第三話
第三話
その日は、朝からどこか空気が違っていた。
ヴェルグレイヴ家の屋敷は、いつもと変わらず静かに動いている。使用人たちが行き交い、庭師が作業をし、厨房からは朝の香りが漂う。
だが、その中にわずかな緊張が混じっていた。
「ルシアン、起きてるか?」
扉越しに声がかかる。少し低くなり始めた、兄の声。
「起きています」
「入るぞ」
扉が開き、アルベルトが顔を覗かせた。
「珍しいですね、にいさまが迎えに来るなんて」
「今日は特別だからな」
そう言って笑うが、その表情には少しだけ力が入っている。
ルシアンはベッドから降りる。
「魔力測定、ですよね」
「なんだ、もう知ってるのか」
「昨日、父上と母上が話していました」
「……さすがだな」
アルベルトは苦笑する。
少しだけ間を置いて、ルシアンを見る。
「怖くはないのか?」
「特には」
「普通は緊張するもんだぞ」
「そういうものですか」
淡々とした返答に、アルベルトは肩をすくめた。
「まあ、お前なら大丈夫か」
「何がですか?」
「なんとなくだ」
根拠はない。それでも、そう思わせる何かがあった。
二人で廊下を歩く。窓から差し込む朝の光が床を照らし、足音が静かに響く。
「なあ、ルシアン」
「はい」
「色が変わるらしいぞ」
「色、ですか」
「ああ。魔力の量で決まるんだ」
アルベルトは少し考えてから、順に口にする。
「白が普通の人間。オレンジで魔法が使える。その次が赤で、騎士団とか宮廷魔法使いの水準だ」
「その上は?」
「紫、金……このあたりになると一握りだな」
「にいさまは、何色だったのですか?」
「俺か? 赤だな」
少し照れたように言う。
ルシアンは頷く。
「すごいですね」
「お前、本当に思ってるか?」
「はい」
「絶対思ってないだろ」
アルベルトは笑う。その笑いに、ルシアンもわずかに口元を緩めた。
食堂には、すでに両親がいた。
「来たか」
「おはようございます、父上、母上」
「おはよう、ルシアン」
リシアが優しく微笑む。
「今日は測定だな」
エドガーが言う。
「はい」
「緊張しているか?」
「いいえ」
短い返答に、エドガーは一瞬だけルシアンを見つめた。
「……そうか」
食事は普段通りに進む。だが、会話は少ない。アルベルトも何度か口を開きかけて、やめていた。
(少し、違う)
ルシアンはそう感じていた。
食後、一同は庭へと向かう。中央には水晶が設置されていた。透明な球体が、静かに光を宿している。
ルシアンはそれを見つめる。
(反応する)
理由は分からないが、確信していた。
「ルシアン」
エドガーが呼ぶ。
「手を置きなさい」
ルシアンは前に出る。アルベルトが小さく声をかける。
「……大丈夫だからな」
「はい」
その一言に、少しだけ柔らかさが混じる。
水晶に手を触れる。淡い光が灯る。
白。
すぐに色が変わる。橙、赤。
「……おお」
アルベルトが思わず声を上げる。
だが、変化は止まらない。紫へ、そして金へ。光はさらに強くなる。
「すごいじゃないか……!」
その言葉の直後だった。
光が沈む。金の輝きが、ゆっくりと失われていく。暗く、深く、吸い込まれるように。
黒へと変わる。
完全な黒。光を拒むような色だった。
空気が凍りつく。
「……え?」
アルベルトの声がかすれる。
誰も動かない。エドガーは無言でそれを見つめ、リシアの手はわずかに震えていた。
ルシアンだけが静かにそれを見ている。
(やはり)
驚きはない。ただ、確認しただけだった。
やがて、エドガーが動く。ゆっくりと水晶を覆い、低く言う。
「ここまでだ。全員、下がれ」
使用人たちはすぐにその場を離れる。
残されたのは、家族だけだった。
「……父上」
アルベルトが言う。
「今のは――」
「聞くな」
短く、強く遮る。
アルベルトは言葉を飲み込んだ。
「ルシアン。このことは、誰にも話すな」
「はい」
リシアがルシアンを抱きしめる。
「……大丈夫よ。あなたは、私たちの子だから」
その声は、わずかに震えていた。
アルベルトは何も言えなかった。ただ、ルシアンを見る。その静かな瞳を。
(……違う)
言葉にはできない違和感。だが、確かに感じていた。
ルシアンは空を見上げる。青い空。変わらない世界。
だが。
(隠す)
それだけは、はっきりと決めていた。




