第七十五話「アースエコノミーニューイヤーカップ」
冷たい風が吹き抜けるレース場のパドック。冬の朝日が差し込み、凍りつくような空気の中でもファンたちの熱気は冷めない。
「……今日は冷えるな」
ミオが肩をすくめる。隣では、震えるフリアノンが深呼吸を繰り返していた。
「ノンちゃん、大丈夫か? 緊張してんのか?」
「い、いえ……大丈夫です……」
声は震えていたが、その瞳は真っ直ぐ前を向いている。
視線の先にはクロエがいた。ヴェルナーと共に黙々と準備をしている。少し離れたところでは、リュミエルがユリウスと話していた。
「……今日は、勝つで?」
ミオが笑顔で言う。
「はい……!」
スタートゲートへ向かうフリアノンの後ろ姿を、ミオは祈るように見送った。
そして、レースが始まった。
「スタートしました!」
実況の声が響く。
リュミエルはスタート直後から先行集団へ。クロエはヴェルナーの指示で後方集団、そのすぐ前にフリアノンがつける。いや、フリアノンはいつも通り――最後尾。
「リュミエル、ペース上げるよ」
「うん……分かった、ユリウス」
先行集団の中で、リュミエルは軽やかに走り抜けていく。その柔らかな銀髪が風になびくたび、観客席から歓声が上がった。
後方では。
「クロエ、今は仕掛けるな。フリアノンをマークしておけ」
「分かってるわ、ヴェルナーさん……」
クロエはちらりとフリアノンを見やった。その目には冷たい光が宿っている。
一方、最後尾のフリアノン。
「ノンちゃん、息は出来てるか? ここからやで。あわてんと……」
「……はい……」
コースの芝の匂い、前方で揺れるクロエの背中、そして遠くに小さく見えるリュミエルの白銀の姿。すべてが静かに、でも確実にフリアノンの闘志を燃やしていった。
そして、最終コーナー。
「リュミエル! 行けるか!」
「うん……!」
ユリウスの声に応えるように、リュミエルが加速する。先行集団を一気に突き放し、トップに踊り出た。
「ノンちゃん、ここや! いけ!」
「はいっ……!」
フリアノンもスパートをかける。いつものように加速感が全身を駆け抜け、視界の中の景色が一気に流れ始める。
クロエもまた、同じように追い上げてきた。
「クロエ、今や!」
「了解……!」
二人がリュミエルを追う。その時だった。
「ユリウス……頭……痛い……」
リュミエルの声が震えていた。
「えっ……?」
「リュミエル、競争中止する。無理するな!」
ユリウスが即座に判断し、リュミエルはスピードを落とした。
その一瞬。
前方で減速するリュミエルの姿に、フリアノンは思わずブレーキをかけた。
「リュミエル……!」
「ノンちゃん、前見て! 前や!」
ミオの叫びが耳に届いたときには遅かった。クロエが、フリアノンをすり抜けるように加速していった。
「クロエ……!」
懸命に追ったが、距離は詰まらない。
ゴール板を駆け抜けたのはクロエ。その後ろにフリアノン、そして大きく遅れてリュミエルが歩くようにゴールした。
「ノンちゃん、大丈夫か……?」
レース後、検量室へ戻るフリアノンに、ミオが駆け寄った。
「ご、ごめんなさい……勝てなくて……」
「そんなんええねん。ノンちゃん、リュミエルのこと気にしてんやろ?」
「……はい……」
表彰式の陰で、リュミエルはユリウスに抱えられるようにして立っていた。その顔は真っ青で、息も荒い。
「大丈夫や……あいつ、絶対大丈夫やから」
ミオが優しく言った。
でも――
フリアノンの胸には、勝てなかった悔しさよりも、リュミエルへの不安でいっぱいだった。




