おひげの学長の話
テルダム学園――その最奥。一般の生徒はおろか、教師であっても容易には足を踏み入れられない区画。静寂が支配するその一角に、ひとつの扉がある。装飾は少ないが、ただそこに在るだけで周囲の空気を引き締めるような存在感を持つ扉。ユーヴィス・レヴィンは、その前に立っていた。
「……相変わらず、入りにくいねここは」
小さく肩をすくめる。だが、躊躇いはない。軽くノックした。間を置かず、内側から声が返ってきた。
「入りなさい」
老人の声。だが弱々しさはなかった。ユーヴィスはそのまま扉を開けた。部屋の中は、想像以上に質素だった。高価な装飾品などはほとんどなく、代わりに積み上げられた書物、書きかけの羊皮紙、そして空気そのものに満ちる“何か”。目に見えない圧のようなものが、空間に満ちていた。
その中心に、一人の老人が座っていた。テルダム学園学長――リムシー。白髪の長い髪を後ろに流し、細い体躯ながら、その存在感は圧倒的だった。
「久しいな、レヴィン」
ゆっくりと顔を上げる。その目は、年齢を感じさせないほどに鋭かった。ユーヴィスは軽く手を上げた。
「お久しぶりです、学長」
いつも通りの柔らかい笑み。この場の空気に呑まれる様子はない。
「珍しいな。お前がここに来るとは」
リムシーは静かに言う。
「何か用件だろう」
疑問ではなく、断定。ユーヴィスは肩をすくめた。
「まあ、そうですね」
軽い口調のまま、部屋の中を少し歩いた。本棚に並ぶ書物を眺めるようにしながら、言葉を続ける。
「一人、紹介したい子がいまして」
その言葉に、リムシーの指先がわずかに止まる。
「ほう」
興味の有無が読み取りづらい声。だが、完全に無関心ではないきがした。ユーヴィスは振り返り、にこりと笑った。
「面白い少年なんですよ」
短く、しかしはっきりとした言い方。リムシーはその言葉を反芻するように、ゆっくりと目を細める。
「面白い、か」
「ええ」
ユーヴィスは頷く。
「久しぶりに“そういうの”を見た気がします」
曖昧な言い方。だが、その言葉には確かな熱があった。リムシーはしばらく黙っていたが、やがて静かに口を開く。
「具体的には」
短い問い。ユーヴィスは少しだけ考えるように視線を上に向けた。
「そうですね……」
そして、くすっと笑う。
「僕のところに来て、開口一番こう言ったんです」
間を置く。
「“コネが欲しい”って」
「……ほう」
リムシーの口元が、わずかに歪む。それは笑みにも見えるし、興味にも見えるものだった。
「正直でよろしい」
ぽつりと呟く。ユーヴィスは楽しそうに頷いた。
「でしょ?」
「普通はもっと取り繕うものだ」
「そうなんですよ。でもあの子は違った」
ユーヴィスは机に軽く腰を預けた。
「遠回しなこと、一切なし。目的も、その手段も、全部そのまま言ってきた」
「愚直とも言えるな」
「ええ。でも――」
一瞬だけ、ユーヴィスの目が細くなる。
「それだけじゃない」
リムシーの視線が鋭くなる。
「何を見た」
静かな問い。ユーヴィスは少しだけ笑みを深くした。
「勘、ですかね」
軽い返答。だが、その奥にあるものは軽くない。
「ただの子供じゃない」
はっきりと言い切る。
「視点が妙に俯瞰してるというか……全部を“知ってる前提”で動いてる感じがあるんです」
リムシーの指が、机を軽く叩く。
「知っている、か」
「ええ」
ユーヴィスは頷く。
「なのに、万能じゃない。むしろ、自分の立ち位置はちゃんと理解してる」
その言葉に、リムシーの目がわずかに細くなる。
「ほう」
「だからこそ、面白い」
ユーヴィスは楽しそうに笑った。
「力があるのかないのかも曖昧で、でも確実に“何か”を持ってる」
言葉を選びながら続ける。
「こういうタイプ、嫌いじゃないでしょう?」
問いかけるような口調。リムシーはすぐには答えなかった。代わりに、ゆっくりと椅子にもたれかかる。
「……名前は」
短い問い。ユーヴィスの口元が、少しだけ上がる。
「ルイ、です」
「アヴァリス国軍幹部ユーヴィス・レヴィンの名をもって彼を一般指名枠に推薦します。」
その名が、静かな部屋に落ちる。リムシーは目を閉じ、ほんの一瞬だけ思考するように沈黙した。
そして――
「連れて来い」
あまりにもあっさりと言った。ユーヴィスは軽く眉を上げる。
「いいんですか?」
「面白いのだろう」
それだけだった。だが、その一言で十分だった。ユーヴィスは小さく笑う。
「ええ、保証しますよ」
軽く一礼するように頭を下げる。
「きっと、退屈はしません」
リムシーはそれを聞いて、ほんのわずかに口元を歪めた。
「退屈など、とうにしておらん」
静かな声、だがその奥には、確かに“興味”があった。ユーヴィスはそれを見て、満足そうに目を細める。
――やっぱり、こうなる。そんな確信があった。
「じゃあ、近いうちに連れてきますね」
軽い調子で言い、踵を返す。扉へと向かいながら、ふと思った。
この出会いは、きっと――ただの“推薦”では終わらない。
扉に手をかける。
その瞬間。
「レヴィン」
背後から声がかかる。ユーヴィスは振り返った。リムシーは椅子に座ったまま、こちらを見ていた。
「その少年」
一瞬、間を置く。
「本当に“面白い”のだな?」
確認のような問い。ユーヴィスは、迷わず笑った。
「ええ」
そして、はっきりと言う。
「久しぶりに、“先が読めない”タイプです」
その言葉に――リムシーの目が、わずかに輝いた。次の瞬間、ユーヴィスは静かに扉を開け、部屋を後にした。重い扉が閉まる音が、静寂の中に響いた。部屋には再び、リムシー一人。しばらくの沈黙の後。
「……ルイ、か」
小さく呟く。その声には、確かな興味が宿っていた。
そして――
ほんのわずかに、笑った。




