第五話
第五話
ヴェルグレイヴ家の屋敷は、普段とは明らかに違う様子を見せていた。
門には馬車が並び、庭には装飾が施され、使用人たちは忙しなく動き回っている。整えられた空気の中に、わずかな緊張が混じっていた。
本日は、ルシアンの五歳のお披露目。
貴族として、正式に社交界へ顔を出す最初の場である。
「……ずいぶんと賑やかですね」
窓から外を見下ろしながら、ルシアンは呟いた。
「まあな。伯爵家の次男とはいえ、お前は期待されてるからな」
隣に立つアルベルトが軽く肩をすくめる。
「紫、でしたよね」
「ああ。お前の歳で紫なんて、普通じゃない」
そう言いながらも、アルベルトの声音には誇らしさが滲んでいた。
ルシアンは小さく頷く。
(紫)
表向きの結果。本来のものではない。
(問題ない)
むしろ、その方が都合がいい。
「緊張しているか?」
「いいえ」
「だろうな」
アルベルトは苦笑する。
「でもな、こういう場は強さより立ち振る舞いだ。変に目立つなよ」
「承知しています」
短く答える。
(目立たない)
それは、すでに決めていることだった。
やがて準備が整い、ルシアンは正装に身を包んで広間へと向かう。
扉が開いた瞬間、空気が変わった。
視線が集まる。
無数の視線が、一斉にルシアンへ向けられる。
「……あれが」
「ヴェルグレイヴの次男か」
「五歳で紫だと……?」
小さな声が重なる。
興味、警戒、評価。
様々な感情が交差していた。
ルシアンはそれらをすべて受け止めながら歩く。
一歩一歩、正確に。無駄なく。
視線を逸らさず、だがぶつけすぎない。
(見られている)
当然のこと。
だからこそ、崩さない。
父エドガーの隣に立つ。
「本日はお集まりいただき、感謝する」
低く通る声が広間に響く。
「本日、我が次男ルシアンを正式に紹介する」
軽く手が向けられる。
ルシアンは一歩前に出た。
視線がさらに集中する。
静寂の中、わずかな間を置く。
「ルシアン・ヴェルグレイヴでございます。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
丁寧に頭を下げる。
簡潔で、過不足のない挨拶。
ざわめきが広がる。
「落ち着いている……」
「本当に五歳か?」
評価は悪くない。
(問題ない)
その時、一人の男が前に出た。
場の空気が、明確に変わる。
周囲の貴族たちが、言葉もなく距離を取る。
壮年の男。無駄のない所作。静かな威圧感。
ただ立つだけで、場を支配する存在。
男はエドガーの前で立ち止まり、わずかに一礼した。
「久しいな、エドガー卿」
エドガーも礼を返す。
「こちらこそ。お越しいただき、光栄です――リュクレール公爵」
その名に、場の空気が一段沈む。
リュクレール公爵は視線をルシアンへ向けた。
「ご子息に挨拶しても?」
「もちろんでございます」
形式を保ったまま許可が出る。
公爵はルシアンの前へ進む。
「初めまして。私はリュクレール公爵家当主、アレクシス・リュクレールだ」
名乗りは簡潔。だが、重い。
ルシアンは一礼する。
「ルシアン・ヴェルグレイヴでございます。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
年齢に似合わぬ整った所作。
公爵の目がわずかに細まる。
「噂は聞いている。魔力が“紫”だとか」
「はい」
「その年で、どこまで扱える?」
静かな問い。
だが、場の空気が張り詰める。
(試されている)
理解する。
(問題ない)
ほんのわずかに思考するふりをする。
出しすぎない。弱すぎない。
手を軽く上げる。
空気が揺れる。
小さな風が生まれ、すぐに消える。
「この程度でございます」
公爵は、ほんのわずかに沈黙した。
観る。
測る。
その一瞬で、すべてを見ているかのように。
「……なるほど」
短く呟く。
「将来が楽しみだ」
「ありがとうございます」
ルシアンは頭を下げる。
公爵は一歩引き、エドガーへ視線を戻す。
「見事に育てているようだな」
「恐れ入ります」
形式的な応酬。
だが、その奥には確かな関係がある。
公爵は何も言わず、場を離れた。
その背に、誰もが自然と道を開ける。
アルベルトが小声で言う。
「今の、公爵家だぞ」
「そうなのですね」
「“そうなのですね”じゃないだろ……」
呆れたように笑う。
「かなり目をつけられたぞ」
「問題ありますか?」
「普通はある」
少しだけ間を置いて、アルベルトは続ける。
「でもまあ、お前なら大丈夫か」
ルシアンはわずかに視線を落とす。
(見られている)
だが、それも想定内。
(制御できる)
そう判断していた。
音楽が流れ、談笑が広がる。
華やかな空間。
笑顔の裏にある思惑。
言葉の裏にある意図。
ルシアンはそれらを静かに観察する。
(……なるほど)
理解する。
ここもまた、一つの戦場だと。
剣も魔法も使わない、別の形の戦い。
(これも、扱える)
そう結論づけた。




