第七十七話「血を紡ぐ者」
白雷ジムの屋上。冬の空は高く澄み切り、冷たい風が頬を切った。
フリアノンはジムのビルの縁に座り込み、脚を抱えていた。遠くに見える街の喧騒は小さく、ここだけが静かで、まるで世界に取り残されたようだった。
(マーちゃんも……リュミエルさんも……)
二人の引退が、胸を刺していた。
マーメルスもリュミエルも、フリアノンが目指してきた“先輩”だった。強く、美しく、圧倒的で――わたしもああなりたいと憧れた。
でも、二人ともいなくなってしまった。
マーちゃんは脳障害から復帰できずに引退。リュミエルもまた、同じ運命に飲まれた。
(……次は、わたし……?)
胸の奥に黒い不安が渦巻く。
もし、次に脳障害になったら、わたしももう走れなくなるかもしれない。マーメルスやリュミエルのように、急にサイドールとしての終わりが来るかもしれない。
(わたし……どうすればいいの……)
その時だった。
「……ノンちゃん、こんなとこで何してんねん」
背後からミオの声がした。
振り向くと、ミオが白いジャケットを羽織り、缶コーヒーを二本持って立っていた。ひとつを渡され、フリアノンは受け取る。
「……考えごとしてました」
「……ふーん」
隣に腰を下ろしたミオは、缶コーヒーを開けて一口飲んだ後、ぼそりと呟いた。
「なぁ、ノンちゃん。サイドールの最終目的って知ってるか?」
「……最終、目的……?」
フリアノンは首を傾げた。ミオは少し笑って、冷たい風に髪をなびかせながら言った。
「血を残すことや」
「……血、を……?」
「せや。マーちゃんも、リュミエルもそうや。繁殖入りするってことは、サイドールとして使命を果たしたってことや」
ミオは空を見上げ、淡い冬の日差しを目に受けながら、ゆっくり言葉を紡いだ。
「サイドールは走るために作られとる。でもな、それだけやない。走って勝って、強さを証明して、その血を次に繋ぐ。それがサイドールの生きる道や。……マーちゃんも、リュミエルも、それを成し遂げたんやで」
「……」
フリアノンは黙ってミオを見つめた。視界が滲む。冷たい風に涙がさらわれる。
マーちゃんも、リュミエルさんも――
終わったわけじゃない。
これからも、その血が繋がっていく。新しい命として、また走る。彼らの強さは、消えることなく未来へ続いていく。
(わたしも……いつか……)
自分も、いつかは走れなくなる日が来るだろう。でも、その時は――
(わたしも……血を残して……わたしの走りを繋いでいくんだ……)
少しだけ、心が軽くなった気がした。
「ありがと、ミオさん……」
「……礼なんかいらんわ。ノンちゃんはノンちゃんや。今はまだ走る時やろ?」
ミオはそう言って笑い、空になった缶コーヒーを振った。カラカラと乾いた音が鳴る。
その音が、春の足音のように遠くで響いた。




