どうやらわたくしは暗殺されたようですが、幽霊になってもそこそこ幸せです
晩餐の時に出されたワインを一口飲んで、わたくしは喉を抑えた。
喉が焼けるように熱い。毒を盛られたのだとすぐに分かった。
けれど、吐き出すこともできない。体が熱くて、痛くて、血を吐いた。
周囲は大騒ぎだ。それはそうだろう。
正妃であるわたくしが毒殺されるなんて醜聞もいいところだし、毒を盛れる人間だって限られる。
椅子に座っていられず床に倒れこむ。ベルベッドのカーペットに体が打ち付けられた。
けれどその痛み以上に、毒が回った体が悲鳴を上げている。
もがくように喉を抑えてのたうち回る。死を覚悟せざるを得ない。
薄れゆく意識の中で、いま目を閉じれば二度と目覚めることはないのだと自覚した。
どうにか霞む視界で目を開けると、わたくしが生んだ王子――ロテールが涙目でかけよってきて「かかさま!!」と叫んでいる。
ああ、ごめんなさい。貴方を一人にしてしまうわ。
わたくしが死んでも陛下がいらっしゃるとはいえ、どこまであてになるものかしら。
貴方の成長を、ずっと、みて、いた、か……た……。
灼熱のように感じる血を吐き出して、わたくしは意識を手放した。
縋りつく小さな体を抱きしめ返すことができないのが、ただただ無念だった。
死んだ、と思っていたのだけれど。
きょとんとした気持ちでわたくしは周囲を見回していた。
見慣れた自室。正妃として陛下に嫁いでからずっと使っている豪奢な部屋だ。
わたくしの好みに合わせて白で統一された室内は、まぎれもなくわたくしの部屋だった。
どうして部屋にいるのかしら。わたくしは晩餐の途中で倒れたのでは。
死ぬのだと覚悟を決めたけれど、命は助かったのかしら。
(それはないわね)
妙に冷静な頭がそう告げる。
だって、わたくしの目の前には『わたくしの体』がベッドで寝ているからだ。
陛下がおいおいと泣きながらわたくしの遺体に縋りついているのをはたからみるのはなんだか変な気持だった。
(いわゆる、亡霊という状態なのかしら?)
気づいてみれば、足元はふわふわと浮かんでいるし、体もなぜか透き通っている。
ずっと人ならざる存在のことをあまり信じてはいなかったけれど、こうなると話が違ってくる。
わたくしは無念からか死んでなお天国にはいけなかったらしい。
(でも、それならそれでかまわないわ。心残りはたくさんあるのだし)
一番の心残りである可愛い我が子、ロテールはどうしたのかしら、と周囲を見回すと、こちらを見上げるつぶらな瞳と視線が合う。
今年三歳になるばかりの息子はじぃっとわたくしをみている。
偶然かしら? と右に左に浮かびながら移動してみても、明らかにロテールの視線はわたくしを追いかけている。
「まあ! ロテール! 貴方、わたくしがみえるのね?!」
嬉しくなって歓声をあげると、ロテールはにぱぁと満面の笑顔を浮かべてわたくしに手を伸ばしてくる。
その手に触れようと手を伸ばしたけれど、すり抜けるだけだった。
ああ、わたくしはもうこの子をこの腕に抱くことはできないのだと痛感する。
「ロテール、母にさよならを伝えるのだ」
涙ながらに陛下がロテールを抱き上げる。
どうやら陛下を含め、部屋に控えている侍従たちにはわたくしの姿は見ていないらしい。ロテールだけがわたくしを視認できる。
それは親子の情故か、あるいはロテールがまだ幼いからか。
理由はわからないけれど、好都合だ。わたくしを毒殺した犯人を突き止めるのにも利用できるだろう。
陛下の腕に抱かれたロテールが不思議そうにわたくしの遺体とわたくしを見比べている。
にこにこと微笑んで手を振ると、ロテールもまた嬉しそうに手を振り返してくれた。
わたくしの息子がかわいいわ!!
