第八十九話「作戦会議」
皇帝杯(春)の二連覇、そしてジュピターカップのファン投票一位という快挙を成し遂げたフリアノン。しかし彼女自身の心は決して晴れやかではなかった。そんな彼女を支えるため、白雷ジムでは朝から作戦会議が行われていた。
会議室の中央に設置された大型モニターには、ジュピターカップの過去十年分のレース映像とデータが映し出されている。
ミオはそのデータを眺めながら、机に突っ伏すフリアノンへと声をかけた。
「ノンちゃん。今日も寝不足か?」
「……うん。なんか……怖くて」
フリアノンの声は弱々しく、ミオは小さく溜息をついた。
「そんなんじゃあかんよ。せやけど、不安があるんやったら全部吐き出してみ?」
「……去年、走ってて……最後、真っ白になったの。怖かった。今度もそうなったらどうしようって……」
涙を滲ませるフリアノンに、ミオはそっと肩を抱き寄せた。
「大丈夫や。去年とは体が違うし、心も強なってる。あの時よりずっと練習してるやろ? それに、今回はノンちゃん一人で走るんやない。うちも、村瀬さんもついとる」
その言葉に、フリアノンは少しだけ顔を上げた。
その様子を黙って見守っていた村瀬が、ゆっくりと口を開く。
「フリアノン、去年は体力配分が甘かった。スタートからレースを意識しすぎて、余計なところで無駄遣いしてたんだ。今回はミオとも話して、ペース配分の徹底を最優先に調整するつもりだ」
村瀬は手元のタブレットを操作し、モニターに新たなグラフを映し出す。
それはフリアノンの心拍数と消費エネルギー量、レース中のスパート時の数値だった。
「見ろ。ここ。ラストスパート前にもう限界近くまで達してる。これでは追い込み型でも粘れない。だが、ここでの無駄を省けば……」
「スパートに余裕が……」
フリアノンが呟くと、村瀬は力強く頷いた。
「その通りだ。だから今週からは、スパートまで脚を残す走法を叩き込む。追い込み型にとって最重要課題だ。ジュピターカップまでに間に合わせるぞ」
「うん……!」
ようやく少しだけ表情が明るくなるフリアノン。
だがその隣で、ミオは眉をひそめた。
「でも村瀬さん。気持ちの面も大事やと思うで。ノンちゃん、最近調教で失敗するとすぐ落ち込むやろ? ちょっと気になるわ」
「それは……」
フリアノンは小さく視線を逸らした。
「わたし、頑張らなきゃって思うと、失敗しちゃうの……」
「ノンちゃん、それな。気負いすぎや。もっと肩の力抜いて走らな。周りの期待とか、去年のこととか、そんなもん全部捨てて走ったらええねん」
「捨てる……」
「せや。サイドールはみんなの夢背負っとるけどな、結局は自分が楽しく走らんとええレースはできへん。去年のノンちゃん、無理して笑ってたんやない? うちは知っとるで」
そう言ってミオは優しく微笑んだ。
村瀬も腕を組み、ふっと柔らかい表情を浮かべる。
「走るのはお前だ。お前が決めたことなら、俺たちはどんな選択でも支える」
「……うん、ありがとう、ございます」
涙をぬぐい、フリアノンは立ち上がった。
モニターに映る自分の走る姿を見つめ、心の中で呟く。
(わたし……わたしは、走りたい。みんなに選ばれたからじゃなく、わたしが走りたいから……)
その決意を胸に、彼女はトレーニングルームへ向かう。
これから始まる、ジュピターカップに向けた過酷な日々。
だがその足取りは、以前よりもずっと、軽く強かった。




