第九十五話「秋への決意」
夏が終わり、白雷ジムの朝は秋の気配を含んだ涼風に包まれていた。
調教場の空気はひんやりと澄み渡り、見上げれば雲一つない青空が広がっている。数日ぶりにジムへ戻ったフリアノンは、涼しい空気を肺いっぱいに吸い込むと、小さく息を吐いた。
――今日からまた、走るんだ。
帰省で気持ちはリフレッシュできたはずだった。けれども今、胸の奥では緊張と期待が入り混じった感情が渦を巻いていた。
「ノンちゃん、調教終わったら、ミーティングあるから事務室来てな」
ウォーミングアップを終えたフリアノンのもとに、ミオが笑顔でやってきた。いつも明るい彼女の表情も、どこか引き締まって見える。
「ミーティング……」
フリアノンは一瞬、心臓が跳ねる音を感じた。事務室、と聞くだけで、次のレースやスケジュールの話があるとわかる。夏休み気分が一気に引き締まるようだった。
調教後、少し汗ばんだままの体で事務室へ向かうと、すでに村瀬とミオが机を挟んで座っていた。机の上には何枚ものレース出走予定表が広げられている。
「来たか、ノン」
村瀬が眼鏡の奥で目を細めた。ミオはペンを持ちながら、真剣な顔でスケジュール表を指でなぞっている。
「まず秋の開幕は、D2中距離のディリークラウンカップや。これは地球圏開催やから、輸送の負担も少ないし、状態確認にもってこいやと思う」
「ディリークラウン……」
フリアノンはそのレース名を繰り返した。去年は出なかったレースだ。緊張で少しだけ喉が渇く。
「せやけど、今年の目標はその先や」
ミオが紙を指差す。
「D1、皇帝杯(秋)。今年は地球圏開催や。春に勝った皇帝杯を秋も取って、二冠達成やで」
村瀬も小さく頷いた。
「ノン、春の皇帝杯を制したあとの調子は上々やった。ジュピターカップも勝った。今年も秋は重要な勝負になるぞ」
その言葉に、フリアノンは背筋を伸ばした。春の皇帝杯二連覇、ジュピターカップ制覇……これだけの実績を重ねても、レースに保証なんてないことはわかっている。
「皇帝杯(秋)のあとは……?」
思い切って尋ねると、ミオがページをめくって別のレース表を見せてくれた。
「そのあとはクイーンズカップ。今年も連覇狙いやな。そして、最後は年末のアースグランプリ。一年の総決算や。今年は春、夏としっかり結果を出してきたし、秋冬も万全で挑むで?」
「……はい……!」
フリアノンの返事は自然と強くなった。
春の皇帝杯、ジュピターカップを制したことで周囲からの期待は大きくなっている。それはわかっている。けれども――
(わたしは、わたしの走りをするだけ……)
心の中でそっと呟いた。スレイプニル、マーメルス、リュミエル……そしてこれまで走り続けてきた仲間たちの思いを胸に、わたしはわたしの走りを貫く。それだけだ。
「よっしゃ! ほな、今日からまた仕上げていこか!」
ミオが明るく声を上げる。その声に引き締まるように、フリアノンも深く頷いた。
秋は、すぐそこまで来ている。




