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「大将、やってるか」
「おう!カノンか!らっしゃい!」
すりガラスの引き戸を開けると、店の外でも漂っていた香りがより濃密な波となって溢れ出す。香辛料とソースの香りだ。
香りと同じでエスニックな雰囲気を感じさせる店内装飾と、赤いテーブル、丸い椅子。若干黄ばんだ割り箸と、創業当初から継ぎ足し継ぎ足しだろうと思われる卓上調味料。壁に乱雑に貼られた手書きのメニュー。脂ぎった床。
あまりにも馴染み深すぎる雰囲気に、オスカーは姉がここを行きつけとしていた理由が何となく分かった。
カウンターの向こうでは四本腕の毛深い獣ジンの店主が鉄鍋と包丁を器用にさばいている。店内にはまばらに客が座っており、顔ぶれも様々だ。
「また新しい連れか。あいよ、メニュー」
「リフターの弟妹でな。新入りだ」
「リフターの!?ったぁ、どーりで似てる訳だ。ラオだ、よろしくな」
「オスカーです、よろしくお願いします」
店主ラオは彼女から学んだであろう所作で握手を交わした。
オスカーがラミネートされたツルツルのメニューに目を落としてみると、そこには見慣れた名前も多く見られる。恐らく本来は違う料理名なのだろうが、似通った存在として自分の知る料理名に置換されているのだ。
「好きなモノを頼め。私達の協力関係結成記念だ」
「どうしようかな。オススメとかって出来ますか?」
「あぁもちろんだ。任せときな!『東方地域』仕込みの鍋さばきを見せてやるよ!」
オスカーは旅先でこうした地元料理に触れる際は思い切ってオススメに飛び込んでみるというこだわりを持っていた。それで腹を下す事も少なくはなかったが、それもひとつの思い出としてよく刻まれている。
店主はそのまま厨房へと帰っていった。ジャッ、ジャッ、と鍋を振るう、子気味の良い音が聞こえてくる。
「店主は東の地域に長期料理修行の旅に出ていた事もあってな。店内の装飾も東方地域で見られる独特な文化のモノだ」
「地域によってかなり文化が変わるんだっけ。東は故郷ともちょっと似てる雰囲気なのかも」
「リフターが気に入っていたのもそういう理由かもな」
メトロは大分して北方、西方、南方、東方、そして中央で街の纏う雰囲気が大きく異なるらしい。それぞれの方角に近付くにつれて、街の様相が次第に変わっていくという。元々このメトロを発展させた際に入植してきたそれぞれの種族と文化が、特定の方角に根付き文化の基盤となったからだ。
自ずとその様式に馴染のある種族がそれぞれの方角に偏って集い街を形成していったとすれば、地域によって雰囲気がガラリと変わるのも頷ける。
今居るバベロン区は中央東寄りの地域に位置するらしく、方角に寄らない乱雑に入り乱れた状態にあるという。
一方で店内装飾は東方地域のモノで、だとすればその辺りはオスカーの故郷と似た東洋、アジアンな雰囲気が感じられる街並みなのかもしれない。
「っはぁ~!ごっそーさん!さてさてさぁて~?新入りの顔拝ませてもらおうかな?」
カウンターでえらい量の山盛り炒飯を平らげた女が席を立ち、ふらふらとオスカーとカノンが座る席へと近寄って来た。
背には巨大な鉄鍋を背負い、頭部からは丸まった角を、腰からは牛のような尻尾を垂らす。所謂チャイナ服とも言えるような独特な装飾の服は、この店の雰囲気とよく馴染んでいる。
尖った耳に重そうなピアスをぶら下げた彼女は、にこやかにオスカーの顔を覗き込んだ。
「え、えっとぉ……」
「彼女はウテツ。店主の義娘さんであり、ランク52位の『メジャーランナー』だ」
「あちょっと!自己紹介くらいさせてよぉ!オスカー、よろしくゥ!」
「メ、メジャーランナー……すごいですね」
ウテツがどかっと、オスカーの向かいに座ってひらひらと手を振った。
『メジャーランナー』というのはランナーの中でもひときわ名を馳せた者を指す言葉で、アウターにもその活動範囲を広げる。メディアにすら大々的に活躍を取り上げられる事もある存在で、多くのランナーが成り上がりを目指すのも彼らのような存在になる為だ。
そのランク52位ともなれば、彼女の才能は折り紙付きなのだろう。
