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「あぁああああ!!!潰れろ!潰れろ!!!」
「……っ」
振り下ろされる巨ジンの拳。
何度も、何度も叩きつけられる暴力を、オスカーは分厚い刀身で受け止める。
しかし重量を乗せた打撃の重圧はそれだけでも驚異であり、防御の姿勢を取り続けるオスカーの全身は軋むような感覚に苛まれた。
「なんでアタシのアネキが!こんな、こんな!クソ!クソコーポ共が!!全員殺してやる!潰してやるーッ!」
「……アビィ、今」
慟哭と共に渾身の一撃を振り下ろそうと大きく振りかぶったアテール。
その隙を逃さず、背後から伸びたアビスの触手が天井から吊るされていた大型の広告看板を絡めとり、彼女の頭上へと落下させた。
『アンシン!アンゼン!日常的な落下物対策にトラモップ社製アンブレラをお買い、ヲ、ください!』
「ぐ、あぁっ!?!?」
広告音声を垂れ流す看板が頭部に直撃し姿勢を大きく崩した瞬間、すぐさまオスカーは大剣の峰でアテールの脛を大きく打ち付け追撃を与えて膝を折り、武器の重量に任せてそのまま地面へ組み伏せる。
混乱と激痛に悶え苦しむアテールは大きな瞳から涙を流しながら呻いた。
「う、うぁあぁ!ヤダ、ヤダ!!殺されたくない!お姉ちゃん!!!お姉ちゃん!!!!!」
「――っく!」
一瞬動きを止めかけたアテールだったが直ぐに自身を抑え込む大剣を握り絞めるとオスカーごと振りかぶり、壁へ向けて投擲した。
巨ジンにとって小動物程度の体重でしかないオスカーの身体は簡単に宙を舞い、雑貨店の自動ドアに激突しガラスを突き破って棚に打ち付けられる。
オスカーの傷口から、黒い血液が滲み出た。
『オスカー、出血、してる』
「大丈夫――」
滴る血が広がり、彼の下にどす黒い血溜まりを描いてゆく。
それでも慣れた様子で立ち上がり態勢を立て直そうとする彼の眼前で、アテールが巨大な瓦礫の残骸を両手で持ち上げ、振りかぶった。
「っだぁあああ!!!!潰れろ!!!」
怨嗟に瞳を滲ませて、歯を剝き出しにし、鬼の形相でダンプカーの如き瓦礫が投げ込まれる。
投擲された瓦礫はオスカーの居た店舗諸共全てを押し潰し、もはやそこには形ある物体が何一つとして残っていなかった。
堆い瓦礫と土埃の山となった残骸の前で、アテールはただ息を切らしながら涙を流す。
「はぁ……はぁ……」
朦朧と狂乱に呑まれる意識の中、ただひと時でも休もうとしたのか、それとも姉の姿を思い出そうとしたのか。
彼女が目を薄らと閉じかけた、その刹那。
「――あがッ!?」
肉を切り裂く刃の音と、血液が噴水のように吹き出す音。
アテールの視界に飛び散って景色を赤く染める、彼女自身の血液。
そして喉に襲い掛かる激痛。
「げ、がはっ――なん、これッ!?」
状況が理解できないままに視線を落とす彼女の目に映ったのは、『自身の胸から生えるあの忌々しい鈍色の大剣と、その切っ先に抉られ血を噴き出す自身の喉』だった。
「こ、んなこ――が、ァアッ!?!?」
「……」
アテールの服の胸元に染みついた、黒く淀む血液の染み。
そこから大剣と共に、まるで暗黒の泥沼から這い出るように、灰髪のあの青年が現れた。
『オスカー、右』
「離れェ、ろっ!!!カハッ――!」
突如として自身の身体から生え出てきたオスカーを引き剥がそうと、巨大な右手が迫る。
しかし巨ジンの身体に取り付いたオスカーは喉に突き刺した大剣を支えに素早く、そして身軽に自身の身体を持ち上げて右手からの拘束をするりと躱し、肩を蹴って背後に回り込んだ。
「うぐ、あぁ――あ、あぁあ!!!」
背中に回り込まれ湾曲した大剣の刃が喉へ食い込み、更には大木を切り倒すように刃が喉へ深く深くめり込んでゆくその状況で、アテールは自身の肉が裂け血が流れ出る音を聞きながら絶叫し暴れ狂った。
それでもオスカーを引き剥がすことは叶わず、彼はただ無表情に、全身に付着した黒い泥とアテールの血を混ぜながら両足を使って彼女の背中を支えにし、体重を乗せて剣を引いた。
