第八話:D3幻想杯(木星圏)
――木星圏。
ガスの巨大な渦巻きと氷のリングが、漆黒の宇宙に美しく浮かんでいる。
その衛星軌道上に建設された特設コロニーリングで、今日はD3幻想杯が開催される。
フリアノンはモニター越しに、その雄大な風景を見つめていた。
本来なら自分も出走したかったが、賞金不足で出走資格がなかった。
(いいな……出たかった……でも……今のわたしじゃまだ無理……。)
心に小さな悔しさを抱えながらも、モニターに映る二人のサイドールの姿に視線を釘付けにした。
◇
スターティングエリア。
コロニーリングに設置された人工重力走路のゲートに、二人のサイドールが並んでいた。
「ふん……久しぶりじゃない、スレイプニル。」
銀髪を翻し、マーメルスが赤い瞳を鋭く細める。
「うん、マーちゃん。今日もいい勝負しようね!」
スレイプニルは屈託ない笑顔で応えるが、その瞳には闘志の光が宿っている。
「マーちゃん言うなっ!」
◇
マーメルスのナビゲーター席には、フリーの天才ナビゲーター、ユリウス・フェイダーが座っていた。
彼は相変わらず穏やかな笑みを浮かべ、スタート前の調整をしている。
「緊張している?」
「してないわよ!」
「はいはい。じゃあ、今日は君の最高速度を見せておくれ。」
マーメルスは鼻を鳴らしながらも、その頬はわずかに赤く染まっていた。
一方スレイプニルの機体では、ガイ・マシラが大きな声を響かせていた。
「スレイ!今日は絶対負けんぞ!いつも通り全開スタートで押し切るぞ!」
「うんっ!任せて、ガイさん!」
◇
《D3幻想杯、スタート10秒前――》
スタートゲートのランプが赤から青へ切り替わる。
《3…2…1…スタート!》
◇
二機は一斉に飛び出した。
先行型のマーメルスは序盤から強気に仕掛ける。
木星の青白い光を背景に、銀髪をたなびかせながら走る姿はまさに銀の流星。
(ユリウス……ちゃんと合わせてよね……!)
「もちろんさ。さあ、最高速域へ。」
◇
スレイプニルも負けていなかった。
彼女は序盤で一度下げ、二コーナー出口で一気に加速する作戦だった。
「行くよガイさん!」
「おうっ!今だ、ブースター全開!!」
◇
二機の機体がレース中盤で並ぶ。
外周リングを駆け抜ける銀と栗毛の二つの影。
「マーちゃん、今日は負けないよっ!」
「マーちゃん言うなって言ってるでしょ!!」
苛立ちながらも、マーメルスの瞳は高揚感に震えていた。
こんな風に本気で挑んでくる相手は、スレイプニルしかいない。
◇
最終コーナー。
「抜ける……!」
スレイプニルは加速態勢に入るが、ガイの操作にわずかに遅れが出る。
(まずい――!)
その隙を突き、マーメルスとユリウスの機体が鋭く内側へ切り込んだ。
「今だ、メル。感覚を研ぎ澄ませ。」
「……わかってるわよ!」
彼女の赤い瞳が光り、機体制御ESPがフル稼働する。
軌道上の微細な粉塵や風圧を捉え、最短最速の走行ラインを描き出した。
◇
「――ゴール!」
フィニッシュラインを先に駆け抜けたのは、マーメルスだった。
歓声がコロニーリングに響き渡る。
モニター越しにその姿を見つめるフリアノンは、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
(マーちゃん……すごい……。)
◇
勝利インタビューでマーメルスは少しだけ照れながらも、高飛車な笑みを崩さなかった。
「ま、当然の結果でしょ。あたしは……至高の血族なんだから。」
その後ろでユリウスが微笑みながら拍手を送っている。
対照的にスレイプニルは、悔しそうに唇を噛み締めながらも、その瞳には次の勝負への強い光が宿っていた。
◇
(……いつか、わたしも……あの二人と一緒に走れるように……。)
フリアノンは静かに拳を握り締めた。
木星圏の空に光るリングが、そんな彼女を静かに見守っていた。