【第七十九話 沈着なる復帰者】
春の陽射しが柔らかく降り注ぐ鋼牙ジムの屋内走路。その最奥、静まり返った整備区画の一角に、長身で鋭利な輪郭を持つ男子サイドールが立っていた。灰銀色の髪は無造作に伸び、伏せられた瞳は深く冷たい湖のように澄んでいる。名はアスティオン。
調教スタッフが遠巻きに見守る中、ユリウス・フェイダーは笑みを浮かべてアスティオンへと歩み寄った。
「久しぶりだね、アスティオン。」
ユリウスの声は柔らかく、けれどもその奥底に研ぎ澄まされた鋭気が潜んでいる。アスティオンは静かに顔を上げ、長い睫毛の奥から冷静な瞳を向けた。
「……お久しぶりです、ユリウスさん。」
その声音には抑揚がなく、必要以上の感情を込めない。沈着冷静、それが彼の強みであり、弱みでもあった。二年前、ユリウスと共に優駿男子とマムフラワーカップを制した時と変わらぬ、無機質で穏やかな響き。
「元気そうで何よりだよ。」
ユリウスは微笑みを深めた。リュミエルを失い、パートナー不在となった彼に、再びコンビを組む機会が巡ってきたのだ。
「……今のボクが、またあなたと組むに相応しいのか、正直わかりません。」
アスティオンの唇がわずかに震える。二冠を達成した後、彼はシニアに上がり、別のナビゲーターと組んだが、結果は惨憺たるものだった。掲示板にも載れないレースが続き、自信を喪失していた。
「アスティオン。」
ユリウスは彼の正面に立ち、真っ直ぐに瞳を覗き込んだ。紫紺の双眸は柔らかく、そして深く、決して冷たさを帯びない。
「君はいつだって相応しいさ。ただ、今は君がそれを信じられていないだけだ。」
アスティオンは瞬きをひとつし、少しだけ視線を逸らした。冷静さに隠していた不安が、ユリウスの言葉で微かにほころぶ。
「……相変わらず、あなたは根拠のないことを自信満々に言いますね。」
「根拠ならあるよ。君は今でも僕にとって、勝利に必要な“最適解”だ。」
その声には一片の揺らぎもなく、穏やかでありながら絶対の確信に満ちていた。
「さて、まずは感覚を取り戻そうか。軽く感応テストから始めるよ。」
「……わかりました。」
アスティオンは深呼吸し、静かに目を閉じた。ナビゲーション用の神経接続ポートがユリウスの操作パネルとリンクされ、淡い電子音が響く。
鼓動と呼吸が、微弱な電流を通してユリウスへ伝わる。そのリズムに、かつての記憶が重なる。二年前の優駿男子で、彼らは絶対的不利の位置から最後の直線で全てを凌駕した。
「よし……繋がった。感覚、問題ない?」
「はい。あなたの声が、……はっきり聞こえる。」
アスティオンの瞳が細く開き、わずかに微笑んだ。冷静な中にも、確かな安堵が滲む。ユリウスはその表情を見て、柔らかな笑みを返した。
「大丈夫。僕たちはまだ終わっていないよ、アスティオン。」
再び繋がったふたりの絆が、春の陽光に淡く輝いていた。
鋼牙ジムの走路に、ナビゲーターとサイドール、静かな復活の鼓動が刻まれていく。その鼓動は、やがて大地を震わす咆哮へと変わるだろう。




