第十一話:砕けた冬
宇宙を巡る木星リングコロニー、その外周に設けられたD1クラス公式レーストラック。
今日は年末の恒例レース、木星少女杯が開催される日だ。
観客席は満員。大型スクリーンには出走サイドールの顔と名が次々に映し出されていく。
「……次、白雷ジム所属……スレイプニル!」
「いっけー!スレイプニル!」
「そして、アンダームジム所属……マーメルス!」
「マー様ーーーーっ!」
地鳴りのような歓声が響く。
フリアノンはスタンド席の端で、スクリーンに映る二人の姿を静かに見つめていた。
◇
スタート前。
スレイプニルは搭乗席後部でナビゲーター席に座るガイと短く会話していた。
「スレイ、この舞台はお前の庭だろ?」
「うん……絶対、勝つよ……ガイさん!」
「上等だ。いつも通り先行押し切りで行くぞ!」
「了解っ!」
一方、隣レーンのマーメルスは、機体チェックを終えると、ナビゲーター席のユリウスへ軽く視線を送った。
「マーちゃん、準備は?」
「マーちゃんって呼ぶなっ……!……でも、いつでも行けるわ。」
「ふふ……頼もしいですね。」
ユリウスはいつもの柔らかな微笑みを見せた。
◇
《スタート10秒前――》
リングコース全体が微かに震える。
緊張感が最高潮に高まった。
《3…2…1…スタート!》
◇
轟音と共に各機が飛び出す。
先行争いに躍り出たのはスレイプニルとマーメルス。
(……速い……。)
スクリーン越しにフリアノンは息を呑んだ。
◇
「スレイ、抑えすぎるなよ!」
「わかってるっ!」
ガイの指示に応え、スレイプニルは鋭く加速する。
だが、すぐ隣のマーメルスも全く譲らない。
「マーちゃん、ここはキープですよ。」
「言われなくてもわかってるわっ!」
◇
二機は他を引き離し、先行二頭による一騎討ちの様相を呈していた。
中盤、三コーナー進入。
マーメルスが外からわずかにスピードを緩め、スレイプニルを先に行かせる。
「……っ!」
「ふふ……お姫様は先に行かせてあげるわ。」
◇
最終コーナー。
「マーちゃん、ここです。仕掛けましょう。」
ユリウスの声に、マーメルスの瞳が鋭く光る。
「わかってるっ!」
コーナー出口で一気にギアを上げる。
推進変換機構が唸りを上げ、火花のような閃光が迸った。
◇
スレイプニルの隣に並びかける。
「スレイ、ここからだぞ!」
「負けないっ……!」
ガイの檄に応えるように、スレイプニルもフルスロットルで踏み込む。
◇
最後の直線、二機は完全に並び合った。
(負けたくない……負けたくない……!)
スレイプニルは必死に念動力を解放する。
体中の神経が焼けるように熱くなる。
脳が、視界が、真っ白に染まっていく。
「っ……く……っ!」
「マーちゃん、あと少し!」
「わかってるわよっ!」
マーメルスも加速を続ける。
スレイプニルとマーメルスの機体がぶつかるほど接近し、火花を散らす。
◇
しかし――
(まだ……まだ……!)
スレイプニルの額から血が滲み出す。
念動出力が限界を超えていた。
(……ガイさん……わたし……もっと……走りたい……!)
最後の最後、スレイプニルの推進音が途切れる。
◇
《……スレイプニル、ストップ!ストップ……!》
ガイの叫びも届かない。
機体が大きくバランスを崩し、そのままスローダウンして停止した。
◇
《ゴール!1着 アンダームジム所属 マーメルス!》
《スレイプニル号、競走中止……》
◇
レース後、医療チームが駆け寄る。
モニタに表示される診断結果。
その場にいた関係者全員の顔が曇った。
――予後不良。
◇
控え室。
モニタ越しにその報せを聞いたフリアノンは、膝から崩れ落ちた。
「……うそ……スレイ……?」
視界が滲み、震える唇から声が漏れる。
(スレイ……なんで……なんで……。)
友達だった。
親友だった。
憧れだった。
その全てが、静かに終わりを告げた。
◇
木星の縞模様が揺れて見える。
涙で滲む視界の奥で、少女杯優勝者として微笑むマーメルスが映っていた。
だがフリアノンの胸に残ったのは、祝福でも羨望でもなかった。
――ただ、深い、深い喪失感だけだった。