0 他愛ない回想
初投稿、八谷杉幾未です。
あまり人様に作品を読んでもらったことがないので、ご意見・ご感想をお待ちしています。気が向いたら送ってみてください。作者は飛び跳ねて喜びます(だから何だという話ですが。)
楽しんでいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。
≪嘘を妄信しなさい≫
誰かの声が聞こえる気がする。
視界いっぱいに広がる橙色が、ぼわんと膨張したかと思えば、しゅんと収縮する。それ以外には何も見えなくて、ただただ、得体の知れない明るいオレンジが私を支配していた。
ふわふわ、ふわふわ、足元の無い浮遊感。このままではどこかに落ちると分かっているのに、手足はまるで言うことを聞かずに沈黙したままだった。急激な下降ではなく緩やかな下降なのが、なんとなく緊張感を削ぐ。
まぁ、どうだっていいんだけど。
死のうが、死ぬまいが、私はどっちだっていいんだから。
あはは、と乾いた笑い声が喉の奥から漏れた。あれ、これって本当に私の声なのかな。
広がる橙色の景色の中、ぽろっと零れたそんな疑問は淡く溶けて消えた。
≪嘘を妄信しなさい≫
またそんな声が聞こえてきて、私はいよいよ可笑しくなってきた。
その声の抑揚、調子、言い方が、あの人に酷似していたからだろうか。
『本当を信じなさい。真実は誰かを救うから』
そんな馬鹿げたことを言って、はにかんだ貴女は、嘘をつくのがひどく嫌いな人だった。
でも最期に嘘をついたじゃないか。
帰ってくるなんて言っておいて、二度と帰ってこなかったじゃないか。
大嘘つき。
≪嘘を妄信しなさい≫
三度目のその声はしかし、そこで終わらなかった。
あの人の台詞を真似るようにして、どこか私を嘲るように、あの人に似てあの人ではない奇妙な声が、
まるで何でもないことかのようにさらりと続ける。
≪嘘を妄信しなさい。虚構は君を殺すけど≫
死神のように纏わりつくそんな言葉は、ずぶりと私の中の何かを刺し貫いた気がした。それが心臓だったのか、はたまた、心なんて呼ばれる場所だったのかは分からない。いや、分かるつもりもなかった。
貫かれた何処かの悲鳴を、私はぐしゃりと踏み潰した。地面なんてさっきのさっきまで無かったはずなのに、全体重を掛けたその一撃は確かな手ごたえを以って、悲鳴を殺したことを私に教えてくれる。
殺さなくても、限界だっただろう。
何度死んだか分からないあれに、もう役目は務まらない。
あの人に言われた教訓めいた言葉に、無邪気に自分はなんと返したのだっけ。
そんなことを思い出しながら、私は唇を歪めて、とても年齢にはそぐわない、凄惨な笑顔を浮かべた。
――――うん、わかった!
「うん、わかった」
――――嘘なんか言わないよ。約束!
「真実なんて言わないよ。約束する」
だって、本当のことは誰かを救うから。
だって、本当のことは私を殺したから。
オレンジ色の靄が、突然四方に散った。悩むことさえせずに、私は散り散りになった靄を掴み取る。それは掌の上で、小さな丸い図形に変形したかと思うと、何の前触れもなく浮き上がって、そして、
私の瞳に張り付いた。
特に驚くこともなく、その図形を受け入れる。魔方陣のような図形は、美しかった。私はどこかで、それがきっと私を殺すものだと分かっていたけれど、その理解した心すら刺し殺す。
オレンジの消えた世界は酷く虚無的で、真っ黒で、それなのに純粋なまでに真っ白だった。
意味なんて存在しない空虚な場所に、確かに立っていた私は、次の瞬間足元がぐらりと歪んで崩壊したのに気付くこともなく落ちた。
誰かが頭上で叫んでいる気がして見上げる。
顔は見えなかった。ただただ伸ばされた無意味な右手だけがあった。
それを見た途端に、私の視界は再びオレンジ色に閉ざされた。