わたくしを毒殺した犯人は第二王妃だった。
そうじゃないかしら、と思いつつ壁をすり抜けられる便利な体で第二王妃の私室に滑り込んだところ、彼女はワインを片手に高笑いをしていた。
気づくなというほうが無理な話だ。
そのうえ、第二王妃は上機嫌に大きなお腹を撫でながら「貴方が将来の王太子ですよ」などと言っている。
産まれてくるのが王子か王女かわからないというのに、ずいぶんと気が早い。
でもまぁ、陛下が新しい正妃を迎えない限り、彼女が正妃になるのだろうから気分もいいだろう。
わたくしは死んでしまったから恨みはあれど、もうどうでもいい。
ただ、ロテールに手を出そうとしているのは看過できない。
将来の王太子はロテールだ。わたくしの産んだ息子こそが王太子にふさわしい。
以来、わたくしは夜になると第二王妃の私室を訪れて夢枕で呪うようになった。
呪いといっても大したことはしていない。
枕もとで「よくもわたくしを殺しましたね……わたくしは貴女を許しません……末代まで祟ります……」と薄暗い顔で繰り返すだけだ。
効果はてきめんだった。
初めて夢枕に立った日の翌日には、第二王妃は髪を振り乱して「呪いじゃ! 呪われておる!!」と大騒ぎ。
侍従がどんなになだめても落ち着かず、半狂乱の第二王妃を指さしてわたくしがけらけらと笑っていると、陛下までやってきた。
「いったいどうしたというのか」
「ああ、陛下。あの方が、妾を呪っているのです……!」
その言葉に陛下の眉がぴくりと動いた。
呪われている、と思うのなら、心当たりがあると考えるのが妥当だからだろう。
陛下が落ち着かせようと言葉をかけても混乱している第二王妃に医者が呼ばれた。
精神を落ち着かせる作用のある薬――平たく言えば睡眠薬を処方され、眠りについた第二王妃を眺めつつ、陛下はため息を吐きだした。
「第二王妃の部屋を捜索せよ。正妃のワインに毒を混ぜた使用人はすでに殺された。手がかりが欲しい」
「は」
あら、わたくしを毒殺した犯人は殺されてしまったのね。口封じにしても手が早い。
第二王妃が寝ている間に部屋の中を慎重に調べだした陛下の腹心の姿を眺めつつ、しばらくして興味を失ったわたくしはロテールと遊ぼうと息子の部屋に向かった。
わたくしが第二王妃の枕もとで恨み言を連ねだしてから、はや一週間。
第二王妃はみるみる憔悴していった。
彼女がわたくしを毒殺した真犯人という決定的な証拠はみつからなかったようだが、わたくしの死を喜んだ時点で重罪だ。
昼間はロテールの傍で過ごし、ロテールが寝付いた夜は第二王妃の枕もとで祟る。
そんな日を繰り返していると、にわかに王宮も騒がしくなった。
勘のいいものが数名いるのだろう。
彼ら曰く「廊下で正妃様を見かけた」「正妃様がロテール様と遊んでおられる」「第二王妃様を恨めしそうに見ていた」と証言を上げたのだ。
最初こそ一笑に付されていたが、証言が積み重なったのと、第二王妃の憔悴ぶりがあまりに酷いので、聖職者を呼んでわたくしの魂を鎮める儀式がおこなわれることになった。
わたくしが一番時間を過ごした自室で魂を鎮める儀式を行うと教会の聖職者が集められたが、わたくしのことすら見えない彼らにどうにかされる心配は最初からしていなかった。
案の定、儀式は厳かに行われたけれど、わたくしにはなんの変化も起こらない。
「ロテール、あとでお母様と遊びましょうね」
「あい!」
別室で暇そうに過ごしているロテールの元を訪れにこにこと声をかけると、満面の笑みで頷かれる。
ああ、かわいいわ。わたくしの癒し。
そしてさらに二週間が過ぎた。
わたくしが死んでから三週間が過ぎた頃、第二王妃が涙ながらに陛下の元を訪れた。人払いを済ませた陛下の執務室で、第二王妃が陛下に泣きついている。
「陛下、どうか、どうか正妃様を鎮めてくださいませ。このままでは子が流れてしまいます……!」
陛下に縋りついて涙を流す顔は、すっかりとやつれている。
私が毎日枕もとにたっているから、食事も喉を通らないし、寝れてもいないのだ。
わたくしはさて、陛下はどんな反応をなさるだろうか、と第二王妃の後ろから見守っていた。
「サンドラ、厳しいことを聞くが、お主がステファニーを毒殺したわけではないのだな?」
「もちろんでございます」
第二王妃様とわたくしの名前を呼んだ陛下の言葉に、彼女は一つ頷いた。
嘘つき―! と思いながらべぇと舌を出すと、ちら、と陛下の視線がこちらを向いた気がする。あら?
「神に誓えるか?」
「はい」
神に誓った言葉は覆してはならない。死罪に値するからだ。
わたくしが冷めた目で第二王妃を眺めていると、陛下がいきなり立ち上がった。
そして、わたくしのほうへ歩み寄ってくる。あら、あらあらあら?
