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メトロカオス  作者: 混眼ルイ
EP:02【都界】

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20/20

14

 じくじく。じゅくじゅく。

 血が流れる音がする。


 きりきり、がりがり。

 頭の中をひっかき回されるような感覚。


 どく……どく、どくどく。

 鼓動が体を揺らす。


 どくどく、どくどく、どくどく。


「――っがぁッ!」


 薄暗い路地でモロは眼を覚ました。

 全身を支配する激痛、脳髄を苛む頭痛。

 視界がぐわんぐわんと歪み、目のピントが良く合わない。


「何が……何が起きたんだ……?うぷっ!?」


 胃の底からせり上げてくる猛烈な吐き気。脇目もふらずにモロは吐瀉物をアスファルトにぶちまけた。血の混ざった胃液には、食べ物とは到底呼べないような紙屑や針金、ウジ虫ばかりが混ざっている。


 オレは一体どうなったんだ?

 街に落ちてくるドリフターを見つけて、それを『ドブ漁り』のメンツで取り囲んで……それから――。


 記憶が次第に蘇ってくると共に、彼女の眼がはっきりと、その惨状を捉えた。

 血の海に転がる、かつての仲間達の姿を。


「はっ――はっ――あ、あ、ああぁ……」


 オレのせいだ。

 オレがあの時、落ちてくるドリフターをビルの上で見つけなけりゃ。

 オレがあの時、ドゴのハンマーを振り上げずに大人しく寝ておけば。

 オレが、オレが、オレが――!


 自責の感情がモロを苛む。


「うぐっ、クソ、クソ、クソが……ッ!」


 きりきり、がりがり。

 頭の中をひっかき回し、かき混ぜるような耳鳴りが彼女を責め立てる。


「黙れ、黙れ!黙れよ!オレに話かけるなよ!」


 吐いても、吐いても、まだ足りない。

 内側からせり出してくる不快感と、向けようのない憤り。

 湧き上がった感情が溢れ出し、風船のように膨れ上がり、そして――


「あぐっ!?がっ……あっ、あぁ……?」


 どろりと、包帯で覆っていた左目が、アスファルトに蕩け落ちた。

 粘液で包まれ、赤黄色く濡れ、どろどろと腐臭を放ちながら、虫食いのような穴だらけになったそれは彼女の眼の前を転がったのだ。


「オ、オレの、オレの左目が!あっぐ――!黙れ、黙れ!!!」


 きりきり、がりがり。

 ドブネズミが家屋を齧り、ひっかき回すような音が頭の中で鳴り響く。


 誰だ、誰のせいだ。誰のせいだ?誰のせいだ!

 ダズーか?ドゴか?姉御か?

 それともあのガンスミスか?

 違う、違う、違う、オレが、オレ自身が、あいつさえ見つけなければ。


 あいつさえ、あの『ボロキレ』さえ居なければ!


「ク、ソォアッ!!!」


 気付けば、モロは拳銃を握りしめ、引き金を引いていた。

 ソエリの頭を、慕っていた姉御の変わり果てた頭を、穴だらけにしていた。

 サイバネティクスの生白い冷却液と脳漿がどろりと広がり、モロの流した血液と吐瀉物に混ざり合って、混沌としたマーブル模様を描く。


 何故、何故だ?何故オレは生きている?

 姉御が庇ってくれたからか?


 胸に手を触れてみる。

 確かに銃創が刻まれていた。恐らく弾丸は体内に残ったままだろう。

 しかし穴だけがぽっかりと空いて、傷口は既に乾いている。

 心臓は鼓動を続けていたが、しかしあの時確かに止まっていた。


 『コンテニューサービス』か?

 いや、そんな大金、オレらは持っていない。

 なんで、どうして、どうして。


「なんでオレだけ……生きちまってんだよォ」


 モロはよろりと立ち上がり、転がり落ちた自らの左目を踏み潰した。

 すり潰し、引き延ばし、アスファルトになじませて。


 きりきり、がりがり。

 耳鳴りは酷く続く。もはや首に重く伸し掛かる鉛のような頭をぐらつかせながら、モロはとぼ、とぼ、ネオンが輝く光の方へ向かう。

 何故そうしたかったのかは分からない。煌めきとヒトビトの喧騒に誘引される害虫のように、ただ勝手にそうしていた。


 もはや、かつての仲間達へは一度も振り返らずに。


「あぁ――。今日の街はぁ、なんだか綺麗だなあ」


 ギラギラ、ギトギト。

 街を輝かせる痛烈な光と音も、今のモロには淡く滲んで、水に垂らした絵具のように見えた。もはや今までの半分しか見れない世界でも、今までで無いくらい美しかった。


「あれえ。オレ、どうすりゃ良いんだ?なぁ……ドゴ、病院っつってたっけなあ」


 流れ行き交うヒト混みが、まとまった濁流となってモロを包み込む。今日に限っては、不便な自分の身長すらも気にならない。


 病院に向かうべきなのだろうか?あの闇医者共……『ウォーキングベッド』にあたるとしても、今は金がない。

 最もここ数日、ロクな物を食べていない。まるめて飲み込んだレシートはさっき吐き出してしまった。黄色く腐って穴だらけになったリンゴがチーズみたいに見えて、別にチーズが好きな訳でもないのに貪ったのが、いつだったか。最後のまともな食事だ。

