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沼のような血溜まりから這い出るオスカー。
全身に付着した黒い泥は、自身の血なのかどうなのかすら判別出来ない状態だ。
「はぁ……はぁ……」
『オスカー、出血が、多すぎた、みたい』
「そう……だね……」
流石に腹部を貫通した穴は修復に時間がかかっているのか、今もなおその血はどくどくと溢れ出る。
憔悴しきった表情でごろんと体を仰向けにし、燃え盛る天井を見つめる灰色の瞳。
潤んだその虹彩に、赤く揺らめく色が足された。
『オスカー、立てない?酸素濃度、どんどん下がってる。炎、天井、落ちて来るかも』
「もう……少し、だけ休ませて……ごめん、アビィ……」
息も絶え絶えにそう言って目を薄ら閉じかけた、その時。
彼の額に当たる、ひやりとした硬い、無慈悲な鉄の感覚。
「無様ね。主の居ない復讐で死にかけるほどお人好しにでもなったのかしら?」
「あぁ……れ?ルコア……」
閉じかけた目を開くとそこには、黒地に白い十字模様が目立つ衣装を身に纏った女が彼の額に銃口を当てしゃがんでいた。
意地悪そうに呆れた表情を見せながら、長いまつげを持つ目でオスカーを見下ろすルコアと呼ばれた女は、短いため息を吐いた。
「幻覚、かな……それとも、今度こそ僕を殺しにきた、とか……?」
「はぁ、バカ言ってんじゃないわよ。今すぐにでもこの引き金を引いてやりたいわ」
「まーま!ルコア先輩抑えてくださいっすよ!殺しちゃったら任務失敗っす」
「あたしをそこまでバカだと思ってんの!?」
そう言って腕を組んでむすったれながら立ち上がる彼女の背後から、褪せた色の髪をひとつに結んだ赤い瞳のジン物が現れた。
彼……もしくは彼女はオスカーの横へしゃがむと、腕を肩に回して立ち上がる。
『アクタまで、二人とも、どうして、ここに?』
「おっ、アビスちゃんも無事っすね!ほらっ、歩けますかオスカー先輩?」
「ありがとう、アクタ……ルコアも」
「ふん。アンタの飼い主に金積まれたのよ。懸命な判断よね全く」
「カノンさんが……なるほどね……」
拳銃を片手に周囲を警戒しながら、アクタに支えられ歩くオスカー達の先導を行うルコア。
火の手がかなり周り始めているプラザ内だったが、ルコアの進む道は的確で負傷したオスカーの負担も少ない。
アクタの支えもあってか、次第にその表情に血色が戻り始めていた。
「カノンさん曰く、話が連盟に漏れたっぽいっす。もうじきここに『アンゲル』が派遣されちゃうと思うんで、さっさとオスカー先輩のこと連れ出して来てくれって事っす」
「ったく身内の不始末潰しにはホントフットワーク軽いわね天使共、は!」
ガン!と封鎖されたスタッフ用のドアを蹴破りバックヤードに入り込むと、そこは幾分かマシな澄んだ空気をしていた。
一息つきたくなるような気持ちを抑えて、四人は暗い倉庫の中を抜けてゆく。
「アンゲルが来たところで……排除しなきゃいけないターゲットはもう居ない。連中が一泡吹くとこ見られそうだけど、良かったの?ルコア」
「減らず口叩いてる暇あんならさっさと自力で歩きなさいよ」
「あれ?自分は全然いっすよ?それとも自分とくっついてるのが嫌なんすかね~ルコア先輩」
「へーそうどうやら死にたいヤツが身内に一人いるみたいね?先にアンタに一泡吹かせて全部報酬あたしが持って帰ったっていいんだけど!どうするここで死ぬのかしら!?」
気に障る発言に間髪入れずに振り向いて鉛玉を4、5発ぶっ放すルコアと、頬をかすめた弾丸に切り傷を付けられながら「まーまー冗談っすよ、変わります?」と言うアクタ、そんな二人のやり取りを宥めるようにオスカーは自分の足で歩きだした。
倉庫を抜ければ社員用の駐車場に繋がっており、一台のバンがエンジンを掛けたまま止められていた。
本来大したグレードのモノではなさそうな車体を見るからにいかつくカスタムされているようだ。
アクタが後部座席のドアをさっと開くと、オスカーはなだれ込むようにして座席に座った。それに続いてアビスが姿を現して、その隣に横たわる。
「血と体液でシート汚さないで頂戴」
「大丈夫、今は垂れてない。ソファーふかふか~~~」
「とりあえず応急処置だけど塞いどいたから安心して」