「では、ここにいるステファニーに事の次第を聞くとしよう」
「へ、陛下……?」
「ステファニー、そこにいるのであろう。わしはロテールのように姿は見えぬが、存在と声は感じることができる」
怯える第二王妃を無視した陛下の言葉に大きく目を見開く。
わたくしは震える喉でゆっくりと言葉を紡いだ。
「陛下、わたくしがわかりますの……?」
「ああ。国を治める我らが血筋は神に連なるものだ。この世ならざるものの気配が感じ取れる」
ああ、だからロテールはわたくしのことがわかったのね。
わたくしは嬉しくなって陛下に抱き着いた。そっと腕が背中に回される。
触れることはできないけれど、確かに陛下を感じられてわたくしは嬉しくて仕方ない。
「第二王妃様はわたくしを毒殺しました。自室でわたくしの死を喜び、高笑いをしているのを目撃しています。わたくしを殺した毒は――」
毒の入手経路と隠し場所を陛下に教える。陛下は一つ頷いて、わたくしからゆっくりと離れた。
「誰かおらぬか!」
陛下が大きな声で人を呼ぶ。扉のすぐ前に控えていた陛下の腹心の宰相がすぐに姿を見せた。
「サンドラを正妃毒殺の犯人として罰する。地下牢に連れていけ!」
「陛下!!」
第二王妃が悲鳴を上げる。いい気味だ。
人を殺して自分だけ幸せを享受しようなんて、そんな都合のいいことがまかり通っていいはずがない。
宰相は陛下の突然の命令にも動揺した様子はなく、外にいる騎士を呼びつける。
そして、一言陛下に尋ねた。
「第二王妃様のお腹の子はどうされます」
「まだ産まれぬ子に罪はない。だが、罪人の血を引いていることも事実。産まれ次第、教会に預けるものとする」
「そんな!!」
お腹を庇うようにして第二王妃が後ずさる。
だが、すでに執務室に突入してきた騎士たちによって左右を囲まれていて、身重の体では逃げられない。
「第二王妃は神に誓った言葉に偽りを告げた。極刑は免れぬ」
「陛下、陛下!! 温情を……!!」
「そのようなものはない。己の愚かな行動を悔いるがいい」
ぴしゃりと第二王妃の言葉を跳ねのけた陛下が「連れていけ」と冷たい声を出す。
わたくしですら聞いたことのない冷徹な態度に少し驚いていると、騎士たちが第二王妃を掴んで連れて行った。
最後まで喚いていた彼女の声が聞こえなくなったころ、宰相が静かに執務室を後にして扉を閉める。
「ステファニー、これで満足だろうか」
「ええと」
満足か、と聞かれると難しい。わたくしが死んだ事実はなくならないのだから。
首を傾げるわたくしに、陛下はことさら優しく問いかけてくる。
「神の御許に逝く気がないのであれば、わしとロテールを見守ってはくれぬか」
「どういうことですか?」
「我が国の守護神となればよいのだ」
なるほど? 確かに祟り神でいるよりよっぽどいい。
けれど、守護神になるにはどうしたらいいのだろう。
やっぱり首を傾げ続けるわたくしに、陛下は穏やかに笑う。わたくしより一回り以上年上の陛下だけれど、そうしていると優しげなおじさまに見える。
「ステファニーを祀る教会を作ろう。女神としてそこに座すが良い」
「ロテールの傍にいたいのですが」
「ああ。無論だ。気が済むまであの子の傍にいてやっておくれ」
許可をいただいてわたくしは嬉しくなってくるりとその場で踊るようにタップを踏む。
ロテールが大きくなるまで――そうね、成人してお嫁さんをもらうまでは傍にいさせてもらおう。
そのあとのことはそのあと考えればいい。
「それにしても、陛下。どうしてわたくしはこの世に留まれたのでしょうか」
「其方は王家の血を引いた公爵家の出だ。神の血が少なからず流れておる。そのせいだとわしは考える」
「なるほど……?」
納得したようなしてないような。
では、第二王妃はどうなのだろうと考えていると、陛下は浅く息を吐き出した。
「第二王妃に流れる神の血はあまりに薄い。心残りがあったとて、其方のようにはなれぬ」
じゃあいっか。死んでロテールと陛下を祟る心配がないのならそれでいい。
わたくしはにっこりと笑って、陛下の頬にキスをする。
「陛下、愛していますわ」
「わしもだ。ステファニー」
愛を確かめ合って、幸せだなぁと思いつつ。
やっぱり生きていたかったな、とちょっとだけ思ってしまうのだった。
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