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アパレルショップへ向かう道すがら、オスカーはカノンからこのメトロに関するいくつかの基礎知識を共有された。
この都市は天井の上に存在する上層『アウター』と、天井によって空を閉ざされた下層『アンダー』に二分されているらしい。アンダーの更に下にはかつて地下方向の都市開発計画によって建造された最下層『ボトム』が存在しており、それを含むのであればメトロは三層構造という事になる。
アウターは深刻化した大気汚染から逃れる為に企業が一丸となって建造したジン工浮遊都市基盤で、メトロの空を覆い尽くしている。清浄な空気を持つアウターの土地には富裕層と大企業に所属出来るような中流階級以上の者、恵まれた血統を持つ種族、それと一握りの成功者しか居するのに適さない。普通に暮らすのにもとにかく金が必要なんだとか。
そうなればこのアンダーには実質的にメトロジン口の大部分を担う貧困層が押し込められている事となる。秩序立った上層での暮らしには残念ながら適さない種族も多く存在し、アンダーが混沌とした様相に染められている重大な主原因のひとつになっているのは否定出来ない事実だ。
取り分け酷い者達は更に最下層ボトムでの生活に落ち延び、近寄るのも憚れる最底辺の泥沼じみた治安と、濃密な大気汚染の餌食となっている。
治安維持組織である『ガルム隊』も下層アンダーでは殆ど機能出来ないくらいのヒト手不足であり、故に『ランナー』のような自浄作用が発達していく事となった。最も、そのランナー自体が新たな混沌の火種となる事も少なくないのだが。
今オスカーが居るのは『バベロン』と呼ばれる地区らしい。メトロはこうした無数の地区によって地域が分かれているらしく、それぞれの地区によって街の外観や特性、風土が大きく異なる事もあるという。ただ共通しているのはメトロは限りなく広く、その全てが隙間なく都市と道路と天井によって覆われている事だろう。
「どうかな?アビス」
『いいと、思う。が、前の衣装と、あんまり変わってない、気もする』
試着室で鏡を前に、オスカーはくるりとその身を翻してみた。カノンと街をぶらついて様々なアパレルショップを周ってみた。もちろんオスカーのような四肢を持ち尾を持たない種族を対象とした商品展開が為されている店を中心として。
結果的に、作業服や安全靴を専門として取り扱うショップに落ち着いた。なんとも無骨で地味な灰色基調とした作業着だが、十分機能的であるとも言える。
この街では種族を厳密に呼び分ける名称や基準はなんと存在しないらしく、全ての者が一括りに『ジン類』と呼ばれている。並行世界と繋がる都合上、外見は似通った種族でも内部的には全く異なる血統や遺伝子を持つという場合が殆どで、わざわざ呼び分けるには途方もなくキリがないのだ。
最も、お互いを外見で判断しスラングで呼びつける事はあるらしく、オスカーやカノンのような『四肢を持ち目立った尾を持たない者』は『ロイド』と罵られる事がある。これは太古のメトロ原住民と姿が酷似している為、『原住民もどき』と言った意味合いが変性して出来たスラングだという。
どんな異形の者でも、ヒトをそれ以外の生物と区別して『ジン類』と判別する基準はただひとつ、『言語によるコミュニケーションが可能かどうか』。ただそれだけだ。
「様になってるじゃないか。機能的だし悪くない。だがいいのか?それは作業着の類だが。もう少し洒落たモノでも構わないんだぞ」
「こういうのが結局動きやすいし安心するから。運動するなら動きやすくて機能的なのに越した事はないしね」
「それはそうだな。さて、会計を済ませてしまおう」
カノンがレジにて代金の支払いを行っている。決済用の端末に、先ほどもそうしていたように目線を合わせた。一瞬彼女の義眼が煌めき、直ぐに振り返る。
メトロでは物理的な貨幣でのやり取りは『公的には』存在せず、全てが電子通貨でのみ管理されている。通貨の名は『ラムスクレド』。黄金の枝をシンボルとし、単に『枝』や『rc』と呼ばれることもある。
やり取りにはウォレットアカウントの登録と手続きに使う端末が必要だ。『混術』によって端末さえ所持していれば思考するだけで金銭の取引が出来る。カノンの場合はサイバネティクス・アイにその機能が登載されているようだ。
「ありがとうカノンさん。それにしても電子通貨しか使えないって随分と思い切ってるよね」
「オスカーのカードも登録しに行かないとな。報酬の受け取りにも必要だ」
店を出れば、車が行き交いネオンが輝きヒトビトが忙しなく歩き回り空を閉ざす天井が一斉に視界に飛び込んでくる。
こうした街の技術を駆動させているのは全て『混術』と呼ばれるメトロ特有の技術が基盤になっている。『混素』と呼ばれる物質を燃料源に、機械や装置を用いて誰もが安定して魔術のように様々な現象を再現出来る混成技術だという。
車を動かすのも、ネオンを輝かせるのも、ヒトビトがネットを通じて通貨や言葉をやり取り出来るのも、アウターを空へ浮かす反重力装置も、あらゆる言語を自動翻訳してくれるのも、全てが『混素』と『混術』によってなりたっているのだ。
