第十話:風を裂く日
地球圏と木星圏を結ぶ輸送航路上に浮かぶ中継コロニー、レオナ・ステーション。
その外周リングに作られたレーストラックでは、Jクラスの公式戦が始まろうとしていた。
リング上に整列するサイドールたちの中に、フリアノンの姿がある。
彼女の背後のナビゲーター席には、白いパイロットスーツ姿のユリウス・フェイダーが座っていた。
「落ち着いて、フリアノンさん。」
その優しく穏やかな声が、緊張で張り詰めたフリアノンの胸を柔らかくほぐしていく。
(……はい……。)
◇
ユリウスと組むのは、これが初めてではない。
だが公式戦となると、いつもとは違う重みがある。
(大丈夫……ユリウスさんとなら……。)
恐怖と期待が入り混じる胸の奥で、彼の声だけが静かな灯となっていた。
◇
《スタート10秒前――》
リングが微かに震え、緊張が走る。
フリアノンのESP視界が起動し、全コース情報が脳内に展開された。
《3…2…1…スタート!》
◇
号砲と同時に、各機が一斉に飛び出した。
フリアノンはわずかにアクセルを抑え、集団の最後尾につける。
「いい判断です。そのまま冷静に。」
(……はい……。)
背後から聞こえるユリウスの声は、決して強く命じるものではない。
しかし、その柔らかさの奥に確固たる自信が感じられた。
◇
序盤は抑え気味にレースを進める。
恐怖が完全に消えたわけではないが、彼となら進める気がした。
二コーナーを抜け、最初のバックストレート。
ユリウスの声が響く。
「ここから、徐々にギアを上げましょう。」
(……はいっ!)
ペダルを踏み込み、念動力が推進変換機構へと流れ込む。
加速Gが身体を押し込み、視界が狭まった。
◇
周囲のサイドールたちが後方へと消えていく。
そのスピード感に、胸が震える。
(怖くない……怖くない……!)
息が白く曇るコックピットの中、額に汗が伝う。
◇
最終コーナー手前。
「前に二機。隙間は小さいけど、抜けますよ。」
ユリウスの声に迷いはない。
(……抜ける……!)
彼の言葉を信じる。
最終コーナー進入時、ESP視界が限界まで展開し、走路データが浮かび上がる。
(……ここ……!)
僅かな間隙に機体を滑り込ませる。
風切り音が鋭く耳を裂いた。
◇
コーナー出口、加速ペダルを踏み抜く。
「――行けっ!」
ユリウスの声と同時に、フリアノンは全力で走り抜けた。
(わたしは……わたしの走りをするっ!)
背後に二機を置き去りにし、フィニッシュラインへ飛び込む。
◇
《ゴール!》
《1着 白雷ジム所属 フリアノン》
◇
ピットに戻ると、スレイプニルが満面の笑みで駆け寄ってきた。
「ノンちゃんっ!1着だよ!すごいっ!」
「ス、スレイ……ありがとう……。」
その笑顔を見て、胸の奥が温かくなる。
◇
ふと横を見ると、ユリウスがヘルメットを外し、いつもの優しい微笑みを浮かべていた。
「おめでとう、フリアノンさん。」
「……ありがとうございます……!」
その瞬間、彼女の心は確かに震えていた。
この人となら、どこまでも行ける。
そんな予感が、彼女の瞳をまっすぐ前へと向けさせる。
◇
遠い宇宙の彼方に、木星の淡い光が瞬いていた。
それはまるで、彼女の未来を照らす道標のようだった。