第三十三話:オータムフラワー本戦
レース当日。
オータムフラワーが開催される木星競技場は、朝から多くの観客で溢れかえっていた。
クラシック最終戦。
その称号は、サイドールにとって栄誉であり、そして血統を継ぐ者としての宿命でもあった。
◇
スタートゲート裏。
フリアノンは静かに目を閉じ、呼吸を整えていた。
(スレイ……見ててね。私、絶対に勝つから。)
隣で、ナビゲーターのミオがモニター調整をしながら言った。
「緊張してへんか、ノンちゃん?」
「ううん……してるよ。でも、大丈夫。」
「ほな、その気持ち忘れんと走りや。あんたはあんたや。それでええんやで。」
ミオの関西訛り混じりの優しい声が、硬くなったフリアノンの心をほぐしていく。
◇
一方、その数メートル先のゲートでは、マーメルスが目を閉じて精神統一をしていた。
ナビゲーター席のユリウスは、彼女の肩越しに前方を見つめ、いつもの笑みを浮かべる。
「さて、女王様。準備はいいかな?」
「当然よ。今日も私が勝つ。それだけよ。」
「うんうん。その強気、嫌いじゃないよ。」
軽く肩を叩くユリウスに、マーメルスは小さく鼻を鳴らした。
(負けない……絶対に……。)
◇
ファンファーレが響き渡る。
ゲートが開くと同時に、サイドールたちは一斉に飛び出した。
先頭を奪ったのは、やはりマーメルスだった。
滑るようにコースを駆け、前半からペースを作る。
ユリウスの声が響く。
「いいよ、そのまま流して。抑えすぎないようにね。」
「分かってる……!」
彼女の念動力が船体を押し出し、流線形のボディが真空の宇宙を切り裂いていく。
スラスターの青白い光が一際大きく輝いた。
◇
その遥か後方。
最後尾を走るフリアノンの視界には、マーメルスの姿はまだ豆粒ほどにしか見えていなかった。
(大丈夫……最後に、必ず……。)
息を整える。
ミオの声がインカム越しに響いた。
「まだやで、ノンちゃん。焦らんとき。相手は先行型や、終盤までに脚を溜めるんや。」
「う、うん……!」
鼓動を抑え込む。
今はまだ、追わない。
追い込み型の自分のレースをするだけ。
◇
コースは半ばを過ぎ、最終コーナーへと差し掛かる。
「マーメルス、いけるよ。ここでペースを一段階上げて。」
「了解!」
ユリウスの指示に応え、マーメルスは念動力をさらに解放する。
機体後部から伸びるスラスターが一層輝き、彼女は先頭を走る集団から抜け出した。
――独走態勢。
観客席から大歓声が沸き上がる。
(これで……決まりよ……!)
唇を引き結ぶマーメルスの目には、もうゴールしか映っていなかった。
◇
「……ノンちゃん、今や!!」
ミオの叫び声が響く。
抑えていた力を、全て解放する。
「――っ!!」
フリアノンの身体から、ほとばしるように念動力が放たれた。
スラスターが悲鳴のような唸り声をあげ、機体は一気に加速する。
(スレイ……私、行くよ……!)
コーナーを曲がり切り、視界が開けた瞬間――
遥か彼方に、マーメルスの背中が見えた。
◇
残りわずかの直線。
マーメルスは既に限界ギリギリだった。
(もう少し……もう少しで……!)
だが――
脚が、止まる。
(っ……!?)
スタミナ切れ。
長距離戦特有の恐怖が、彼女を襲った。
「マーメルス、粘れ!!」
ユリウスの声が届く。
でも、脚は思うように動かない。
◇
――その瞬間だった。
後方から、風を裂くようにフリアノンが突っ込んできた。
(っ……ノン……ちゃん……!?)
猛然と迫るフリアノンの表情には、恐怖も不安もなかった。
あるのはただ、ひたむきな決意だけ。
(嫌……いや……負けたくない……負けるわけにはいかないのに……!)
必死で身体に力を込めるマーメルス。
だが、その努力も虚しく、ゴール板手前でフリアノンが彼女を追い抜いた。
◇
ゴールラインを駆け抜けたフリアノンの耳に、ミオの泣き笑いする声が響いた。
「勝った……ノンちゃん、勝ったで!!」
フリアノンは荒く息を吐き、呆然としたまま木星の空を仰いだ。
涙が零れた。
(……スレイ……勝ったよ……私……。)
◇
一方、僅差で敗れたマーメルスは、ゼーハーと肩で息をしながら、その背中を睨みつけていた。
(……まだ……まだ終わりじゃない……絶対に……次は……。)
震える手を握りしめる。
悔しさと、ほんの少しの羨望が、胸を焦がしていた。