 病院に行く金があるなら、イナズマチキンのバーレルにでもありつきたい。


「あら?ねぇちょっとそこのキミ、大丈夫?」


 モロに投げかけられる声があった。

 ピンクのネオン、心躍るサウンド、寄りかかりたくなる甘い香り。


 あぁ、ここはセックスバーだったか。

 街にはいくらでもあるのに、産まれてこの方こういった店の世話になる事も出来なかったなぁ。

 ドブ産まれの小汚い自分には、綺羅びやかな世界はどうしても縁遠い。


「顔色悪いけど……その黄色いの、スライムかしら?もしあなたが良ければだけど、少し休んでいかない?バックヤードなら料金もいらないわ」

「……あ、あぁ」


 きりきり、がりがり。

 鳴り響く耳鳴りに、頭を掻きむしる。

 忌々しい粘菌にも似た、ピンク色のスライム女がモロの顔を覗き込んだ。

 ふつふつと、苛立ちが抑えられなかった。腹の虫がのたうちまわるような、そんな感覚だ。


「黙れ、話かけるな……」


 キッとした目線でスライムを睨みつけ、再びモロは歩き始めた。

 今の言葉が、親切なスライムに向けたモノなのか、耳鳴りに向けたモノなのか、モロは自分ですら理解出来なかった。


「あら……うーん。あの子『ドブ漁り』のモロちゃんよね。ダズーくん達、どうしたのかしら」


 今はただ、この綺麗な景色を誰にも邪魔されたくなかった。

 誰にも。


 ヒトの流れに押され、流されるまま、モロはバベロン区中央の『バベロンブランチ前広場』に辿り着いていた。もはや頭上に聳え立つ白亜の塔すら見上げる気力は残っていない。よろよろと、近くの造花壇に腰かける。『中枢管理組織ユグド』の紋章が、遠く頭上から彼女を見下ろしていた。


 このブランチの行く先は、夢にまでもみた天井の上。

 指を咥えて見上げることしか出来ない、青空の世界。


「なぁ――おい――」

「ゴロツキが――どかすか――?」


 こそこそとした話し声が、耳鳴りの向こうで囁かれる。ブランチを警備しているガルム隊のイヌヅラ連中だ。つかつかと歩いて来て、ただ頭を掻きむしっていたモロを取り囲む。


「おいお前、何のようだ」

「あ、あぁ……?」

「お前のようなゴロツキが、役所に何の用があると言っているんだ」


 お利口な犬共の言葉が、右へから左へ、滑り落ちていく。


「あぁ……なんでぇ、だっけなあ……」

「貴様、おちょくってるのか?」


 むしり取るように胸倉を掴まれ、体を簡単に持ち上げられる。

 モロは獣ジンの中でも小柄で非力だ。仲間の中でも、工作員としての立ち回りが主体だった。常日頃から良質なトレーニングを重ねられる勤勉な治安維持組織の『お犬様』とは、比べ物にもならない。

 ぷらりぷらりと、力なく吊るされたモロの足が揺れる。


「ふん、『汚染発症者サイコシス』のようにも見えないがな。ただのジャンキーか」

「ぐっ……」


 地面に体を叩きつけるように投げ飛ばされ、背中を蹴りつけられる。

 冷たいタイル貼りの地面を這いつくばる彼女の脇腹を、再びガルム隊員が蹴り上げた。二人の犬に見下ろされ、何度も何度も、『ボロキレ』のように痛めつけられる。


 モロの頬に黒い雨粒がぽつり、ぽつりと伝った。天井の冷却装置から、結露した水滴が黒い雨となって降り始めたのだ。


「ッチ、降り始めやがったか。これは後で強くなりそうだな」

「ドブネズミはさっさと下水にでも帰ってろ。ここはテメェのようなのが来る場所じゃねぇ」

「ぐっ、くっ……」

「あぁ、なんだお前、泣いているのか?」


 モロの抉れた片目から流れ出る黄色い粘菌を見て、ガルム隊の顔がずいと覗き込まれた。冷めた目をした、しかしにやけた顔だ。


「地下大下水道のヒト喰い粘菌だろ。別に高くもない治療費で簡単に治せるのにな」

「はっ、どっちも変わらん。そんな金も出せない腑抜けに用はない。さっさと失せとけ」

「……だから……オレは、オレは泣いてねぇって……泣いて、なんて……」


 本来聞こえてくるはずの、ダズーの間の抜けた笑い声も聞こえてこない。ただ響いてくるのは、こつりこつりと地面を蹴るガルム隊のブーツの音と、降りしきる雨の音だけだった。


