07
その街は『メトロ』という名だった。
「……すごいな」
『ギラギラ、ギトギト』
「ここは少し、複雑な場所さ」
高層建築と歪な違法建築が複雑怪奇に絡み合い、神経や血管のように道路がそれらを繋いでいる。地上を走る車が列をなしていると思えば、ふと空を見上げれば空を飛ぶ車。入り組み、交差し、それぞれがそれぞれまるで独立しているようで絡み合って機能している様はまるで生物の細胞を顕微鏡で覗き込んで、その中に居るようだ。
上空から見ても思った事だが、この世界のネオンはオスカーが元居た世界のそれ以上に激しく目を刺し明るく輝いている。それは世界が暗闇に包まれているからだけではなく、薄く霞むほどに汚染された大気に輝きが乱反射しているからだ。
どこを見ても、広告、広告、広告。ヒトビトの欲望を刺激し、喉を乾かし、空腹を促し、着飾るように不安を煽り、娯楽に唾を飲まさせる。歪で刺激的で無粋で無秩序。空ですら広告を掲示する企業の所有物だと言わんばかりだ。
『オスカー、良い匂い』
「目で匂いが嗅げるのか?」
『うん』
対照的に、寂れた裏路地や廃墟、小さな屋台も散見される。輝きの足元で、踏み潰されそうな蟻のように懸命に息衝いている。そしてそこには砂糖に群がるように、ヒトが列を成し、歩き、見たこともないような小料理を摘まむ。
マクロでは煌びやかで端正に見える街でも、ミクロで見れば乱雑極まりなく、らくがきとステッカー、投げ捨てられたゴミが辺りに散らかり、勝手に増築された鉄骨剥き出しの建物がビルにめり込み、それらがモンタージュのように組み合わさってこの極彩色な街を形作っているのだ。
「おぉ!カノンさん!今日はまた別のお連れさんかい?」
「あぁ、どうも」
口から頭足類のような触手を髭のように伸ばした店主がカノンへ声を投げかけ、彼女は簡単に言葉を投げ返す。
いつの間にかその手には店主が売っていた『何かヒモ状の物体』を串焼きにしたモノが握られていた。
「カノンさんじゃねーか!おいちょっと聞いてくれないか?俺の相棒が昨日から調子悪くてよ?多分ここがちょっと削れて甘くなっちまってるみてェで」
「今は急用で立て込んでてな、また日を改めてくれ」
「あらぁ~カノンちゃんじゃない!どぉう?プラザで今日生鮮パックが安かったのよぉ!おすそ分けよ!」
「ありがとうマリモおばさん。また何か銃の事で困ったらうちに顔だしてください。お礼はその時に」
『オスカー、カノンは、人気』
「そうだね」
いや、正しくはこうしたコミュニケーションがこの街では当然なのだろうとオスカーは彼女の立ち振る舞いを見て察した。そうすることが、この街で生きる為には必要なのだ。
カノンに言葉を投げかけるヒト、道行き過ぎ去り行き交うヒトビト、同じ顔、同じ形が一人としていない。それは元居た世界でもそうだったが、それとはワケが違う。
複眼を持つ者、腕が二対以上ある者、尻尾を揺らす者なんてのは序の口で、ショベルカーが二足歩行しているとしか表現できない者、見るからに四足歩行の獣でありながら流暢にヒト語を話し、連れの逆立ちしながら歩くイソギンチャクのような者に屋台の串焼きを口へ運んで貰っている者。
半透明でネオンがその体を透けて見える者はヒト混みの頭上を優雅に通過し、黒い翼を纏う者は電線に逆さ吊りになって、白い翼を持って電柱に立つ者と共に流行のスイーツを両手にSNS用の記念撮影を行っている。
道路にはタイヤのある車ない車が混在し、更にそこに紛れて体を丸めて転がる者も居た。そちらの方が移動が便利なのだろう。危うく跳ね飛ばされた空き缶の中から小さなヤドカリが出て来て、彼らに文句を叫ぶ。
下水に通ずる金網からずるりと液体状の何かが這い出てきたかと思えば、先ほどのタコ髭の店主へ屋台料理を注文し始めた。0と1で身体が構築されたチカチカ明滅を繰り返す者は、スライムに順番を抜かされたことを不服そうに訴えている。
混沌とした濁流に押され、揉まれ、そんな流れの中でカノンやオスカーに日常的な挨拶以上の興味を向ける者は少ない。