「ま、あたしからすりゃトーゼンの事だけどね!あ、おとんビール追加!」
「ったくバカ娘が!お前さっきからどんくらい飲んだと思ってやがる!」
「いーじゃんせっかくのオフなんだしさ~も~」
「客の前でみっともねぇなぁ全く……」
などと言いつつも、義娘とはあまり似ている雰囲気のないラオがジョッキにビールを注いで持ってきた。それをぐびぐびと飲み干し、テーブルが割れんとする勢いで叩きつける。
言葉のニュアンスや彼らの様子からして、恐らく実際の血縁関係ではない親子なのだろう。
「ぷふぁ~!さてさてオスカー!つまるとこあたしはあんたの先輩ってワケだ!」
「そういう事になりますね」
「彼女の実力は確かだがランナー同士馴れ合いは必須じゃないぞ」
「なんでそんなこと言うのさカノンちゃ~ん!あたしゃーね、可愛い可愛い後輩『たち』の為に言ってあげてることなんだよ?ねぇ?」
「『たち』って……」
そういって彼女はずいとオスカーに顔を近づけた。
黄色い瞳が、オスカーの灰色の瞳を捉えそして、バンダナの目線を捉えた。
「いるでしょ、もう一人。イデアだね?安心して出てきなよ」
『オ、オスカー、バレてる』
「大丈夫!なんかあってもあたしが守ってやるからさ!ね?」
オスカーの目配せに、カノンはため息を吐くような仕草を肩で見せながらも小さくうなずいた。
恐る恐るもアビスがそっと、オスカーの体から現れる。
「キャー可愛い!それになんかどろどろ!名前なんて言うの?」
「わたしは、アビス」
「アビス~!よろしくね!」
「うぁぷ」
アビスを胸に押し付け、がしがしと彼女の頭を撫でている。
ウテツほどの実力ある者からすれば、彼女を隠していることすらお見通しということなのだろうか?少なくとも、アビスは苦しそうにじたばたしている。
「ふかふか、なのに、くるぢ……」
「お、なんだもう一人居たのか。じゃあ追加でサービスしといてやるよ」
「すまないな、ラオ」
「ドリフターな上に混人か~。それにお姉さんはリフターなんでしょ?こりゃまた濃いのを拾ったね!」
アビスをぱっと離し、ついつい空っぽのジョッキを傾けたウテツは「もう一杯!」なんて言っている。
「姉さんとも知り合いだったんですか?」
「たまに仕事を一緒にしてね。たまーにね?たまーに。確かにあんたら、目の色はよく似てるね。オスカーはちょっと控えめなくらいだけど!」
「あんま客に失礼なこと言うなよ。あいよ!お待ちどーさま!」
そうこう話しているうちに、ラオが一杯のどんぶりをオスカーの前に置いた。
それはどうやらワンタンスープのようで、温かで香り高い湯気を漂わせている。
どんぶりを覗き込んだ瞬間、オスカーは眼を輝かせた。そう、彼はワンタンが好物なのだ。
「これは……!」
「黒獣軒名物のワンタンスープだ。お前のあねさんからワンタンが好物だって話は聞いた事があってな。もしかしたら故郷とは味がちっと違うかもしんねーが」
「い、いただきます!」
「味わってみたまえ~!」
「お前はなんも手伝いしてねェだろうがッ!」
ポコンとまるめたメニューで頭を叩かれているウテツをよそに、手を合わせ、スプーンをスープへ沈ませる。琥珀色のスープの表面に浮く肉汁が、ひとつになったり、ふたつになったり。煌びやかな様子に、アビスも一緒になってどんぶりを覗き込んだ。
雲のように柔軟に漂うワンタンをそっとすくいあげ、ニラに似た野菜と一緒に口へ運んでみると、舌が跳ねるような熱さに思わず目をキュッと閉じる。溢れ出す旨味と、タネに編み込むように混ぜられた香辛料の香り。
確かに故郷で知るモノとはまた違った、独特な香り付けだが、だからこそ良い。そこでしか食べれない料理は、何よりも旅の醍醐味なのだ。
しっかりと味付けされたスープ自体は若干塩辛くも感じるが、それもまたご愛嬌。野菜の旨味も余すことなく活かされていた。
混界に沈み、泥を飲み、メトロに落ちて汚染された大気を吸い、ゴロツキに絡まれ、ドブの臭いに身を震わせ、コーヒーを啜って……いろいろあった一日だったが、その温かなスープと好物であるワンタンの旨味、何より店主の気遣いに、オスカーは胸が熱くなった。
