第百八話「アースカップ本戦編」
年末を締めくくる大舞台、アースカップの決戦の日。
地球圏最大規模の競技場には、朝から観客が詰めかけていた。
冷たい冬の空気を震わせるように、場内アナウンスが響く。
『第百二回アースカップ、本戦出走です!』
パドックで、フリアノンは深呼吸を繰り返していた。
白い吐息が震え、胸の奥が痛むように緊張している。
「ノンちゃん、大丈夫か?」
隣でミオが声をかける。
ヘルメットを抱えたその瞳は、いつものように優しくて、けれど鋭い決意を帯びていた。
「……はい……やります……」
その声は震えていたが、確かな意思を孕んでいた。
◇
スタート地点に並ぶサイドールたち。
ラディウスが前方で軽く肩を回していた。
ナビゲーターの玲那がモニター越しに睨みつける。
「いい? 今日は絶対勝つのよ。逃げ切るの」
「ああ、分かってるって!」
軽く笑って答えるラディウスだが、その表情には焦りが滲んでいた。
一方、中団外側にはアスティオンが立っていた。
冷たい風に銀髪を揺らし、瞳は真っ直ぐ前を見据える。
「アスティオン、焦らずに行こう。君の伸び脚なら、最後に必ず届く」
ユリウスの声はいつも通り淡々としていたが、そこには揺るぎない信頼があった。
「分かりました……必ず勝ちます」
最終列最後尾には、フリアノンが立っていた。
周囲がスタート準備に集中する中、彼女はひとり、静かに瞼を閉じる。
(わたしは……ただ、走るだけ……)
ミオの声が耳元で響く。
「ノンちゃん。信じとるからな……!」
「……はいっ!」
◇
スタートゲートが開いた。
レースは予想通り、スローペースで進行した。
逃げ馬タイプだったガルディアスが引退したことで、先頭集団は慎重になり、流れは落ち着いていた。
「ラディウス、ペース握れ! そのまま自分の形に持ち込むの!」
玲那の声を受け、ラディウスが先頭に立つ。
後ろを確認する余裕すらある表情だった。
「へへっ……このまま行ける……!」
その少し後ろ、中団外側に位置するアスティオン。
ユリウスが冷静に指示を飛ばす。
「いい位置だ。前がバテるまで我慢しろ」
「了解……」
そして、最後方。
フリアノンはスローペースに嫌な胸騒ぎを覚えていた。
(……スローだと……届かないかも……)
恐怖が胸を締めつける。だが、その時。
「ノンちゃん、大丈夫や! 最後まで信じて走り!」
ミオの叫びが無線越しに飛び込んできた。
「……はいっ!」
◇
レースは淡々と進み、やがて最終コーナーへ。
先頭を行くラディウスのペースが落ち始めた。
アスティオンがスッと外に持ち出す。
「アスティオン、今や! 一気に仕掛けろ!」
「はいっ!」
アスティオンが加速する。
その伸びは凄まじく、あっという間にラディウスを交わしてトップに立った。
スタンドがどよめく。
「アスティオン! そのまま押し切れ!」
ユリウスの声が冷たく響いた。
◇
そして――最後方。
「ノンちゃん! 行け! ここや!」
ミオの叫びに、フリアノンが鞭を入れる。
(……届かない……!)
絶望が脳裏をよぎる。
前を走るアスティオンの背中が遠い。
去年のアースカップで勝ったリュミエルの姿が脳裏をよぎる。
(……でも……わたしは……)
目の奥が熱くなる。
全身が痛い。呼吸も苦しい。
でも――
(……わたしは……走るために生まれたんだ……!)
最後の力を振り絞った。
◇
「ノンちゃん……!」
ミオが絶叫する。
フリアノンの加速は、まるで風を切り裂くようだった。
前を行くアスティオンが迫る。
残り二百、百五十、百。
(届く……届く……!)
アスティオンの横に並ぶ。
「っ……!」
アスティオンが歯を食いしばる。
ユリウスの声が飛ぶ。
「アスティオン、負けるな……!」
だが、フリアノンの勢いは止まらなかった。
(……絶対に……負けない……!)
ゴール板が目前に迫る。
最後の一歩を伸ばした。
◇
『ゴールイン! 勝ったのは……白雷ジム、フリアノンです! 初のアースカップ制覇!』
スタンドが地鳴りのような歓声に包まれる。
ミオは涙を溢れさせながら叫んだ。
「ノンちゃん!! やった……やったで!!」
しかし――
「……ミオ……さん……」
無線越しに弱々しい声が聞こえたかと思うと、画面の中でフリアノンが崩れ落ちた。
「ノンちゃん!? ノンちゃん!!」
慌てて駆け寄るミオ。
スタッフたちが急いでストレッチャーを用意し、フリアノンを運ぶ。
「ノンちゃん……いやや……目ぇ開けて……お願いや……!」
歓喜に沸くスタンドの声が遠く響く中、
ミオの震える嗚咽だけが、冬の冷たい風に呑まれていった。