混界で衣服を溶かされ見すぼらしいボロボロの恰好をしている彼ですら、過激な衣装を纏う先進的なパンクスと比べればまだ布面積が多いらしい。かと思えば「アイツなかなかイカしたウェアしてんな!オーイ!」なんて袖が足りないモヒカン頭が手を振ってくる。
そんな中であっては、目をギョロつかせるバンダナにわざわざ注目する者などいない。そもそも目が三つ増えたからなんだ。四方八方を見渡す眼球を全身にギョロつかせている者だっているのだ。
「大丈夫か?何か気になるモノでも?」
「だ、大丈夫です、ちょっと圧倒されちゃって。気になるモノは確かに実際多いんですけど……」
今まで幾つかの異国へ訪れてきたオスカーでも、ここまでの振れ幅は流石に現実的ではなく、目に映るモノ全てに眩暈がしそうになる。そんな中でも、ひとつ確実的に大きな疑問があった。
「それでよぉ、ガルムの連中に罰金取られちまって」
「バカがよ、これからは肉買う時はちゃんと場所選べよな」
「ねーねーお母さーん。イヌが居ないよぉ」
「はいはい!また買ってあげるからね!」
「安いよ安いよー!Feバーの入荷数間違えちゃってめちゃくちゃ余ってるよ~!安いよ~!」
言葉だ。全ての言葉が理解出来る。今までそんな経験はどんな異国に行こうともなかった。
彼らの話す言語の全ては、多少のなまりがあろうとも、オスカーの知る言葉で行き交っているのだ。奇妙な事に、ネオンや街の看板に描かれてる文字は全く統一されておらず、奇怪奇妙な多種多様な言語で描かれている。にも関わらず、目を通してみればその文をどう読み、どういう意味が込められているかが理解出来てしまうのだ。それが最もオスカーを困惑させ、若干気分を悪くしている要因だった。
本来であれば、その国々へ行くたびに言語の壁で悩まされるのは必然だ。それが、こんな異ジン種の坩堝の中にあって、『言葉』だけは一言一句自分の言語で伝わってくる。もちろん、時々理解出来ない単語や、その種族特有のイントネーション、息遣いなどが混ざる事はあるが。
「言葉だな、オスカー。今は気分が悪いだろうが、いずれ慣れるさ」
「皆同じ言葉を喋るんですね、ここでは」
「いや、実際に話しているのはひとりひとり別々の言語だ。ふむ、仕組みが理解出来た方が気分的にはマシか」
カノンは遠く、ビルとビルの間の向こうに見える電波塔のように聳え立つタワーを指示した。それは空を覆う天井まで貫いて、まるで空を支える柱のようだ。
「要は電波や結界のようなモノだ。喋り手が『言葉』に乗せた意味や意図を、聞き手が理解出来る言語へ『勝手に』置き換えて通訳してくれる。聞き手側に置き換えられる言葉が無ければ翻訳出来ずそのまま伝わってしまうがな。そういう『混術』がこの街には作用しているんだ。あの『ブランチ』と呼ばれるタワーからな」
「言葉を翻訳する魔法、って事ですか。確かに便利ですけど、実際は皆別々のこと喋ってるって……慣れないと違和感が凄いですね、これ」
「『魔法』か。まぁ今はそういうモノとして受け取っておいた方が分かりやすいだろうな」
もう今更魔法だの魔術だのでオスカーは驚かなかった。実際、先ほどゴロツキに襲われている時にもカノンは同じようなことを口走っていた気がする。そもそも自身には今、肉体を自在に作り返れる怪生物が寄生しているのだ。それよりはまだ理解出来る範疇だ……という風に自らを納得させた。
「他にも気になる事は様々あるだろう。あの『天井』とかな。同じくらい気に引っかかる事はあるだろうが、少しずつ知って行けばいい。知らない事を急に全部飲み込もうとするには些かこの街は疲れすぎる」
「カノンさんは、ボクみたいなヒトの扱い慣れてるんですね」
「『ドリフター』……別世界からの漂流者とは何かと縁があってな。彼らがこの街で生きていけるようにいろいろ教えていくうちに、な。まぁ彼らがその後も元気でやっているかは私の知るところではないが」
カノンの言葉と表情は、幸いにもオスカーにとって最も親しい部類だった。その言葉が意味するところが冷たく不穏なモノだったとしても、『似た種族』というだけでオスカーはとりあえず安心する事が出来たのだ。
元居た世界で『人種』と表現されていたモノで言えば彼女はオスカーとは異なるが、この異様なまでの『種族』の差異の中では、自分と殆ど大きな差はない。
