山神物語-決断-
「……分かりました。今宵、私は山神様がおられる山の頂上に登って参ります!」
「ふざけるな! 山には決して登ってはならぬ! その掟があるのを忘れたのか? 貴様がまた余計なことをするのならば、今から貴様を殺してやるぞ!」
村人の怒号に春之助は冷静だった。
「……少し待って下さい!」
そう言い、春之助は家の中へと入った。
数分後、戻って来た春之助の手元には、ある書物があった。
「これを見て下さい!」
その書物の一部にこう書かれていた。
「山神家の尽力あっても尚、山風村に災いが起きるならば、山神家の者のみ山を登ることを許される。但し、日没後、一人で行くことが条件である」
これを見た村人は沈黙した。
そんな村人の様子を見た春之助は目に覚悟を宿した。
「これで信じてくれますか?」
村人は静かに頷いた。
こうして、春之助は日が暮れると山神様が棲んでおられる山へと向かった。
山に踏み込むにつれ、山道は険しく、時折、視界が白く揺らめくような錯覚に襲われた。
まるで山そのものが、春之助の侵入を拒んでいるようだった。
次の瞬間、足元の岩が突然崩れ、春之助は物凄い勢いで転げ落ちた。
そこまで高い場所から落ちてはいなかった為、生きていた。
しかし、腕と膝からは血が流れていた。
「いかん! こういう時こそ、落ちつかなければ!」
春之助はそう思い、息を整えたその瞬間、背後でガサリと草を掻き分ける音がした。
すると、黒々とした影が木々の間から現れた。
「……熊だ!」
目はぎらつき、涎が地面にポタポタ落ちていた。
春之助は、熊に背を向けずゆっくり後方へ歩いた。
「これで言い筈だ……」
しかし次の瞬間、熊は物凄い雄叫びをあげて突っ込んで来た。
「まずい!」
春之助は咄嗟に背を向け、必死で逃げた。
体中が痛み、呼吸が焼けるように苦しい。
だが熊は執拗に追ってくる。
やがて足がもつれ、春之助は倒れ込んだ。
「たすけ……て……」
死を覚悟したその瞬間、突然、山の奥から強い風が吹き抜けた。
熊は怯えたように身を翻し、闇の中へ消えていった。
「……助かった」
山神様はを試しているのか、それとも拒んでいるのか、春之助には分からなかった。
それでも諦める気はなかった。
父と母の死、村人の憎悪、そして何より、自分自身が知りたかった。
「山神様は、本当に山風村を守っておられたのか?」
体は泥にまみれ、衣服は破れ、意識は何度も途切れそうになった。
それでも春之助は、最後の気力を振り絞って山道を登り続けた。
気づけば、空は白い光に満ちていた。
足元の痛みも、寒さも、もはや感じない。
只ひたすら一歩ずつ、何かに導かれるようだった。
そして、春之助の目の前に石があった。
よく見ると、古びた一つの墓石だった。
文字は何も刻まれていない。
名も、称号も、祈りの言葉すら無い。
「……これが……山神様だ」
春之助は不思議と確信した。
村を守り、時に厄災も沈めてきた、目に見えぬ存在。
震える手で、春之助は墓石に触れた。
「お願いします……どうか、村を……助けて下さい。私に何ができるのか分かりません。でも……お願いします……!」
その瞬間、全身を眩しい光が包んだ。
春之助は震える声で呟いた。
「……ありがとう……ございます……」
春之助が山を下りて村に戻ると、村人が数人いた。
春之助のボロボロの姿を見て、一人の村人が歩み寄ろうとしたが、もう一人の村人がそれを阻止した。
春之助は、掠れる声で村人にこう言った。
「山神様に会いに行きました。もう村に災いは起きぬでしょう」
しかし、村人はまだ半信半疑だった。
春之助はそれだけ言い残し、家の中へと入って行った。
次の日から不思議なことが起きる。
あれだけ全身が傷だらけだった春之助の身体は、すっかりと治っていた。
それを見た村人は驚いた。
それだけではない。
春之助が山へ登ってから一ヶ月、熊は全く姿を見せず、災害もパタリと止んだ。
村人は確信した。
そして、春之助を見るなり駆け寄ってきた。
「春之助様、あなた様のお陰で山風村は再び守られました」
「山神様が……怒りをお鎮めくださった!」
村人はそう言い、大量の米を春之助に納めた。
「また、次の月にお米を持って参ります。今回はいつもの三倍の量です。では、私たちはこれで」
村人達は、安堵の表情で去って行った。
その夜、春之助は沢山貰った米を無表情で見つめていた。
しかし次の瞬間、春之助は甲高く大きな声で笑った。
しばらくすると、また無表情になった。
「これで村人達の信頼は取り戻せた。……待てよ。」
次に、春之助に張りついてきた感情は憎悪だった。
「村人は、決して私を信頼などしていない。奴らが信頼しているのは山神様だ。奴らは私を罵声し、しまいには棒で殴り倒した。そして、私が山から傷だらけで下りてきても、手当てすらしなかった。しかし、村に平穏が戻ってきたら、あたかも今までのことはなかったかのように、揚々と話しかけてきた。……手のひら返しだ。こんなに、分かりやすい手のひら返しをするとは……。そんな奴らに私はこれからも、いい面をして接していかなくてはならないのか。そんなバカな……」
春之助は再び甲高く大きな声で笑った。
「こんな村……知ったことではない。奴らのことなど知ったことか」
その夜、春之助は大量の米を荷馬車に乗せ、闇に消えて行った。
それから再び、山風村に厄災が続いて起こった。
そして、一年もたたずに村に住んでいる者達は全員消息をたった。
今となっては、山風村がかつて存在したことすらも誰も知らない。
本作は「手のひら返し」をテーマに書きました。
山風村は村人の「手のひら返し」が原因で滅んでしまいました。
最後に村人を裏切り、闇に消えて行った春之助の判断をどう感じて頂けたでしょうか。




