第参章 歴史と居場所
魔理沙が魔法の森で携帯電話を拾ってから数か月後、極寒の冬は過ぎ、幻想郷には春が訪れていた。野には温かな風が吹き、山では開きかけの花のつぼみのそばを春告精が飛び回る、何の変哲もない幻想郷の春。そんな中、例年とは異なる点がたった一つ。それは、里の街道を往く人々、彼等の手に携帯電話が握られていることだった。
「里も変わったわねぇ。まあ、変わったのは人のほうだけど」
霊夢が団子を一つ串から噛み取りながらぼやく。彼女が座っているのは里の団子屋の店先に並べられた長椅子。その横で霊夢の呟きに反応する女性が一人。
「まあ、それほど河童の技術力が優れているということなんだろうさ。」
女性はにこやかにほほ笑みながらそう言うと、手に持った湯呑みでお茶をすする。
「いくら優れてるって言ったって、携帯が売り出されてから1か月よ、たった1か月!慧音は異常だと思わないの?」
この里唯一の寺子屋で教師を務める白澤の半獣半人、上白沢慧音は、憂いを帯びた瞳で目の前を流れる人々の雑踏を眺めていた。
彼女の能力は『歴史を食べる程度の能力』。その名の通り、人々が歴史を認識するための最も重要な「現実」を「食べる」、つまり見えなくすることによって対象を一時的にではあるが存在ごと抹消することができる能力である。彼女はこの能力を使って里をなかったことにすることで稀に里を外敵から守っており、以前霊夢と魔理沙を襲撃者と誤解して敵として対峙したこともあった。里を守る役目を負っている彼女は、その温厚な性格もあって、里の人々から絶対的な信頼を受けているが、彼女が人間ではないことを彼らは誰一人として知らなかった。
「便利なもの、新しいものにすぐに飛びつくのは人間の性だからね。私が見てきた歴史の中では、便利すぎる道具の裏には必ずなにか大きな落とし穴があったものなんだが・・・」
「なら、そう言ってあげればいいじゃない、『便利なものにすぐに飛びつくのはよくないぞ』って。あんたの言うことならみんな聞くんじゃない?」
霊夢の言葉に白澤の半獣半人はさびしげな微笑を浮かべた。二人の話を誰かが聞いていないか確認した後、慧音は言葉を紡ぐ。
「そういうわけにもいかないさ、私がそれを言えば、必然的に私が人間よりも長く生きてきた人外だということが皆にばれてしまう。里の中には妖怪を恐れる者も忌み嫌う者もいる、そんな人たちにとって半獣など恐怖と畏怖の対象にしかならないだろう。」
彼女は座ったままの状態でうつむく。慧音の長い髪が流れて垂れ下がり、霊夢のいる横からでは彼女の表情は見えなかった。
「分かってるさ、いつかはばれるってことくらい。結局、私は逃げているだけなんだろうな、何一つ決断できない自分自身から。楽しい時間が永遠に続けばいいと、まるで小さな子供のような夢物語を描いているだけなんだ。永遠に続く時間「など無いと、とっくの昔に思い知ったはずなのに・・・」
「慧音・・・」
慧音の独白に、霊夢は口をはさめなかった。二人の間には、生きてきた時間に絶対的なまでの差があった。
おそらく慧音は何度も味わってきたのだろう。愛する人間に裏切られるその辛さを。大切な人と別れる胸の痛みを。それらを無視して慧音を慰める言葉など、たった10数年しか生きていない霊夢は持ちえなかった。
そのまま、しばらくの時間が過ぎた。団子屋の前の街道を人々の奔流が流れていく。幸いにも、霊夢たちに意識を向ける者はおらず、二人の会話は風に流されていくだけだった。
再び霊夢に向けられた慧音の顔には、いつもと変わらない明るい笑顔が浮かんでいた。
「ごめんごめん、なんだか辛気臭い話になってしまったな。すまないな、せっかく久しぶりに里に来てくれたのに。」
「慧音、あんた・・・」
立ち上がり、服についた埃を払い落す慧音にむかって霊夢が何か言おうと口を開いたその時だった。
「あ、先生だ!」
「けーねせんせー!」
二人が声の方向を見ると、慧音の勤める寺子屋に通う児童たちが数人こちらへ向かって走り寄ってきていた。子供たちは慧音のことを取り囲むと次々にそれぞれ思い思いのことを口走り始める。
「先生、たこあげのやり方教えてよ!」
「バカ言うなよ。コマ回しのほうがさきだい!!」
「お人形あそびがさいしょよね、先生?」
「わかったわかった、遊んでやるから順番だぞ!順番!」
子供たちに手を引かれながら、慧音が申し訳なさそうな顔で霊夢を振り向く。
「すまない、霊夢。今日はここまでみたいだ。暗い話ばかり聞かせてしまったことは謝罪するよ。今度何かおごらせてくれ」
そう言って子供たちに引かれ、人々の雑踏の中に消えていく慧音を霊夢は無言で見送るしかなかった。
「幻想郷、人と妖怪が暮らす世界。か・・・」
そう呟いて霊夢は立ち上がり、神社に帰るべく歩み始める。彼女が何を考えていたのかなど、誰にきいてももわからなかっただろう。
突然、霊夢の肩を何者かがたたいた。霊夢が振り返ると、そこには領収書を持った団小屋の店主の笑顔があった。
◇ ◇ ◇
その数日後。霊夢がけだるそうに魔理沙と話しながら境内の掃除をしていると、青ざめた表情で、全身傷だらけになった早苗が博麗神社に飛び込んできた。
「霊夢さん!魔理沙さん!助けてください!!」
「どうした早苗、何かあったのか?」
見るからにただ事ではない早苗の様子に、それでものんきに尋ねる魔理沙。
早苗は苦しそうな声で、息も絶え絶えに叫んだ。
「守屋神社が・・天狗の襲撃を受けています!!」
なかなか話が動かないままダラダラと進んでしまい申し訳ございません。次の話から物語が動きはじめます。