鴉
戦が日常であった時代、屍は大地を覆い、空には常に鴉が舞っていた。
これは、全てを失った一人の男が、空に救いを求めた末路の記録である。
時は戦乱の世。
人間は日々争い、その度に残るのは無数の屍だけだった。
そんな世の中に、ある一人の若い男がいた。
名前は「春之助」
春之助もかつて、足軽として戦場に行く日々を送っていた。
しかしある日、激しい戦闘で右足に大怪我を負ってしまい、戦場から余儀なく離脱した。
そのせいで 春之助は右足に障害が残ってしまい、二度と戦場には出れなくなってしまった。
そうなってしまうと、春之助は飯を喰うことが出来ない。
それどころか、春之助には子はいなくとも妻がおり、彼女を食べさせることも不可能な状態になってしまった。
畑仕事すら出来ない春之助に嫌気が差したのか、ある日、妻は目の前から姿を消した。
春之助は、戦により命以外の大切な物を全て失ってしまった。
この自分の命でさえ、いつまで持つか分からない。
春之助は、何度も死のうと自分の心臓に槍を向けたが、その槍が心臓を貫くことはなかった。
春之助は只、絶望した。
戦で怪我さえしなければ、普通に生活出来ていた。
愛する妻に、逃げられることもなかった。
春之助には、妻以外の家族はいなかった。
兄弟は、自分を除き三人いたが、幼い頃に病で全員亡くなってしまった。
母も、春之助が十五の時に病で亡くなり、父は、その二年後に戦場で命を失った。
その後、春之助は結婚したが、子に恵まれることはなかった。
春之助は、天涯孤独になってしまったのだ。
もう、何日も食べていない。
実は少し前、必死に右足を引きずり、木の実等の食料を取りに山奥へ行こうとした際、熊や狼に見つかり、襲われてしまった。
持っていた槍で何とか追い払うことが出来たが、足が思うように動かない為、身体は傷だらけになった。
更に傷を負ってしまった春之助は、食料すら取りに行けない状態になってしまった。
本来なら襲った獣達を狩り、食料にしたいが、この傷だらけの身体ではどうしようもない。
例え今の傷が治ったとしても、戦で障害が残った右足は一生治らない。
春之助は、たまに降る雨を溜め、それを飲んで何とか今日まで生きている。
傷は少しずつ治ってきたが、また山奥へ行けば、今度こそ彼らに殺されてしまうだろう。
それが怖くなり、春之助は山奥には行けなくなってしまった。
それでも人間、腹は減る。
ならば、家の中に入って来た虫やネズミを必死に捕まえ、それで飢えを凌いでいた。
しかし、そんなことが毎日続く訳がない。
あっという間に冬になり、食料を確保するのが難しくなった。
極限まで腹が減った春之助は、心の中で誓った。
「どうせこのまま死ぬのであれば、山奥にいる冬眠していない獣を狩るしかない。今なら、熊は冬眠している筈だ。冬でも冬眠しない、兎や狸等の小動物を捕まえるんだ」
しかし、それにはリスクしかなかった。
そもそも、この足では捕れない可能性の方が圧倒的に高い。
加えて、足元は雪で思うように動けない。
それに、時には冬眠しない熊もいる。
そして、狼は冬眠しない為、遭遇したら終わりだ。
しかしこのままでは、結局飢えで死んでしまう。
春之助は覚悟を決め、手に槍を持ち、動かない右足を必死に引きずりながら、山奥を目指すのであった。
辺りは、雪で白銀の世界だった。
春之助は、少しでも体力を保つ為に、積もった雪を口にした。
どれくらい歩いたのだろうか。
何処からか突然、目から涙が流れる程の腐敗臭が漂ってきた。
春之助は、元足軽だからすぐに分かった。
「恐らくこの近くで戦闘があった」と。
臭いを頼りに足を運ぶと、戦場跡地へと辿り着いた。
辺りは無数の人間の屍で、歩く場所もない程である。
するとそこに、臭いにつられた鴉の大群がやって来た。
鴉は、その無数の屍の死肉を喰らいだした。
普通ならこんな光景、見たくもない筈だが、春之助は不思議とそうは思わなかった。
鴉に啄まれ、人間の死体が見る見る骨になっていく。
春之助は、その光景を見て鴉が「羨ましい」と思った。
いや、「羨ましい」と言うより「憧れ」に近かった。
「私は勿論、空を飛べなければ、歩くのですら必死なのに、鴉は自由に空を飛び、食料を捕獲し精一杯生きている。それに比べて、人間は醜い争いをし、死に急いでいる」
その時、春之助はそうとしか思えなかった。
そんな鴉の大群を見て、春之助の目からは先程の涙とは別の涙が流れてきた。
「人間とは脆く……鴉は美しい」
気付いた時には、春之助は鴉の真似をし、人間の死肉を喰らいだした。
極限まで腹が減っていたせいか、特別美味しいとは言えないが、普通に食べられる。
春之助、鴉の大群に紛れて只ひたすら人間の死肉を喰らい続けた。
一時経つとお腹が満たされたのか、鴉の大群は一斉に空を飛び山奥へと帰って行った。
春之助はその光景を見て「私も、鴉のように飛んでみたい」と思うようになった。
先程も書いた通り、この時代は戦乱の世。
戦など日常茶飯事。
春之助は、頻繁に戦場跡地へと足を運び、人間の死体を鴉と共に喰らう日々を送った。
春之助は、この時だけ「生きている」という実感を味わっていた。
「人間の死肉を喰らい続ければ、いつか私も空を飛べる日が来るのではないか」とすら思うようになる。
そんなある日、春之助はいつものように戦場跡地で鴉と共に死肉を喰らっている時だった。
空は曇り空で、いつ雪が降ってもおかしくなかった。
すると突然、大群の鴉が男の方をじっと見つめてきた。
春之助もそれに気付き、鴉をじっと見つめ返した。
次の瞬間、鴉の大群が春之助の方へ飛んでいき鋭い嘴で襲いだした。
いきなりのことに、驚いた春之助は必死に抵抗した。
「やめろ! 私は死肉ではない!」
必死にそう叫んだが、鴉の大群は春之助の肉を剥ぎ喰らいだした。
春之助は、経験したこともない激痛の中で思った。
「お前達も私を裏切るのか! ……いや、これは罰だ。私が、人間の死肉を喰らい続けた罰なのだ。本来は、こんなことをしてはいけなかったのだ。これは、天からの罰なのだ。私は結局、鴉にはなれなかった。……やはり、飛ぶことなんて出来なかった」
春之助は抵抗するのをやめた。
見る見る自分の身体が、骨になっていくのが見える。
そして、その命が尽きる直前、春之助はこれまで思っていた感情から、全く別の感情へと変わった。
「……いや、これは裏切りではない。天からの罰でもない。何故なら……」
春之助の肉は鴉により全て剥がれ、骨だけになってしまった。
やがて曇り空が晴れ、太陽が春之助の真っ白な骨を照らした。
春之助の肉が胃袋の中へ入ると、鴉の大群は空高く羽ばたいた。
「何故なら、私はカラスになり、ようやく空を飛べたのだから」完
春之助にとって鴉は「恐怖」ではなく「救い」でした。
それが幸福だったのか、不幸だったのかは、読んでくださった方の解釈に委ねたいと思います。




