第五十七話 「帰還への第一歩」
「はいっ、そこまで! お疲れさん、ノンちゃん!」
病院のリハビリ室に、ミオの明るい声が響いた。
「……はぁ……はぁ……」
フリアノンは汗だくになりながらも、胸の奥に小さな達成感を感じていた。
「今日のメニュー、全部こなせたやん。よう頑張ったなぁ」
「……うん……ありがと……ミオさん……」
床に膝をつき、呼吸を整えながら、フリアノンは心の中で呟く。
(……少し……体が戻ってきた……)
夏の入院生活も、もう一ヶ月近くになる。
最初は立ち上がるのもやっとで、走るなんて夢のまた夢だと思っていた。
でも、少しずつ。
少しずつだけど、体は確実に戻り始めている。
(……まだ……みんなと一緒に……走れるかも……)
「ほら、ノンちゃん。水分補給せなあかん」
差し出されたスポーツドリンクを受け取ると、一気に喉へ流し込む。
冷たい液体が火照った体を巡り、少しだけ頭がすっきりした。
「……ぷはっ……ありがとう……ミオさん」
「ふふ、どういたしまして」
ミオは笑いながら、フリアノンのタオルで優しく汗を拭ってくれた。
「……ミオさん……」
「ん?」
「わたし……もう一回……走れるかな……?」
思わず漏れた弱気な問い。
ミオは少しだけ眉を下げ、フリアノンの目を真っ直ぐに見た。
「ノンちゃん。……大丈夫や。ノンちゃんなら、絶対また走れる」
「……でも……もし……また倒れたら……」
声が震える。
あの日の恐怖が蘇る。
目の前が真っ暗になり、何も見えなくなった時の絶望。
スレイプニルの最期を思い出してしまう。
「……怖い……」
「……そら、怖いわな」
ミオは優しく、でも力強い声で続けた。
「怖くないやつなんておらへんよ。怖いからこそ、前に進めるんや」
「……前に……?」
「せや。ノンちゃんは……何のために走るん?」
「……わたしは……」
問い返され、フリアノンは唇を噛んだ。
頭の中に浮かぶのは、空を駆け抜けるレースの景色。
歓声、風、太陽の光。
そして――
(……スレイ……)
亡き親友の笑顔が思い浮かぶ。
(……わたし……スレイの夢を……)
「……わたし……スレイの夢を叶えたい……」
涙が溢れそうになったけど、必死で堪えた。
「せやろ?」
ミオは微笑み、フリアノンの肩をポンと叩いた。
「じゃあ、その気持ちを信じて、明日も頑張ろか」
「……うん……!」
涙目で笑うフリアノンを見て、ミオも笑顔を返した。
◆
リハビリが終わり、病室に戻ったフリアノンは、窓辺に立った。
外には入道雲が広がり、蝉の声がわずかに聞こえる。
(……帰りたい……)
ジムの冷たいコンクリートの匂い。
朝一番のトレーニングルーム。
ガイの怒鳴り声。
ミオの優しい声。
そして……レースのあの風。
(……戻る……絶対に……!)
胸の奥で、静かに炎が灯る。
(……わたしは……まだ……終わってない……!)
拳をぎゅっと握った。
(……帰る……そして……また……みんなと一緒に走る……!)
◆
夜。
ベッドの上で天井を見上げながら、フリアノンは小さく笑った。
(……帰還への……第一歩……)
小さく呟き、目を閉じる。
その瞳の奥には、懐かしくて温かいジムの風景が、はっきりと浮かんでいた。




