第九十二話「ジュピターカップ本戦」
木星圏ジュピターカップ当日。
夜明け前から白雷ジムは慌ただしかった。
メカニックたちが機体を最終チェックし、スタッフたちが忙しく走り回る。
「ノンちゃん、準備できとるか?」
ミオの声に、フリアノンはゆっくりと顔を上げた。
わたしの瞳には、恐れはない。
「はい……大丈夫です、ミオさん」
「よっしゃ。その顔見たら安心するわ。今日はええレースにしよな!」
そしていよいよ出走ゲートへ。
スタート位置には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
「フリアノン! 今日は譲らんぞ!」
ガルディアスが大声で吠える。
その横でシグマが無言でタブレットを操作している。
「ガルディアス、出力配分は頭で考えるんじゃない。身体で覚えてるはずだ。無駄に足掻くな」
「お、おう!」
さらにクロエが冷たい視線を向けてくる。
「アンタには絶対に負けないから」
「……クロエさん……」
そして、中団にはアスティオン。
彼は静かに目を閉じ、ユリウスの声に耳を傾けていた。
「アスティオン、今日はどうする?」
「無論、勝つために走る。それだけだ」
ユリウスは口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「いいね。そのために僕がいるんだ。スタート後は中団。最終コーナーまで脚を溜めろ」
「了解した」
最後に視線を前に戻すと、ミオが静かに呟いた。
「ノンちゃん、最初は最後尾でええ。ラスト千メートルから一気に行くで」
「……はい……!」
スタートゲートが開いた。
レースは序盤からガルディアスが飛ばした。
得意の逃げ戦法。シグマが冷静に指示を飛ばす。
「ガルディアス、ペース維持。加速はまだだ」
「わかっとるわッ!」
その背中をクロエがマークする。
ヴェルナーの声が静かに響いた。
「焦るなクロエ。この位置でいい。相手がバテたら、そこで仕留める」
「はい……!」
そして、中団でアスティオンが風を切る。
「ユリウス、まだか?」
「まだだアスティオン。慌てるな。ペースは理想的だ」
「了解……」
そして、最後尾に位置するフリアノン。
風の抵抗も受けず、ただ静かに呼吸を整えていた。
(今はまだ……今はまだ……)
ミオの声がイヤーピース越しに届く。
「ノンちゃん、落ち着き。大丈夫や。あとはいつも通りやで」
(……はい……!)
レースは最終コーナーへ。
ガルディアスが苦悶の声を上げる。
「シグマァ! もう足がッ……!」
「限界なら限界なりに走れ。無理に踏み込むな。怪我するぞ」
その隙に、クロエが外から抜け出す。
「今です、クロエ!」
「はいッ!」
ガルディアスを交わし、クロエがトップに立つ。
だが、その横をさらに鋭い加速で駆け抜ける機影があった。
「アスティオンッ!」
「ユリウス、今か?」
「行け、アスティオン!」
中団から溜めていた推進力を一気に解放し、アスティオンがトップへ。
「……ここから……!」
最後尾から白い閃光が舞い上がる。
フリアノンだった。
「ノンちゃん、いけぇッ!」
「……はいッ!」
全身を念動力で押し出すように、フリアノンは風を裂いて走る。
前を行くアスティオンが視界に入る。
(アスティオンさん……越える……!)
だが、アスティオンも負けていない。
「ユリウスッ……!」
「あと五十メートル! 耐えろ、アスティオン!」
残りわずかの距離で、二機は並んだ。
「ノンちゃん、いけぇぇえええッ!!」
「わたしッ……絶対にッ……負けないッ!!」
ゴール板が迫る。
アスティオンとフリアノンが並び――
その一瞬、フリアノンの身体が光に包まれたように見えた。
ゴールを駆け抜けた直後、会場が静寂に包まれる。
(わたし……勝てた……?)
直後、アナウンスが鳴り響いた。
『優勝は――フリアノン! フリアノンです!』
観客席から歓声が上がる。
イヤーピース越しに、泣き笑いの声が聞こえてきた。
「ノンちゃん……よくやった……! 最高やで……!」
フリアノンの瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
(……わたし……わたし……!)
ジュピターカップ優勝。
それは、去年果たせなかった夢の結実。
そして――
(まだ……わたしは走れる……!)
白雷ジムの純白のサイドールが、静かに涙を流しながら笑っていた。