「おぉ~痛そうっすね、それホチキスっすか?倉庫にあった梱包用のヤツじゃないっすか」
運転席に座るルコアは、オスカーの強引にホチキス止めされた腹部の傷を見て鼻で笑い、ハンドルを握る……前に、カーステを操作する。
車内に居る者全員の肌が震えそうな大音量で流れ出すヘヴィメタルに少し表情を綻ばせて、ルコアはアクセルを踏み込みエンジンを唸らせながらバンを走らせた。
「……相変わらずルコアは良い趣味してるね。おかげで傷が塞がりそうだよ」
「そう、ありがと。いずれサイコシスにも効くようになるわよ」
「頭、痛い」
「同じくっす……あぁ~聞いてるだけで骨が溶ける……」
「ふーん、ジン外達にはまだ理解が及ばないのかしらね」
「あぁ~~~ッ!今の差別発言っす!ジン種差別反対~!!!」
「ちょっとやめなさい、よ!!!」
ふざけてハンドルを握って振り回すアクタのせいで大きくバンは揺さぶられながらも、遂にオスカー達は燃え盛るアオイプラザを後にした。
焼け焦げ崩れてゆく巨大商業施設もいつの間にか周囲のビルへと隠されて、煌々と輝くネオンと広告の渦に呑まれて見えなくなっていく。
オスカーはぼんやりと、窓に寄りかかって外を眺めた。
その傍らにアビスが寄り添って、一緒になって外を見る。
「それで、復讐は上手くいった?」
「プラザ内に生き残ったヒトはもう誰も居ないよ」
「違うわよ、復讐が上手くいったかどうか聞いてるの」
「……さぁね」
降りしきる黒い雨の最中、遠景に見えるマーティファイン社の広告が目に映る。
『あなただけのライフスタイル、あなただけのショッピングライフ』。
ピクルス種族を模したマスコットの笑顔が、オスカーにはひどく空虚なものに見えた。
「結局マーティファインの目論見自体は上手くいったってことっすよね?区内で一番デカいデパートを潰せたってワケっすから。大量の一般市民を巻き添えにして、シンダースに責任を擦り付け、終いにゃ口封じの為に派遣した自社のランナーすらも使い潰し――おぉ、これで心置きなくシェアを奪えるじゃないっすか」
「あら、じゃあ復讐は失敗ね。テロリスト共の目論見通りじゃない。報酬返してあげたら?」
「……後で考えるよ、それは」
ゴミを轢き潰しろくに修繕されていない穴ぼこだらけの道路を走る車と、ゴリゴリにひずんだギターサウンドに揺さぶられながら、心底疲れた様子でオスカーは瞬きをした。
今日の事を頭でリフレインさせながら、後部座席に乗せられた大剣に目をやる。
乾いた血と泥、ヒトの油、様々な汚れがこべりついた傷だらけの鉄板は、変わる事のない鈍色を湛えていた。
「雨、止みそうにないっすね」
「今日は集中冷却日らしいわよ。どこぞのお人好しのおかげでバカでかいエアコンの結露をありがたく愛車に浴びせることが出来るわ」
「無料で、洗車。お得だね」
「皮肉よガキは寝てなさい」
ハイジャックをしようと道路を封鎖していたモヒカン頭のパンクと獣ジン達を轢き飛ばしながら、バンは湿った大都市を駆けてゆく。
獣に機械に触手に岩に巨ジンに小ビトに虫に魚、無数の種族が入り乱れ、文化も様式も統一性なく無作為に増築された違法建築。
それらを見下ろすマッチ箱のようなメガビルディング、それらの隙間を縫うボロボロの血管じみた道路、それらを無視して空を飛ぶ見掛け倒しの高級車や輸送機達。
日の差すことの無い暗闇に彩を与えるネオン、ネオン、ネオン。
淀んだ大気が視界を霞め、乱れた生活がヒトビトの心を荒ませる。
「変わらないね、何も」
「当たりまえよ、何期待してんの?この街がどれくらい大昔からそうだったのか知らないでしょ。あたし達にとやかく言う義理もないわ」
「ほんとっすね。ま、自分は小さなことからやってくつもりっすよ?まずは手始めにゴミ拾いとかどうすか?」
「一人や二人がやったところで逆にゴミが増えるだけだからやめときなさい」
「別にいいと思うけどな。他にやるヒトいないだろうし。目立つしいいんじゃない?『メトロ』なら、さ」
オスカーはぼそりと呟いて、過ぎ去っていくネオンにチラチラと顔を照らされながら今度こそ目を閉じた。
四人を乗せた車は、空を閉ざされた街を走る。
全てが混ざり、入り乱れる。
混沌の大都市『メトロ』の中を、ただ、ただ、走った。
――EP:-1【眼下】 終。