同時にその混素は、世界の大部分を汚染し大気を薄暗く染めている原因でもあるのだが。
クレド協会の銀行支店へ向かい、ATMのような端末に案内されたオスカー。書類による手続きは一切行われず、羊っぽい獣ジンのスタッフに指示されるまま、端末に手をかざす。
「お客様の生体混術紋証情報をウォレットアカウントとして登録いたします」
「は、はい、お願いします」
「試しに端末に向けて『通貨のやり取り』をイメージして念じてみてください」
混術にはヒトそれぞれ『指紋』のようなモノがあるらしい。オスカーのような『魔術』とは縁遠い文明に生きた種族でも、微弱であれどうであれ必ず存在する。
何故なら生物も含めた全ての物質・現象は元来『混素』の変質によって生成されているからだ。
この混術紋証を使って、例えば鍵の開錠やこういったアカウントの紐づけなど個ジンの判別を執り行っているらしい。
「手続きは終了になります。こちらがお客様のカードになります。アカウントが登録されていますので、他の端末でも同期化すれば同一のウォレットがお使いになれますよ」
「ありがとうございます」
「それでは良きマネーライフをお過ごしください」
なんとも現金な挨拶で送り出されたオスカーの手には、発行されたウォレットカードが携えられていた。ラムスクレドのシンボルが刻まれたチップのようなモノが埋め込まれている。これが決済に必要な『混術装置』として機能するようだ。
「さっき渡したパッドと同期化しておけ。pitにも簡単にアカウントへ紐付け出来るはずだ」
『オスカー、見せて』
「どう?見える?」
『黒いカード、キラキラ』
ネオンに透かすようにオスカーがカードを掲げると、光を受けてチップが鈍く煌めいた。そんな様子を見て、アビスが目をぱちくりとさせている。
様々な店が立ち並ぶ街道を歩み、次の目的地へ向かう一行。こうしてみれば、異常発達した大型建造物が乱立していたり違法建築が絡み合ってる様子を除けば故郷の都市部と成り立ちは近いモノがあるとオスカーは思った。
「あらそこの可愛いコ、ちょっとウチの商品見ていかなぁい?イイモノ揃ってるわよ!」
「あ、えっと……間に合ってるので」
……明らかに艶めかしいピンク色の照明を発し裸体を晒すアクターがビートに合わせて蠱惑的に体をうねらせヒト目を惹く店が、大通りとバッチリ面する場所にガッツリ見受けられたりもするが。
「一文なしなんだ、そっとしておいてやってくれメルティナ」
「あらぁカノンちゃん!久しぶりね!また新しいヒトひっかけてるの?今度は随分と可愛い系じゃなぁい!またお店にも顔出してちょうだいよぉ~」
一糸纏わぬその姿、ギラギラしたピンク色の体液に、これまたギラギラしたラメを体内に混ぜさせた派手派手しいスライム族のお姉さんがにこやかにカノンへ迫る。が、彼女はあまり目線を合わせようとはせず、というよりも「余計なことは言うな」と言いたげに言葉を濁す。
「リフターの弟妹だ。また機会があったらな」
「え!リフターちゃんの!?可愛いぃ~!またリフターちゃんも連れて来てよねぇ~!」
「あは、ははは……」
メルティナはにこやかに歩き去る二人に手を振った。
見るからにアダルトな様子のグッズやサービスを提供する店に見えたが、そういった店舗も他のアパレルや飲食店と当たり前のように並んでいる様子はオスカーの故郷ではあまり見なかった光景と言える。
空は閉塞的だがこうしたカルチャーが開放的に根付いているのも異なる種族同士による価値観の違いが現れた結果でもあるだろう。それと同時に、閉塞された雰囲気や抑圧されるストレスを解消する為の手段でもあり、企業の戦略であるとも言えるのかもしれない。
「カノンさん、姉さんとあの店行ったの……?」
「私が連れて来られたんだ。全く、お前の姉は派手好きだから何でもかんでも……それとメルティナの言ったことは真に受けるなよ?『ひっかけた』のではなくドリフターに街案内をする機会が多かっただけだ」
『カノン、イライラ。あのヒト、ギラギラ。オスカー、あの店、行ってみたい』
「アビスには早いんじゃないかな……」
どんな事が行われたのかオスカーはもちろん聞かなかった。
なによりも本ニンが最も気まずそうにしていたから……。
スタスタとヒト混みを掻き分け、凶器ストア、何が売っているか分からない肉屋、違法なのか合法なのか判別付かない様々なドラッグを並べたアングラ薬局、サイバネティクス・インプラント施術を請け負うサイボーグショップなどの横を通り抜け、商店街から少し外れた道へ。
ぽつりぽつりと個ジン経営と思われる飲食店が並ぶ街道で、カノンが立ち止まる。
「ここだ」
「おぉ……」
『ここが、行きつけの店?』
オスカーにも嗅ぎなれた匂いが漂う、こじんまりとした店。一言で表すのであれば『街中華』と呼ぶのにふさわしい外観だ。
看板には筆のような文字で『黒獣軒』と読める店名が描かれていた。
鼻孔をくすぐる香りに、思わずオスカーの空腹が思い起こされた。




