第八十四話 皇帝杯(春)へ向けての調教
冬から春への境目。
だが、白雷ジムの調教場には、まだ冷たい空気が張り詰めていた。
「はい、そこから加速入れて!」
ミオの声が響く。
調教場の直線コースを、フリアノンが念動波動を駆使して滑るように走っていた。
(もっと……もっと速く……!)
空気抵抗を減らすように身体を伏せ、意識を一点に集中させる。
足ではなく、全身から噴出する微細な推進波を調整しながら、彼女はコースの端から端までを駆け抜けた。
「はいストップ! 一旦休憩や!」
ミオが手を挙げると、フリアノンは息を切らしながら減速し、調教場端の防護壁前で停止した。
肩で荒く息をするフリアノンに、ミオが水筒を差し出す。
「ノンちゃん、いつもよりええ加速やったで。でも、まだ波動の安定が甘いな。もう少し体幹の意識持ってみぃ」
「は、はい……!」
フリアノンは水を一口飲み、呼吸を整えた。
彼女の背後では、別のレーンでアスティオンが調整走を行っている。
ユリウスの指示が淡々と響いた。
「アスティオン、次の周回は前脚の推進波出力を1.5%落とせ。負荷が掛かり過ぎる」
「了解した。ユリウス」
冷静沈着なアスティオンの返答を聞きながら、フリアノンは思った。
(あの落ち着き……わたしも、ああいう風になれたら……)
隣で村瀬がタブレットに視線を落としながら呟く。
「アスティオンはユリウスと息が合ってるな……ノン、お前も余計な迷いを無くせばもっと良くなるぞ」
「余計な……迷い……」
「そうや。お前は気弱で繊細やからこそ、感情変動で推進波が暴れる。それが長所にも短所にもなる。追い込み型としては武器やけどな」
「……はい……」
(わたし……感情をもっと……コントロールしないと……)
短い休憩を終えると、ミオが手を叩いた。
「ほな次、坂路や! 皇帝杯は長距離やし、スタミナつけるにはこれが一番や!」
「はいっ……!」
二百メートル先に伸びる上り傾斜のコースが、冷たい朝日に照らされて白く光っていた。
(わたし……絶対、負けない……)
フリアノンは坂路に入ると、すぐに加速を開始した。
坂の傾斜が脚に、いや、推進波を支える体幹に重く圧し掛かる。
速度が落ちる。そのたびに彼女は必死に念動波動を整え、再加速する。
「よし、ええぞノンちゃん! そのまま頂上まで一気にいけぇ!!」
ミオの檄に背中を押されるようにして、フリアノンは歯を食いしばった。
(負けたくない……みんな引退していく……でもわたしは……まだ、ここで……!)
坂の頂上が近づいてくる。
脚は震え、肺が焼けるように苦しい。
だが――
(わたしはまだ、ここで走っていたい……!!)
頂上に辿り着いたとき、フリアノンの目にはうっすらと涙が滲んでいた。
「よっしゃあ!! ノンちゃん、最高や!!」
ミオの声が響く。
村瀬も小さく頷き、タブレットにメモを書き込んだ。
「春まであと少しや。これから追い切りもどんどんハードになるけど、しっかり食らいついて来いよ」
「……はい……! がんばります……!」
震える脚を支えながら、フリアノンは坂の上で振り返った。
冷たい風が頬を撫でる。その向こうには、広大な調教場と、仲間たちの姿があった。
(わたし……絶対に勝つ……!)
春の皇帝杯へ向けて。
彼女の挑戦は、また一歩前へと進んでいった。




