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サイドライブ  作者: 碗古田わん


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第百十七話「誕生」

 冬の夜明けは遅く、外の空はまだ薄暗い青色に包まれていた。

 その日の朝、フリアノンは違和感で目を覚ました。


 いつもよりお腹が重い。

 張りつめるような痛みが、鈍く波のように押し寄せてくる。


(……これ……)


 体が震える。

 息を吐き出すと、白く霞んだ空気が天井に溶けていった。


 慌てて呼び鈴を押すと、すぐにスタッフたちが駆けつけ、診察の結果――


「陣痛が始まっています。今日が……その日ですね」


 医師の穏やかな声に、フリアノンの全身から力が抜けた。

 怖い。

 痛みも怖いけれど、それ以上に、これから自分が母になるという事実が胸を震わせていた。


(……わたし……ちゃんと……産めるかな……)


 分娩室へ移されるストレッチャーの上で、何度も自問した。

 震える手を無意識にお腹へ当てる。


(……大丈夫……大丈夫……わたしが……守るから……)


 痛みは徐々に強くなり、何度も涙が滲んだ。

 けれど、その度にお腹の奥から伝わってくる命の存在が、彼女を奮い立たせた。


 スタッフが何度も声をかけてくれる。

 「大丈夫です」「あと少しです」

 けれど、その言葉よりも何よりも――


(……この子に……会いたい……)


 その想いが、彼女を突き動かしていた。


 最後の波が訪れたとき、耳鳴りがするほど必死だった。

 全身が痺れるような感覚に包まれ、視界が白く霞む。


「……ふ、ぐ……っ……!」


 誰の声も届かない。

 ただ、自分とお腹の中の子だけの世界。

 強い光の中で、フリアノンは最後の力を振り絞った。


 ――そして。


「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」


 その言葉を聞いた瞬間、涙が溢れた。


 産声が部屋に響く。

 小さくて、か弱くて、でも確かに強い命の音だった。


(……生まれた……わたしの……わたしの子……)


 助産師に抱かれて、自分の胸の上へと運ばれてきたその子は、顔を真っ赤にして泣いていた。

 まだ湿った髪、しわくちゃの小さな手。

 震える指でそっと頬を撫でると、泣き声が少しだけ和らいだ気がした。


「……ありがとう……無事に……生まれてきてくれて……」


 言葉にならない声で、何度も何度も呟いた。


 涙が止まらなかった。

 こんなに大きな喜びと安心感を感じたのは、生まれて初めてだった。


(……この子は……これからどんな道を……)


 走るだろうか。

 自分と同じように、レースの世界へ進むだろうか。

 それとも、別の道を歩むのだろうか。


(……どんな道でも……わたしは……この子の母だから……)


 強く抱きしめた。

 この小さな命を、絶対に守りたい。

 そう心に誓った。


 外は、いつの間にか白んできていた。

 新しい朝。

 新しい命。

 そして――


(……新しい……わたし……)


 フリアノンは、静かに目を閉じた。


 母としての最初の朝を、優しい光が照らしていた。

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