「クソ……クソ、クソ!」


 何度も、何度も地面を拳で叩いたモロは立ち上がり、強くなってゆく雨脚の中を駆けだした。


 ただただ闇雲に路地へ入り込み、ボトムへと直通される古錆びた階段を駆け降りた。鉄骨だけで無理矢理立っているようなやせ細った階段からは、びゅうびゅうと風が吹き抜けて、建造途中で放棄された地下居住地群が暗黒の中で薄気味悪く立って、モロを見下ろしている。


「うっ……くっ、うぅっ……」


 透明な鼻水と涙が黄色い粘液と混ざって、顔をぐちゃぐちゃにしながら膝を抱えて階段の踊り場で丸くなる。上からぽつぽつと滴り落ちてくる雨水が、彼女の体から熱を奪っていった。


 なんで、なんだってこんな事になったんだ。


 きりきり、がりがり。


 あいつの、あいつのせいでこんな事になったんだ。


 きりきり、がりがり。


 あの『ボロキレ』さえいなけりゃあ、アイツらは惨めな肉塊にならずに済んだ。


 きりきり、がりがり。


 あの『ボロキレ』さえいなけりゃあ、オレはこんな思いをせずに済んだ。


 きりきり、がりがり。


 あいつさえ、あいつさえ!あいつさえ!


『そう、あの「オスカー」さえ居なければ、こんなことにはならなかったのデス』

「……あ?」


 耳鳴りが、はっきりと言葉に聞こえた。

 モロは恐ろしくなって、思わず顔を上げた。


『そう、恐れることなど何もないのデス』


 暗闇の中に薄気味悪く輝く、黄色い粘液の塊。

 透けて見える内臓はどくどくと脈打ち、粘液に浮かぶ球体状の物体には、ネオンのような極彩色に染まった二つの眼がモロを見下ろしていた。


「なっ、なんだ、なんだよお前……」

『モロ、アナタは恐れることなどナニも――』

「クソッ、なんだよ、なんだよ!やめろ!話しかけるな!」


 モロは恐怖に突き動かされ腰を抜かしたように立ち上がり、バランスを崩してバケモノに体当たりをかましてぐちゃぐちゃに散らばしながら逃げるように階段を駆け下りた。


『逃げても無駄デスよモロ。ワタクシは、アナタの頭の中にいるのデスから』

「黙れ、黙れ黙れ黙れ――ッ!」


 頭を掻きむしり逃げ惑い、雨水に濡れた階段に足を滑らせて、モロは体を打ちつけながら転がり落ちた。

 痛い、痛い、全身がはち切れそうだ。彼女の小さな体は放棄された『地下大下水道』の坑道内に転がった。


『耳が千切れてしまいましたね、モロ』

「――ッ!」


 千切れた自らの左耳を持って、目の前に高慢ちきな口調のバケモノが当然のように姿を現す。


「んだよ!なんなんだよ!出てけよ!オレの頭の中から、出てけよ――ッ!」

『そう、怒るのデス、モロ。怒り、恨み、そして憎むのデス。この世の全てを。あの『捕食者オスカー』を――』

「ん゛ぁっ!!!黙れ!黙れ!黙れ!黙れぇ!!!」


 一心不乱に壁へ頭を叩きつける。脳髄をひっかき回し、語り掛ける者を叩きだそうと、何度も、何度も、何度も。


「はぁ……はぁ……」

『ははははははははははは。何故ワタクシを憎むのデス?ワタクシはどこにでも居る、誰もが感染(うつ)る、ただのありふれた菌デスよ?』

「黙……れ゛ッ!」


 ひときわ強く頭を壁に強打し、そのままモロはずるずると地面に崩れ落ちた。

 額と鼻から血を流し、半開きになった視界の中でバケモノが顔を覗き込む。


『思ったよりも拒絶しますね。でも大丈夫デス。いずれワタクシはアナタの願いを叶えてさしあげましょう。成就させてあげましょう。モロ、アナタの怒りを。アナタの復讐を。アナタの怨嗟を』

「いら、ねぇ……全部オレが……自分で、ぶっ壊、す……」

『えぇ、えぇ、そうデスとも。出来ますよ、ワタクシはアナタの『祝福』なのデスから』

「テメェは……オレの、『不幸(カース)』そのものだ……――」


 意識を失ったモロの言葉に、満足そうにバケモノは頷いた。


『なるほどなるほど、『蛆が湧いたチーズ(カース)』デスか。それもまた、よいでしょう。今はおやすみなさい。ワタクシ達の、モロ』


 きりきり、がりがり。


 耳鳴りに溶け込むように、カースは姿を消していた。


 きりきり、がりがり。


 きりきり、がりがり。


 きりきり、がりがり――。


 ――EP:02.5【腐敗】 終。

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