第九話
第九話
朝の光が差し込む部屋の中、ルシアンは机に向かっていた。
手には一通の手紙。封蝋にはリュクレール公爵家の紋章が刻まれている。
静かにそれを開く。
『ルシアン様へ
この前はお話できて嬉しかったです。
あの後もずっと気になっています。
あなたは少し変わっていますね。いい意味で。
またお話できる日を楽しみにしています。
クラリス・リュクレール』
短い文。
だが、率直だった。
(変わっている)
その言葉に、わずかに目を細める。
(否定はできない)
机にペンを取り、紙を引き寄せる。
『クラリス様へ
こちらこそ、お話できて良かったです。
特別なことは何もしていません。
また機会があればお話しましょう。
ルシアン・ヴェルグレイヴ』
書き終え、封をする。
(問題ない)
余計なことは書いていない。
それで十分だった。
手紙を置き、視線を窓へ向ける。
(……行くか)
⸻
屋敷の外れ。
人の気配が届きにくい場所。
木々に囲まれた静かな一角で、ルシアンは立っていた。
手には木剣。
周囲を確認する。
(誰もいない)
確認してから、目を閉じる。
意識を沈める。
そして――
影が、わずかに揺れた。
足元から、もう一人の自分が立ち上がる。
同じ姿。
同じ存在。
だが、魔力も身体能力も分かれている。
(安定している)
初期の頃よりも、明らかに精度が上がっていた。
「――ノクシェル」
小さく呟く。
古い書物で見た言葉。
夜と影を意味する古代語。
この力には、それが最も適していた。
分離体が木剣を構える。
本体も同時に構える。
二つの視界。
二つの身体。
だが、感覚は一つに統合されている。
(始める)
一体が打ち込む。
もう一体が受ける。
すぐに入れ替わる。
攻撃、防御、反応。
繰り返す。
(効率は二倍)
だが――
(出力は半分)
だからこそ意味がある。
制御。
精度。
無駄の排除。
すべてが要求される。
やがて動きを止める。
分離体が霧のように消える。
(……いい)
確かな手応えがあった。
(剣は時間がかかる)
だが問題はない。積み上げればいい。
(魔法は違う)
扱える以上、制御の方が重要になる。
⸻
午前。
屋敷の講義室。
ルシアンは椅子に座り、前を見ていた。
教師のハロルドが立っている。
「では、本日は属性魔法について説明します」
淡々とした口調。
「先日、簡単な魔力操作は見せてもらいました」
お披露目会での話だ。
「無属性の操作としては、十分に優秀です」
そこで一度、間を置く。
「ですが、実戦ではそれだけでは不十分です」
ルシアンは静かに聞く。
(当然)
すでに理解している。
「魔法の本質は、属性による効率化です」
指先に風を生み出す。
軽い揺らぎ。
「同じ魔力でも、属性を乗せることで威力は大きく変わります」
風が少し強くなる。
「逆に言えば、無属性は効率が悪い」
ルシアンは頷く。
「では、試してみましょう」
ハロルドが促す。
「風属性で、同じように魔力を動かしてください」
ルシアンは手を上げる。
(調整)
出力を抑える。
精度を落とす。
“紫相当”に収める。
空気を軽く動かす。
小さな風が生まれる。
先日の無属性より、わずかに強い。
だが、それ以上ではない。
「……なるほど」
ハロルドが頷く。
「理解が早い」
「ありがとうございます」
淡々と返す。
だが内心では。
(弱い)
そう評価していた。
本来なら、もっとできる。
だが、それをやる意味はない。
「属性には適性がありますが、基礎は誰でも扱えます」
講義は続く。
「火、水、風、地、光、闇」
「そして稀に、特殊属性」
ハロルドの声がわずかに低くなる。
「雷、氷、空間、重力、精神など」
ルシアンは無表情のまま聞く。
(全部、使える)
だが。
(使わない)
少なくとも、ここでは。
⸻
講義が終わる。
部屋を出て、廊下を歩く。
(属性魔法)
理解は問題ない。
むしろ。
(制限する方が難しい)
そう感じていた。
窓の外を見る。
穏やかな空。
静かな世界。
だが。
(見られている)
その感覚は、常にあった。
貴族。
魔力。
才能。
すべてが視線を集める理由になる。
(だからこそ)
ルシアンは静かに目を閉じる。
(隠す)
それだけは、決して変わらない。