「お姉ちゃん!助けて!お姉ちゃん、おねえ――」
しかし彼女の最期の慟哭は誰に届くこともなく、裂き断ち切られた肉と分断された頸椎が離れる頃にはどしりと音を立てて彼女の頭部は地面を転がり、巨体は力なく膝を折ってその場に倒れた。
背中の上で立ち上がる彼の眼には、閉じることなく開かれたアテールの大きな赤い一つ目が映っていた。
『オスカー――』
「分かってる、後ろだな」
その束の間、彼の耳に聞こえる鉄製のブーツが床を蹴る音。
間髪入れずに襲い掛かってくる無数の弾丸を、オスカーは背中に回した血まみれの大剣で弾き飛ばし、姿勢を低く保って身を護る。
大剣の影から銃撃の主を見たオスカーは、全てを察したように相手へ声を投げかけた。
「なるほど辻褄が合ったよ。この襲撃事件、シンダースの仕業なんかじゃないな」
「余計な詮索は無用だ。さっさと死に晒せ」
オスカーの言葉を意に介さず弾丸の雨を浴びせるそれは白い装甲を身に纏い、機械で身体を構築されていた。
顔らしいパーツのない無機質な顔を持つそれは、ただ機械的に返事を返す。
『全身のサイバネ化、エンキド規格の装備。マーティファイン社の専属ランナー、リア、と識別する』
「アオイ社と競合してる他社専属のランナーがなんで武装して、事態収拾に当たってるフリーランスランナーに対してその武力を行使してるのか、君自身説明出来るのかな」
「黙れ。貴様のようなどこぞのチンピラと変わらない傭兵もどきに語る義理はない」
「そりゃそうか」
突如としてぱたり、とその場に倒れる大剣。
忽然と姿を消した銃撃対象を探るように、リアと呼ばれたサイボーグはガトリングアームを構えたままただじっと動かない。
直後、その背後から剛速で突っ込んできた看板を、リアはノールックで振り返りレーザーブレードで両断した。
「外部との通信遮断結界、他社施設セキュリティシステムの無断オーバーライド、高濃度汚染混素の散布、そしてテロ偽造。どれも企業連盟の約定に抵触する行為だ」
「目撃者が居なければ違反ではない」
「口封じの為に派遣された専属ランナーだもんね。それが仕事か」
リアの前で転がっていた大剣を絡めとり持ち上げる白い触手、その行き先の二階バルコニーにオスカーは立っていた。
大剣を掴み再び構え直すと、彼はリアと視線を交わせる。
「シンダースは企業同士の派閥争い、爆破テロに利用された。いや、利用されると分かっていながら、巻き込まれる市民を減らすために誤解を恐れずキミ達が仕掛けた爆弾解除に乗り込んだ。そして散布された混素に精神汚染されて、サイコシスを発症した――」
「厄介な巨ジンが二人も居たのは想定外だったがな。一人は妹を庇って大したことなく素直に死んでくれたが――まぁもう一人分の手間はお前のおかげで省けたようだ。それも都合よく生存者を殆ど床の染みに変えるという役割を果たしきってくれた後にな」
地面に転がったアテールの頭部を爪先で小突きながら、リアは吐き捨てるように言った。
しかしオスカーは動じることなく、ただ静かにサイボーグを見下ろしている。
「ならばこちらも聞かせてもらおう。お前はシンダースに雇われたランナーか?私にはそうも見えない。慈善事業でテロ事件に首を突っ込んだのか?我々企業にたてつくだけの崇高な使命でも持ち合わせていたのか?」
「キミが結界を作動させるまでの手際が悪くてね。クライアントが書きかけの依頼文を送信するまでには十分な時間だったみたいだ」
「ハッ、やはり金に縋るしかない、プロもどきに過ぎない『ランナー』か」
「報酬を受け取ったからには仕事は必ずやり遂げる、例え報われる者が居ない復讐代行だったとしてもね。それが『ランナー』だよ」
暫しの沈黙。
それを先に破ったのはリアの言葉と銃声だった。
「短絡的な情とはした金に踊らされ、愚か者共に協力し……今後どうなるかなど一切考えてすらいない。無軌道な貴様らを企業が生かす道理などない!」
「それは――そうかもしれないね」
降り注ぐ弾丸を、しかしオスカーが浴びることはなかった。
行き場を失った言葉と弾丸は、空を撃ち抜いて背後のガラスを花弁のように散らした。




