第七十六話「さよならと約束」
病院の廊下は静かで、外の冬の冷気が嘘のように暖かかった。けれど、フリアノンの胸の奥は氷のように冷えていた。
リュミエルが脳障害を発症した――
あのレースから数日、白雷ジムの村瀬とミオに許可をもらったフリアノンは、ひとりで面会に訪れていた。
「リュミエルさん……」
病室のドアをノックし、そっと開けると、ベッドに横たわる白銀の青年がこちらを見て微笑んだ。
「……やあ、フリアノン。来てくれたんだね」
声はいつも通り、穏やかで柔らかかった。それだけで少しだけホッとした。
「だ、大丈夫……なんですか……?」
震える声で尋ねると、リュミエルは困ったように笑った。
「うーん、大丈夫っていうのはちょっと違うかな」
横に置かれた椅子に座り込み、顔を伏せるフリアノン。心臓が痛くなる。怖くて、次の言葉を待つのがつらかった。
しかし、リュミエルは淡々と続けた。
「……脳障害だったんだって。しかも、もうレースには戻れないらしいよ」
「っ……!」
頭の中が真っ白になる。
リュミエルは――もう走れない?
あの、淡く儚げで、それでいて無敵のように強かった走りを、もう二度と見ることが出来ないのか。
「でもね、僕ももう七歳だから」
そう言って、リュミエルは窓の外を眩しそうに見上げた。冬の鈍い陽光が、その銀色の髪に柔らかく降り注いでいる。
「種サイドールとして、繁殖に入ることになったんだ」
「……そ、そんな……」
フリアノンは俯いたまま震えていた。涙が溢れそうになる。
あれほどの強さを持ちながら、レースを去らねばならない現実。
悔しい。悲しい。言葉に出来ないほどの思いが、胸を満たしていった。
「フリアノン?」
優しい声に顔を上げると、リュミエルが微笑んでいた。まるで、全てを受け入れているかのように穏やかな顔だった。
「……大丈夫だよ。僕はもう、十分走ったから」
「……でも……でも……!」
震える唇から零れ落ちる嗚咽を、リュミエルは黙って聞いていた。そして、少しだけ笑みを深めると、静かに言った。
「……君とは、また会える気がするんだよね」
「え……?」
フリアノンは涙で滲む視界の中で、リュミエルの顔を見た。
その目はどこか遠くを見つめていて、何かを悟っているようだった。
「……また会える。そんな気がするんだ」
それがどういう意味なのか、フリアノンには分からなかった。ただ、胸の奥が不安でいっぱいになった。
それでも――
リュミエルのその穏やかな微笑みが、どうしようもなく美しく、優しかった。




