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浮遊するままに身を任せ、大都市の夜空を落下するオスカー。
濛々と溢れ出す黒煙が肌を撫でるほど地上が差し迫る中、彼は背中の大剣に手を掛けた。
「アビィ!」
『任せて』
彼の呼びかけと同時に、マフラーで隠された首元からぬらりと生白い触手が四本姿を現す。
その穂先が二股に分かれ半透明の皮膜のようなモノを広げると、風を受け止めてオスカーの姿勢を空中で制御し落下速度を緩和し始めた。
「よし、着地する」
煙を掻き分け滑空するオスカーはビルの屋上に聳える円筒型の貯水槽目掛けて大剣を振り下ろした。
切っ先が鎌のように湾曲した大剣は容易に貯水槽の外壁へ突き刺さり、切り裂かれた亀裂から水飛沫を吐き散らす。
迸る火花と降り注ぐ水滴を浴び金属音を泣き喚かせながら落下の衝撃を逃がし、そうしてオスカーの両足はプラザ屋上のコンクリートへと着地した。
大剣を再び背に携えた彼は、触手をマフラーの中へと引き込みながらゆっくりと立ち上がり、自身が乗っていた遥か頭上を旋回する輸送機へ向けて手を上げた。
周囲を見回した彼はシャッターによって封鎖された駐車場の出入り口を発見。
速やかに近寄ると、非常用操作パネルの蓋をこじ開ける。
側頭に装着しているインカムに指を添え端末を見据えるオスカー。
彼の視界にはシャッターの制御端末へ侵入を試みるログが現れては消え、現れては消え、を繰り返し、終いにはエラーを吐き出して動作を停止した。
「制御ハック混術が拒絶された?なんでここまで高度な対侵入防壁がこんな所に使われているんだ」
『ハック、出来ないなら、強行突入』
「やむを得ないか」
立ち上がったオスカーは振り返ると、すぐさま背後の換気用ダクトへ近寄り、袖から先ほどと同じように触手を伸ばし鉄格子へ絡ませると力一杯にそれを引き抜く。
触手が鉄格子を投げ捨てると、揺らめく炎によって熱を帯びた赤い輝きが明滅するプラザ内部を見下ろした。
『混素汚染、かなり高い。ワタシ達には、平気。だけど、耐性ないヒト、たぶんダメなくらい』
「……変だな」
『何か、気になってる。オスカー、どうしたの?』
オスカーは頭上を見上げ、ビルを包み込む薄らとした紫色の遮断結界を睨む。
直上が結界の綻びになっては居るものの、それ以外には目に見えた綻びが見えない。
「ここまで大規模で完成度が高い遮断結界混術、並みの術者や混術装置じゃ構築出来ない。それにやけに厳重なシステム防壁、たぶん施設全体の制御が外部から改ざんされてる」
『混素汚染も、換気が行き届いたプラザで、おかしいね』
「シンダースにこんな大掛かりな手口が出来るとは思えない。どうも――変だ」
さっと施設内部へと飛び降りるオスカー。
火の手が回り始めているショッピングモールにはヒトの気配がないように見て取れる。
彼の視界を煙だけではなく、うっすらと黒い靄のようなものが掛かって遮っていた。
「目に見える程の混素濃度……ジン為的に散布されてるので間違いない」
『オスカー、こっち。血の臭い』
オスカーの背後から再び少女が姿を現す。
先ほどのぬらめく触手と同じ白い肌をした少女は、右目があるはずの場所にぽっかりと空いた穴から黒い体液をこぼしながら、通路の向こうへとオスカーを誘導する。
「アビィ、混獣や他に潜伏してるヤツの気配は?」
「この先には全く、感じない」
「シンダースも含めてか?」
「うん。全然、ない」
アビィ……通信の主からはアビスと呼ばれていた彼女は、ふわふわと宙を浮遊しながら泳ぐようにモールの広場を見渡せる踊場へと向かった。
故障した看板や広告が明滅し、ショートした回線は火花を散らす。
先ほどまで華やかに輝いていた日常が一瞬にして崩壊してしまったことを物語るような光景だ。
