第十七話
第十七話
低い咆哮が、戦場全体に響いた。
それまでの喧騒とは明らかに違う。
重く、濁り、圧し潰すような音。
騎士たちの動きが、一瞬だけ止まる。
ルシアンは視線を前方へ向けた。
森の奥。
黒い影が、ゆっくりと姿を現す。
まず見えたのは、巨大な影。
次いで、その輪郭。
フォレストウルフ。
だが――
(大きい)
通常個体とは比べものにならない。
倍。
いや、三倍近い体躯。
肩の高さが、人の胸元に届く。
筋肉が隆起し、毛並みは刃のように逆立っている。
牙は剣のように長く、地面に食い込む爪が鈍い音を立てた。
その周囲に、通常のウルフが控えている。
だが、明らかに従っている。
(上位種)
一目で理解する。
そして。
(中心だ)
あれが、この群れの核。
空気が変わる。
ただそこにいるだけで、場の支配権が移る。
ローデリックが息を呑む。
「……あれは」
言葉が続かない。
だが、すぐに表情を引き締める。
「全員、隊列を維持しろ! 崩れるな!」
騎士たちが応じる。
だが、緊張は隠せない。
ルシアンは一歩前へ出た。
(Dランクではない)
先ほどのフォレストウルフとは、まるで別物。
(少なくとも――B、いやAに近い)
感覚で分かる。
密度が違う。
魔力の質が違う。
そして。
(魔法を使う)
直感。
確信に近い。
次の瞬間。
上位種が、口を開いた。
空気が歪む。
風が、集まる。
「来るぞ!」
ローデリックの声。
直後――
圧縮された風が解き放たれる。
一直線。
騎士たちの前列へ叩きつけられる。
「――っ!」
盾が吹き飛ぶ。
数人が後方へ弾かれる。
地面が抉れ、土煙が舞う。
(やはり)
魔法。
しかも威力が高い。
ルシアンは踏み込む。
風を足元に流す。
一気に距離を詰める。
通常個体が立ちはだかる。
二体。
三体。
だが――
(邪魔だ)
斬る。
横薙ぎ。
まとめて薙ぎ払う。
血が飛ぶ。
足を止めない。
さらに加速。
上位種の懐へ。
その瞬間、巨大な爪が振り下ろされる。
(速い)
だが見える。
紙一重で躱す。
風を使い、軌道をずらす。
すれ違いざまに斬る。
だが。
(浅い)
硬い。
通常個体とは比較にならない防御。
すぐに距離を取る。
上位種が振り向く。
その目が、ルシアンを捉える。
獣の目ではない。
明確な“敵”として認識している。
(いい)
わずかに思考が冷える。
集中が深まる。
再び踏み込む。
今度は――
雷。
刃に流す。
魔力を強める。
踏み込み。
一閃。
斬撃と同時に雷が弾ける。
肉を焼く音。
上位種の動きが一瞬止まる。
そこへ追撃。
連撃。
二撃、三撃。
確実に削る。
だが。
反撃。
巨体に見合わぬ速度。
横薙ぎの一撃。
風圧だけで体が持っていかれる。
「――っ」
踏み留まる。
足元に風を流す。
無理やり体勢を戻す。
(強い)
だが。
(届く)
確信がある。
ローデリックが横に並ぶ。
「一人でやるつもりですか」
「問題ありません」
短く返す。
「援護を」
「……了解しました」
それ以上は言わない。
騎士たちが周囲の個体を引き受ける。
空間が開く。
ルシアンと上位種。
一対一。
上位種が低く唸る。
空気が震える。
再び風が集まる。
だが。
(遅い)
詠唱も何もない。
純粋な魔力操作。
だからこそ、癖が出る。
踏み込む。
発動前に懐へ。
剣を振り抜く。
首元へ。
深く。
雷を流す。
内部から焼く。
巨体が揺れる。
さらに一歩。
追撃。
振り上げ。
振り下ろす。
断つ。
沈黙。
巨体が崩れ落ちる。
地面が揺れる。
しばしの静寂。
周囲のウルフたちが、一瞬動きを止める。
次の瞬間――
散る。
統制が崩れる。
騎士たちが一気に押し返す。
戦線が持ち直す。
ローデリックが息を吐く。
「……助かりました」
視線が向けられる。
明らかに評価が変わっている。
だがルシアンは何も言わない。
ただ剣の血を払う。
(まだ終わりじゃない)
視線を遠くへ向ける。
森の奥。
まだ、来る。
それも――
(これより上が)
空気が、再び重くなる。
先ほどとは比較にならない圧。
地面が、わずかに軋む。
ローデリックの顔色が変わる。
「……嘘だろ」
誰かが呟く。
ルシアンは静かに目を細めた。
(来たか)
戦場の“次”が、姿を現そうとしていた。




