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サイドライブ  作者: 碗古田わん


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第百七話「アースカップ前夜編」

 夜の白雷ジムは静寂に包まれていた。

 いつもはライトで明るい調教場も、この日ばかりは闇の中に沈んでいる。

 明日は年末最大の祭典、アースカップ。

 今年一年を締めくくる大舞台に、フリアノンの心は重く沈んでいた。


 寮の部屋の窓から夜空を見上げる。

 冷たい月の光が差し込み、白い髪を銀色に照らしている。


(……明日、走るんだ……)


 ここまで、いくつものレースを勝ってきた。

 でも、勝つたびに重みが増していくような気がしていた。


(……みんな……どんな気持ちで、明日を迎えてるんだろう……)


 フリアノンはふと思い立ち、部屋を出た。



 ラディウスは、ジムの屋外ウッドチップコースを黙々と歩いていた。

 白い吐息を吐きながら、額にかかる前髪を指で払う。


(……やっとここまで戻ってこれた……)


 去年は思うような結果が残せなかった。

 クロエのように輝けるライバルが羨ましくて、悔しくて。

 でも、そのクロエもいない今。


(……もう一度、みんなに証明する……オレがここにいる意味を……)


 拳を握り締めるラディウスの背中には、微かに震える影があった。


「……ラディウスさん……」


 か細い声に振り返ると、そこにはフリアノンが立っていた。

 月明かりに照らされた彼女の表情は、どこか影を帯びていた。


「……眠れないのか?」


「……はい……ラディウスさんも……?」


「ああ……まあな」


 小さく笑ったラディウスの横顔は、どこか寂しげだった。

 フリアノンは何も言えず、ただ隣に立つ。



 その頃。

 隣町のビジネスホテルに滞在しているアスティオンは、部屋のテーブルに両肘をつき、ぼんやりと窓の外を眺めていた。

 遠くに見えるレース場のナイター照明が、細い光の筋となって空を照らしている。


「……明日か……」


 いつも冷静沈着で、何事にも動じない彼だったが、胸の奥では淡い期待と恐怖がせめぎ合っていた。


「アスティオン」


 背後から声をかけたのは、彼のナビゲーター・ユリウスだった。

 優雅な笑みを浮かべたユリウスは、窓際に立つアスティオンをじっと見つめる。


「眠れないのかい?」


「……ユリウスさんこそ」


「僕は君を信じてるよ。明日、君がどんな走りをするのか……楽しみにしてる」


 ユリウスのその笑顔は、どこまでも穏やかで、しかし底知れない冷たさを帯びていた。

 アスティオンは小さく息を吐き、瞼を閉じた。


「……明日は勝つよ。必ず」


 その声は静かだったが、確かな決意に満ちていた。



 白雷ジムに戻る。


 フリアノンはラディウスと別れ、自室へ戻る廊下を歩いていた。

 暗い廊下に響く足音。

 その胸には、得体の知れない不安が渦巻いていた。


(……わたしは、勝てるのかな……)


 今年一年、走り抜けてきた。

 でも、そのたびに心は擦り減っていくようだった。


(……わたしは、何のために走るんだろう……)


 自問するたび、答えはぼんやりとしたまま霞んでいく。

 そのとき、ミオの声が背後から響いた。


「ノンちゃん」


 振り返ると、ナビゲーターのミオが立っていた。

 薄暗い廊下の中で、その瞳は優しく光っている。


「……眠れないんか?」


「……はい……」


「そっか……」


 ミオはフリアノンの肩をそっと抱き寄せた。

 その温もりに、フリアノンの目から涙が溢れそうになる。


「ノンちゃん。大丈夫やで。わたしらがついとる。ノンちゃんは、ただ全力で走ったらええ」


「……ミオさん……」


「せやから……一緒に、勝とうな」


 その言葉は、フリアノンの心に小さな火を灯した。

 恐怖を照らし出すように、優しく、けれど確かに燃える炎だった。


(……わたしは……走る……明日も……)


 夜は深く静かに、その決意を抱きしめるように広がっていった。

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