第二十九話:薔薇杯出走編
秋風が吹き抜ける朝。
木星圏では珍しく、雲ひとつない青空が広がっていた。
「……いい天気、ですね。」
フリアノンはパドックで深呼吸した。
金属光沢のあるスーツに身を包み、その背に小型推進ユニットを装備した彼女は、誰が見ても一流サイドールの風格を纏っていた。
だが、その内心はいつものように緊張でいっぱいだった。
(今日は……中距離。短距離よりも長い……。)
今までのレースより負担が大きいことは分かっていた。
脚力だけでなく、念動力を維持する精神力も必要だ。
そんなフリアノンの肩に、ポンと手が置かれる。
「心配いらんで。」
関西弁混じりの明るい声。
今日のナビゲーターは、ミオだ。
「ノンちゃんはもう、Sクラスのサイドールや。自分を信じぃ。」
「……はい。」
ミオが操縦席へ乗り込み、通信が繋がる。
『ほな、今日は追い込みで行くけど、無理はせんといてや?』
「……はい。」
フリアノンはそっと目を閉じ、スレイプニルのことを思い出した。
(……見てて、スレイ……。)
◇
レースは薔薇杯。
距離は中距離。
クラシック最終戦、オータムフラワーへの重要な前哨戦だ。
ゲートインが完了し、場内アナウンスが響き渡る。
『各機、スタンバイ……3、2、1……スタート!』
◇
機体の推進ブースターが一斉に火を噴いた。
十数機のサイドールが白煙を引きながら一斉に飛び出していく。
「……っ!」
フリアノンは後方に位置取り、他のサイドールの様子を冷静に観察した。
(みんな……速い……でも……怖くない。)
彼女の両肩で、念動力変換機が青白く輝いていた。
『ええペースや、ノンちゃん。そのまま後ろで溜めときぃ。』
ミオの声が鼓膜を揺らすたびに、不思議と心が落ち着いた。
◇
中盤、フリアノンは最後尾付近に位置していた。
だが、焦りはなかった。
(まだ……まだ……。)
彼女はただひたすら、自分の心を沈め、感情の乱れを抑え込む。
なぜなら、感情が念動力の暴走を引き起こすからだ。
(落ち着いて……落ち着いて……。)
◇
最終コーナー。
『ほな、行こか、ノンちゃん。アンタの力、全部見せたって!』
「……はいっ!」
ミオの合図と同時に、フリアノンは心の奥に潜む力を解放した。
「――っ……!」
推進ユニットが唸りを上げ、機体が前傾姿勢を取る。
念動力による補助推進がフル稼働し、加速の衝撃で視界が一瞬揺れた。
彼女の体を包む青白い光が、周囲のサイドールたちを次々と抜き去っていく。
「……ノンちゃん……速っ……!」
ミオが息を呑む。
だがフリアノンの表情は必死だった。
(追いつく……! 絶対に……!)
◇
先頭は、一番人気の大型サイドール、ゴライアス。
その背に跨るナビゲーターが慌てた声を上げる。
「後ろから来るぞっ……!?」
残りわずか。
フリアノンはゴライアスの横に並び、そして――
(スレイ……! 見てて……!)
最後の力を振り絞った。
◇
ゴールラインを駆け抜けた瞬間、会場がどよめいた。
『勝ったのは――フリアノンッ!!』
実況が叫ぶ。
「……やった……。」
ミオが涙ぐみ、操縦席の中で小さくガッツポーズをした。
『ノンちゃん……最高やで……!』
◇
レース後、ウィナーズサークルで菊の花を背負ったフリアノンは、少し恥ずかしそうに笑っていた。
(これで……オータムフラワーへの挑戦権……取れた……。)
心の中でそっと呟く。
(……スレイ。あたし、がんばるからね……。)
その瞳には、確かに亡き親友へと誓った光が宿っていた。




