第三十一話:オータムフラワー前夜編
オータムフラワー前夜。
木星圏は、薄いリングを照らす木星の反射光と無数の衛星群の光で、夜でも仄明るい蒼銀の世界を作り出していた。
フリアノンはレース場併設の厩舎棟の窓際に座り込み、外をぼんやりと眺めていた。
眼下には、ライトアップされたコースが鈍色の光を放っている。
(……いよいよ、明日か……。)
心臓が、静かに、でも確かに高鳴っている。
スレイプニルが夢見たクラシック制覇。
その最終戦となるオータムフラワー。長距離戦。
追い込み型である自分にとって、本来なら相性はいいはずの舞台。
(でも、あの子には……。)
◇
「何暗い顔してんのよ、ノンちゃん。」
背後から聞こえてきた声に、フリアノンはハッとして振り返った。
そこに立っていたのは、月光に白銀の髪を輝かせるマーメルスだった。
「マーメルス……。」
「明日は泣かないでよ? 私が勝つんだから。」
ツンと澄ましたように、でもどこか楽しそうに笑う彼女に、フリアノンは思わず口を開く。
「……やっぱり、負けないつもりなんだね。」
「当たり前でしょ? 私が負けるわけないじゃない。」
言葉は高飛車。
けれど、フリアノンは知っていた。
彼女が本気でレースに向き合い、全力で走ることを楽しみにしていることを。
「……でも、私も負けないよ。絶対に……絶対に……スレイの夢を叶えるんだから。」
震える声で言ったフリアノンに、マーメルスは一瞬だけ目を見開いた。
そして――くすり、と笑う。
「……ほんと、あんたってバカね。」
「……え?」
「でも、そういうバカは嫌いじゃないわ。いいわよ。明日は泣かせてあげる。涙が出ないくらい、完膚なきまでに叩き潰してあげる。」
「……負けない。」
「ふふっ、言うじゃない。」
◇
マーメルスは軽く手を振って去っていく。
その背中を見つめながら、フリアノンは唇を噛み締めた。
(私だって……私だって……。)
◇
翌日の作戦会議。
ジムスタッフやミオがモニター前に集まっていた。
「オータムフラワーは長距離戦や。ノンちゃんの追い込み脚質とは相性いいけど、体力切らしたら終わりやで?」
ミオが珍しく真剣な顔で告げる。
「……うん。」
「ただ、ここを勝ったら間違いなくトップサイドールの仲間入りや。スレイプニルの夢も現実になる。」
「……うん。」
フリアノンの返事は小さい。
でも、その瞳は誰よりも強く輝いていた。
◇
夜。
部屋に戻ったフリアノンは、そっとベッド脇の小さな写真立てを手に取った。
そこにはスレイプニルと並んで写る、幼い頃の自分がいた。
トレーニング場で無邪気に笑うふたり。
まだ何も背負っていなかった頃の、かけがえのない一枚。
(スレイ……見ててね。明日、私は――。)
『大丈夫。ノンちゃんはできる子やで。』
どこかで、ミオの声が聞こえた気がした。
そして、スレイプニルの優しい声も。
『ノンちゃん、頑張って。あたしの夢……叶えてね。』
◇
フリアノンはそっと目を閉じた。
心の奥に、あの日スレイプニルと交わした約束を刻み込む。
(うん……明日、私は……絶対に勝つよ。)
窓の外には、無数の衛星群と星々が煌めいていた。
まるで彼女の決意を祝福するように。