『我々アオイプラ――プラザは、皆さまの快適快適適で、健康・健全なせ生活、安価――たの楽しいショッピッピッピ――ザザッ――』
誰も居ない踊り場に、ノイズ混じりのアナウンスだけが響き渡る。
宙に投影されたホロ広告には非常事態を知らせる赤い警告画面だけが虚しく表示されていた。
オスカーは五階ほど下に見える広場を慎重に見下ろす。
「あれは……」
「皆死んでる、かも」
眼下の広場には恐らく一所に集められたヒト質達と、それを集めたであろう武装した組織のニンゲンが大量に横たわっていた。
エスカレーターを駆け下り現場へと近付くにつれて、それが思ったよりも凄惨な状況であることが二人の目に映る。
「このヒトは、叩き潰されてる。このヒトは、何かに引き摺られて、投げ飛ばされた、みたい。何か大きなのが、いるかも」
「でも混獣の気配もないとなると……」
もはや元の種族も判別が付かないほど破損した死体の山。
肉片が周囲の店やベンチ、壁、至る所にこべり付き、清潔なプラザと一体化していた。
「ひどいな」
大剣に手を掛け辺りを警戒しながらぼそりと呟いたオスカーだったが、その足首を突然、ぎゅっと握り絞められる感覚が走る。
「オスカー、下」
「生存者か」
「な……な、ぁ……あぁ、っ……」
元々武装していたであろうその男は大きな耳と尻尾を弱々しく揺らしながら、血にまみれた手で縋る。
オスカーはその場にしゃがむと男と視線を合わせ、しかし哀れな被害者に向ける目ではなく、あくまで敵対する者に向ける視線で向き合った。
「シンダースだな。何があったんだ。同士討ちしたようにも見えないけど」
「くそっ……奴らは――やりやがった、ハメられたんだ……口封じのために……くそ、間に合わなかった……爆弾だけじゃねぇ……汚染まで……」
「爆弾?この状況はお前達がやったんじゃないのか?」
「な、なぁ……っ!お前、お前ぇ……ランナーだろ……」
わしと肩を掴む男の手。
かぎ爪がコートに食い込むが、彼は表情一つ変えず、目の前の哀れな獣ジンから視線を離さなかった。
「あぁ、ランナーだ。お前達を依頼で始末しに来た」
「なら尚更だ!お願いだ!どうか俺らのダチを……アテール、を……巨ジンの娘を止めてくれ――」
「オスカー、上」
「――ッ!」
獣ジンが最期の言葉を捻り出そうとしたその刹那。
アビスの言葉でオスカーが素早く後方へ身を引いたその瞬間。
頭上から巨体が落下し轟音と埃を巻き上げながら男を虫のように簡単に踏み締め床へ擦り付けた。
オスカーの四倍近くもあるその巨躯の娘は静かにしかし怒りに震えた様子で立ち上がり、乱れた赤紫の髪の間から覗かせる赤い一つ目で彼を見下ろす。
「あ、あ……あぁ……あぁ……」
「オスカー、このヒト、汚染にやられてる」
「サイコシスか。アビス、下がって」
アビスが姿を消すと共にオスカーは大剣を構えただ真剣にその切っ先を、目の前で頭を掻き毟り呻く一つ目の巨ジン、アテールへと向けた。
「あぁ、あ……アネキ、アネキを……アネキを返して!アネキを!!!」
「完全に狂乱状態か。鎮静剤でどうにか出来る状態でもないな」
怒りのままに喉の奥から捻りだされる慟哭。
何度も何度もその巨大な拳が地面へと叩きつけられ、無残な被害者達を更に細やかな挽肉へと変えてゆく。
狂乱の巨ジンは子供のように泣き叫び、その矛先を眼前のオスカーへと向けた。
「お前が!お前が!!お前が奪ったんだ!アタシから、アネキを!!!死ね!死ね!死んじゃえ!!!」
『対処、するしかないね』
「あぁ、分かってる」
オスカーからすれば見上げるほどの巨体。
その力任せに振るわれる岩石じみて巨大な拳が、行き場のない怒りと狂気に苛まれた暴力が、ただ純粋に振り上げられた。




