第二十六話:少し早い夏休み
優駿女子が終わったあと、フリアノンは少し早めの夏休みに入った。
Aクラス昇格からD1レース連戦と、ここ数ヶ月は心も身体も張り詰めていた。
ジムスタッフからも、「一度、帰ってきなさい」と言われ、フリアノンは生まれ故郷へ戻ることにした。
◇
ジムを出て、木星圏発の定期便に乗り込み、数時間。
窓の外には青く輝く地球と月が見えてくる。
フリアノンは胸を少し高鳴らせた。
(ただいま……。)
母エポナが眠る地、そして、おばあちゃんが待っている場所。
心の奥にあった重い霧が、少し晴れるような気がしていた。
◇
到着したのは、地球圏内の閑静な病院だった。
フリアノンはナースステーションで名前を告げ、案内を受ける。
白い廊下を歩いていくと、窓から見える外庭には咲き始めた紫陽花が揺れていた。
(おばあちゃん、喜んでくれるかな……。)
病室のドアをノックし、中へ入る。
◇
「……おばあちゃん。」
ベッドの上で微睡んでいた菊乃が、ゆっくりと瞳を開けた。
銀髪を短くまとめた老女の顔には、皺が深く刻まれている。
しかし、その瞳には、やわらかく澄んだ光があった。
「……ノンちゃん……かい?」
「あ……うん……ただいま……。」
思わず涙が滲みそうになる。
でも、笑顔を見せたかった。
「帰ってきたよ、おばあちゃん。」
「そうかえ……。よう帰ってきてくれた……。」
弱々しい手が、フリアノンの頬に触れた。
その温もりに、胸の奥がじんわりと熱くなる。
「優駿女子……走っとったんやろ? 見とったで……立派やった。」
「……負けちゃったけど。」
「勝ち負けなんかどうでもええ。ノンちゃんが一生懸命走る姿が、わしの誇りや。」
菊乃の言葉に、涙が一筋、頬を伝った。
「……ありがとう……おばあちゃん……。」
◇
その日は病室で、ずっと菊乃とお喋りをして過ごした。
優駿女子のこと、チェリーブロッサムカップのこと。
そして、これから挑むオータムフラワーのこと。
菊乃は静かに微笑みながら、孫のように可愛いサイドールの話を聞き続けた。
◇
病院を出たフリアノンは、そのままタクシーで丘の上の墓地へ向かった。
青空に白い雲が流れている。
微かに夏の匂いが混じる風が吹き抜ける。
(……お母さん……。)
墓石には、『エポナ』の名前が刻まれていた。
幻の女子サイドールと呼ばれ、将来を嘱望されながら儚く散った母。
フリアノンは膝をつき、そっと手を合わせた。
「……お母さん……私、頑張ってるよ……。
スレイもいなくなっちゃって……でも、お母さんが叶えられなかった夢……私が叶えるから……。」
涙が零れ落ちる。
「だから……見ててね……。ずっと……。」
◇
そのまましばらく、風の音を聞いていた。
鳥の声、遠くを走る宇宙船のエンジン音。
どれも懐かしい故郷の音だった。
◇
帰りの車内、窓の外に夕焼けが広がっていた。
赤く染まる空を見上げ、フリアノンは小さく呟いた。
「絶対に……勝つから。」
◇
夏休みはまだ始まったばかりだ。
けれどフリアノンの心は、もう次のレースへと走り始めていた。




