 突然前触れもなくかかってきた電話に出た。出て五分後に私は出なけりゃ良かったと後悔したのである。


『あなたが、紀沙さんですか?』


『どうも初めまして。わたくし、魔法同盟支部64号局の〈色分(カラー)〉、秋羽根葉月と申しますわ』


『あなたにはひとつ、お願いがあるのです』


『月曜日、わたくしたちはあるお仕事を実行することになったのですけれど、あなたには出て欲しくないのですわ』


『より、正確に申し上げますと――――出ないで頂きたいのですわ。絶対に』


『なぜ、と訊かれますと答えに困るのですけど、ああいや別にわたくし、あなたを戦力外だと言っているわけじゃありませんのよ? わたくしも、使い勝手が良いとは言えない魔法です。あなたのほうがむしろ、役に立てるかもしれません』


『でも、出ないでください。絶対に月曜日家から出ないで欲しいくらいです。学校もあるでしょうけれどサボってください』


 そんなことを延々言ってきた彼女に、私は次第にうんざりしてきた。理由をさっさと言って欲しいんですけど、はぐらかさないでください。そんなことを言った。馬鹿なものだ、と思う。


 知らない方が幸せなことも、世の中には確かにあって、そしてこの不自然な電話の理由は知らない方が幸せだったろうに。


 数秒間の間の後に、彼女は淑やかな声音に不安の色を滲ませて――――、


「あ、そうだ先輩。私、命の恩人と恩物ができたんですよー」


「はぁ? 命のって……いや、人はともかく物? 意味不明なんだけど」


「えぇ、まぁ。人の方はアルバイトしてる同い年の子でしてね、私の嘘を見破った子なんですけど。で、恩物は電柱なんです! 先輩、もし電柱を見かけたら『可愛い後輩を助けてくれてありがとう』と泣いて土下座してくださいねっ!!」


「キメ顔してもやんねぇぞ! 電柱とかついに頭沸いたのか!? 寿命近ぇんじゃねぇの!?」


 その言葉に、ずきりと目が一際痛んだ。だがそれを無視。崩れそうになった笑顔を再び張り付けて、私は笑う。


「あはは、そうですね、死ぬなら一瞬がいいですね。出血死とかは辛そうなんでご遠慮願いたいところです」


 


『ユウキが見たのです』


 恐らくは月曜日、〈人形〉が起こしたと思しきクーデターの会場となった東興星観タワーで、あなたが射殺される夢を。


 だから――――死ぬ確率を少しでも下げたいのなら、来るべきではないと。


 最初こそぽかんとして、何を言われたのか理解できずに頭が真っ白になったけれど、思考が言葉に追い付くや背筋が凍りついた。冗談を言っているようには聞こえなかった。けれど、冗談であることを柄にもなく願ったほどである。


 恐る恐る「嘘ですか」と問い返せば、「本当ですわ」と間髪入れず返答があった。そのあと、彼女は淡々と、ユウキの魔法についてご丁寧にも解説してくれた――――的中率は百パーセント、どう抗っても夢に出たらその日にそうなる。だから、もしその日に私が自らの意思で星観タワーに行かなくても、何らかの不可抗力で結局はそうなってしまうだろう、と。だから行かないことに意味はないかもしれない。


 バックノズルですわ、と彼女はただそう言った。聞いたことくらいはある。事象は過程で無く結果であり、どんなことをしても行きつく結果は決まりきっている、そんな考え方のはずだ。


 そして次に、私の死に様についても話してくれた。曰く、こちら側が〈人形〉の射殺を決め、実行に移したところにいつの間にか私が立っていて、〈人形〉ではなく私が撃たれるらしい。どう見ても出血過多で助かる量ではなく見えたそうだ。……この私が、見ず知らずの、しかも間接的に金属バットで襲撃してきた人物を庇うというのはおおむね信じ難い話ではあるが、夢の的中率が百パーセントだというなら私はその人を庇うんだろう。自分でもよく分からない自分が、何をするかなんて分かったものじゃないのだ。


 ユウキの魔法が思いがけず判明したことにもすぐには気付けず、私は更に細かいことを聞き出したりして何とか過剰に熱くなった思考回路を冷まそうと試みたけれど――――精神的な死をつい昨日体験しかけたというのに、明後日には物理的に死にますと宣言されるとは思いもしなかったせいだろう、そう上手くもいかなかった。正直まだ混乱しているし、どこかでタチの悪い嘘じゃないかと疑う自分がいるのも否めないことである。


 この夢の話は、まだ私と、ユウキ本人とアキしか知らないことだそうだ。そう私に告げた後、アキは繕うことも無く言った。


『正直申し上げますと、わたくしはあなたがどうなろうと知ったことではないのです――――わたくし、人間不信のきらいがありまして。こうして電話口で死亡宣告するのが初めての会話になるお相手の命を心配できるほど、わたくし、優しくありませんの』


 随分とヘビーなことをあっさり言ってのける性格らしい。喋り方は上品なのに、言っている内容は「あんたに興味無いし死んだところでなんですか」発言だ。人間、見た目ではわからないとはこういうことかもしれない。


『でもわたくし以外は、そうでもないのですわ。わたくし、皆のそういう、暗くて悲しい顔を、あまり見たくありません。濃くて汚い黒青色を見たくないのです。ですから、せめて、みんなの目の前で死ぬことだけは避けてもらいたいのです』


 震えそうになる声を、二重円の力に頼るようにして押し隠しながら、「随分勝手なことですね」と言えば、彼女は静かに言葉を返した。


『ごめんなさい。わたくし、他の人に興味が無いだけなのですわ』


 多分、彼女はそこでうっすら微笑んだのだろうと思う。




 結果、私はアキの言葉を信じる事にした。


 とはいえ月曜日に自分が死ぬということを信じたわけではない。あくまでも、彼女が淡泊な人間不信で、ユウキの魔法が特殊な予知夢であることを信じたというだけだ。


 どうして自分が死ぬということを信じないのか――――傍から見れば、例えばアキから見れば、自分の死を信じないなんてこの状況においてはただの現実逃避に見えるはずだ。


 でも、彼女から聞き出したユウキの夢の細部を聞いて、私は簡単な推測をつけている。その結果、私が本当に死ぬ確率はざっと三割。残り七割は、彼の人生初の〈はずれ〉であろうと――――いや、はずれではないにせよ、〈勘違い〉であろうと思っているから。


 けれど、万が一があるとも無いとも、限らないので。


 一応、顔を見せておくだけでも、いいかななんて思って――――一切、顔には出さないし、教えてあげもしないけど。


「――――せめて最期くらい、有終の美を飾りたいじゃないですか?」


 トキヒロについた嘘を、また私はついた。


 




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