第十四話:揺るがぬ願い
年が明け、白雷ジムにも正月特有の空気が流れていた。
しかし、そんな中でもフリアノンは一人、熱を帯びた瞳で廊下を歩いていた。
◇
ジムのオフィス。
調教師兼マネージャーの男性スタッフ、村瀬が書類を整理していると、ノックの音が響いた。
「失礼しますっ!」
「お、おう?フリアノンか……どうした?」
普段は物静かで、入室すら躊躇うフリアノンが、今日は息を弾ませて立っている。
村瀬は違和感を覚え、手を止めた。
◇
「お願いします……!わたし……わたし……クラシックに出たいんです……!」
突然の言葉に、村瀬は目を見張る。
「クラシック……って、チェリーブロッサムカップのことか?」
「はい……スレイの……スレイプニルの夢だったんです……あの子が目指していた舞台……わたし……わたしが……!」
◇
フリアノンの声は震えていた。
けれど、その瞳には恐れよりも強い光が宿っていた。
村瀬はゆっくりと立ち上がり、窓の外に目を向けた。
白雷ジムの練習トラックには、朝日が差し込み始めている。
◇
「……フリアノン。お前の気持ちは分かる……だけどな。」
彼は静かに振り返り、フリアノンを見つめた。
「クラシックは3歳のD1レースだ。
今のお前はまだJクラス……挑戦権すらないんだ。」
◇
「それでも……!」
フリアノンの声が廊下に響く。
思わず他のスタッフが扉越しに覗くほどだった。
「それでも……わたし……スレイの夢を……スレイの夢を叶えたいんです……!」
◇
村瀬は胸が痛んだ。
スレイプニルの予後不良処置から、まだ日も浅い。
彼女を失ったジムの空気は重く、誰もが心に暗い影を落としている。
そんな中で、フリアノンだけが前を向こうとしている。
怯えがちで、いつも人の後ろに隠れていた彼女が――。
◇
「……無茶はするなよ。」
「……えっ?」
「クラスを上げたいなら、レースに出るしかない。
だが、体調管理や調教プランもある。
全部お前の我儘で崩れたら元も子もないんだ。」
◇
「……はい……。」
「無理しない程度に……だ。
お前が潰れたらスレイも喜ばねぇだろ。」
フリアノンの瞳に、ぱっと涙が滲む。
「……ありがとうございます……!わたし、絶対に……絶対に頑張ります……!」
◇
村瀬は小さく笑った。
(……ほんと、大したもんだよ。
ガイも……ユリウスも……きっと驚くだろうな。)
◇
その日、ジムのスケジュールボードには、フリアノンの名がずらりと記入された。
短距離、マイナー、N、J――クラス昇格に向けた連戦計画。
ガイがホワイトボードを見て苦笑する。
「こいつ……本気だな。」
村瀬は頷く。
「……ああ。
スレイの夢を背負ってるからな。」
◇
廊下を歩くフリアノンの瞳は真っ直ぐだった。
もう下を向かない。
もう怖がらない。
(わたし……行くから……スレイ……。
クラシックで……リングの頂点で……必ず……会おうね……。)
涙はもう乾いていた。
代わりに、胸を満たしていたのは、確かな決意だけだった。