「おいしいです……おいしいです!これ!」
「はは!良い顔してくれるじゃねぇか」
「オスカー、わたしも、食べたい~」
ねだるアビスの口へスプーンを運ばせてやる。彼女もはふはふと、慌ただしくしながらワンタンを頬張った。
「あつい、あつい」
「イデアは食事が必要ないと聞いた事があるが、食べるんだな」
「食事、必要ない。でも、食べるのは、楽しい。今、知った」
「はは!嬉しいこと言ってくれるな。コイツはそんな嬢ちゃんへのサービスだ!」
ラオがオレンジ色をしたプリンと思われるモノをアビスの前へ置いた。そのフルーティな香りからして、恐らくマンゴープリンに似たスイーツなのだろう。
「わたし、食事、必要ない。でも、いいの?」
「いいから食ってみろって!」
小さなスプーンですくいとって、小さな口でマンゴープリンを頬張るアビス。
ピンッ!と彼女の触角が立ち上がり、目を丸くした。恐らくその甘さに驚きながらも、気に入ったといった雰囲気だ。ラオも自慢げに親指を立ててサムズアップ。
そんな二人の様子を眺めながらビールをカッ喰らっていたウテツが、オスカーのベルトに差し込まれていたねじ切れたハンドルを指さす。
「ところでそれは?見たところ混術装置でもなさそうだけど」
「そういえば聞きそびれていた。先ほどから大事そうにしているな」
「あ、あぁ……これ、混界に一緒に落ちた愛車のモノなんです。混獣に襲われて壊されちゃって。持って帰れたのもこのハンドルだけで……」
「へぇ。大事にしてあげてるんだね」
関心深そうに頷くウテツの横で、カノンがじっとそのハンドルを見つめる。
それからどこぞへと連絡を入れているようで、暫くしてから席に戻って来た。
「話は変わるがオスカー、そろそろ武器や移動手段の準備に取り掛かった方がいいだろう。今知り合いに話を通してきた。食事が終わる頃にはこちらへ到着するそうだ」
「分かった。アビス、そろそろ――」
そこまで言いかけたオスカーの目に、とんでもない光景が飛び込む。
机を覆い尽くさんほどの豪華絢爛、満漢全席もかくやと言うほどに並べられた料理の数々。その豪勢な机の前にちょこんと座すアビス。
触手も腕も器用に使って、次から次へと飯を平らげてゆく!
「うまい、うまい、うまい」
「あの~嬢ちゃん、あんまり食いすぎんのもよくねぇと思うぜ……」
「ヒュ~!良い食べっぷりだねぇ!」
「……とんでもないな……」
「ごめん……カノンさん……」
会計伝票に目を通しながら、カノンは目頭を押さえた。
「食いっぷりに負けてやるよ」と嬉しさ半分そうなラオがにこやかにOKサインを出してくれたおかげで、会計は何とかなりそうでオスカーとカノンは共に胸を撫でおろした。
まるでブラックホールなんじゃないかという勢いでアビスに吸い込まれていく食事の数々。確かにこの勢いで行けば、『食事が終わる頃』には間に合いそうだ。
――しばらく後。
まさに会計を終えた丁度その頃、店の引き戸が勢いよく開かれる。
店内に入ってきたのはオスカーの腰よりも少し高い程度の身長しかない、ガスマスクで顔を覆った快活な老ジンだった。マスクの下からは編み込まれた立派な髭が伸びている。
「よぉラオ!邪魔するぞい!」
「ゲンジィ!今日も老酒か?」
「あーいや、カノンに用事じゃ!ソイツがオスカーじゃな!ゲンジィじゃ!」
デカい手で親指を立て胸に突きつける、その雰囲気は何とも言い表すのならドワーフと言ったところか。
店の外には彼のモノと思われる軽トラのような車両が停められていた。
「彼はゲンジィ。『ハンマーヘッド工房』という町工場の所長をしている」
「よろしくお願いします」
頭を下げるオスカーに、ゲンジィは「ウム!」と頷いた。
「んじゃあさっそく行くぞ!車両の仕立てじゃったな?任せておけ!きっと気に入るマシンが手に入るぞい!」
「オスカー、アビス!また今度!出来れば仕事で肩を並べられたら嬉しいねぇ!」
「テメェは皿洗いくらい手伝ってけ!」
去る二人に手を振るウテツと、再びポコンと頭を叩くラオ。
その実力は実際のところ知らないが、頼りになりそうな、そうでもなさそうな先輩に、オスカーとアビスも手を振り返した。