「ふむ、安いな。ひとつ貰おう」
「今日はセールだからね!はいよ!サイボーグ用潤滑ゼリーね!カノンさんのサイバネはスタインボーグ社製だっけ?」
「あぁそれで構わない。出来ればマルシアフレーバーがいいのだが」
「すまんね!メルホーアしかないんだわさ!」
「まぁ……それでいいか」
得体のしれない串焼きを食べきったカノンが、得体のしれないパウチに得体のしれないゼリー状の物質を得体のしれない壺から汲み取って詰めたモノを露店の店員から手渡される。決済用の端末と思われるモノに一瞬目線を合わせてから、パウチにストローを刺して、カノンが徐に吸い出した……。
『オスカー、あれ飲みたいのか?』
「あ、いや……別に……」
「どうした?うぇっ、なんだこれは。メルホーアじゃないぞ。ドブ油の方がまだマシだ」
「……いや、本当に何でもないです」
顔を顰めてゼリーを噴き出したカノンの横で、オスカーも同じように顔を顰めた。
その時、路地の向こうから銃声が響く。
「キャー!返しなさいよ!あたしのバッグ!!!」
「ヘヘヘ!バーカ知らねぇよババア!」
ソフトモヒカン頭のヒキガエルが、その手に何か……コケの塊のような物体に肩掛け用のベルトが付いた何かを抱えて走っていく。その後ろでは首が長い――のではなく、蛇の頭をしたマダムが悲鳴を上げながら窃盗犯へ向けて拳銃を乱射していた。
「おらババア!くたばれよ!!!」
「なっ――」
そのマダムの後ろから、腕に鎌を伸ばしたカマキリ男が現れ、あろうことかマダムの細長い首を撥ねてしまった。
真っ赤な鮮血が、壁もアスファルトも関係なく濡らす。通行人のコートに血液が掛かり、ズタ袋を被ったコートの主が煩わしそうに手で拭っている。先ほどまで電線にぶら下がって華やかなクレープを貪っていたうら若い黒い翼の彼女は、吹き出す血を見て生唾を飲み込んだ。
あまりにも、屋台の営みとそう変わらず当然のように発生した事態にオスカーは思わず息を呑む。
「おいまたアイツらかよ!いい加減にしろ!」
「ギャハハ!金が尻振って歩いてるからいけねーんだよ!」
「おい!前!前見ろ前!」
「うごぉあっ!?」
ヒキガエルが道路へ出ようとした矢先、電撃のように路地を駆けてきたヒト影が彼を勢いよく跳ね飛ばした。抱えていたバッグ?の中身を撒き散らしながら、アスファルトへ転がった彼の胴体を、今しがた駆けてきた黄色いレインコートの女が踏みつける。
「う、うげぇあああっ!?」
「ったくゴミ掃除させられるこっちの身にもなりやがれってんだよ!」
女が持った二振りの刃がヒキガエルの首を引き裂いて地面に転がす。サッカーボールのようにそれを蹴飛ばして、女はカマキリ男に向き直った。
転がったヒキガエルの頭は道行くタイヤにすり潰されてしまったようだ。
「テメェ、『ランナー』だな。それも見覚えがあるぜ。ノーナだったか?」
「あぁそうさ。あたしがノーナだ。依頼主はゴミ掃除をご所望だぜ」
「ヘヘッ!ゴミ拾いのボランティアじゃなくてよかったぜ!」
刃と刃がぶつかり合う音、それに歓声を上げ賭けまで始める者もいれば、興味なさそうに通過する者もいる。
どちらかといえば後者に該当するカノン達は、戦いの行く末を見届けるまでもなく、先を行く。
「全く、騒がしくてすまないな」
『もう少し見たかった』
「あぁいうのが当たり前なんですね、ここ」
「そうするしかないからな。どうせランナーが勝つだろう。さ、ここが私の工房だ」
カノンがひとつの小さな、しかし立派な二階建ての建物の前で足を止めた。
彼女の瞳と同じように紫に輝くネオンは何処となく『B/B』と似た形に象られており、それが意味するところは『ビハインドバレル』だとオスカーに読み解く事が出来た。
カノンが扉に設置されていた端末を見つめると、厳重なロックが解除される。手で触れる事もなく、思考で操作出来るとはなんと便利なことだろうか。
「口に合う飲み物が出せるか分からないが、とりあえずここなら安全だ。遠慮せずあがってくれ」
「はい、ありがとうございます。失礼します」
「……独特な所作だな」
軽くお辞儀をしたオスカーの様子を見て、カノンは考え耽るように顎へ指を当てた。




