第一話:デビュー戦
太陽系の果て、木星圏の宙域に浮かぶ巨大競技コロニー《オルトラ》。
その中心にある白雷ジムの調教コースで、フリアノンは震えていた。
今日は、彼女のデビュー戦だ。
白銀色の重力制御煙が舞う調教場は、いつもより緊張感に包まれている。
空中に投影されたコース全景図を見上げながら、サイドールたちが各自起動を始めていた。
――サイドール。
それは遥か昔、人類が戦争のために生み出した人型生体兵器。
だが今、その超能力と高い機体制御能力を競う競技へと転用され、太陽系全域を巻き込む一大スポーツとなっていた。
「ノンちゃん、大丈夫?」
すぐ横から、明るく優しい声が響く。
フリアノンはゆっくりと顔を上げた。
そこには、同期で親友のサイドール、スレイプニル――スレイが立っている。
スレイの髪色は淡い栗色で、艶やかに光を帯びていた。
細身ながら全身の筋肉バランスが美しく、整った体躯は見る者を安心させる。
彼女はいつも通り、ニッと元気な笑みを浮かべていた。
「き、緊張して……」
フリアノンはか細く呟いた。
スレイは笑って彼女の肩に手を置く。
その感触だけで、ほんの少しだけ心臓の鼓動が落ち着いた。
「大丈夫だって。ノンちゃんならちゃんと走れるよ!」
「……でも……怖い……」
フリアノンの小さな声は、周囲のエンジン起動音にすぐ掻き消された。
スレイはその声を逃さず聞き取り、そっと微笑む。
「怖くても、前に進むしかないのがレースだよ。でも、もし本当に無理だって思ったら……ちゃんと止まって。約束。」
そう言うとスレイは離れ、自分の出走ゲートへ向かっていった。
(スレイ……)
フリアノンは、スレイの背中を見送る。
同期でありながら、スレイはすでに数戦を経験し安定した走りを見せている。
彼女のように、自分も――。
「フリアノン!」
低く鋭い声が響いた。
ナビゲーター席へと繋がる通路から、ガイ・マシラが歩いてくる。
短く刈り込んだ髪に、無骨なナビスーツ。
その肩幅と立ち姿からして、彼が体育会系であることは一目瞭然だった。
「今日は先行で行くぞ。」
フリアノンの身体がピクリと震える。
先行――風を切り、前に立つ走法。
彼女には最も怖いポジションだった。
「……え……せ、先行……ですか……?」
震える声で聞き返す。
ガイは不機嫌そうに眉を寄せた。
「ビビってんじゃねぇ。お前の加速性能なら先行が合う。根性見せろ。今日はデビュー戦だろうが。」
ガイは操縦席に乗り込み、彼女の背部コネクタへリンクコードを接続する。
重い起動音が身体中を振動させた。
(やだ……怖い……でも……命令には従わなきゃ……)
震える膝を必死で支えながら、スタートゲートへと歩み出す。
隣のスレイが一瞬だけ振り返り、にっこり笑って親指を立てた。
(スレイ……わたし、がんばる……!)
脳内HUDにレースカウントダウンが表示される。
「3」「2」「1」――。
(いける……いける……いけ……)
『スタート!』
轟音。
後方ブースターから念動力推進煙が噴き出し、全身を圧縮するような加速Gが襲う。
風圧が痛い。
周囲のサイドールがすぐ横を抜き去っていく。
視界の隅で、金属光沢の装甲や推進煙が閃光のように流れた。
(こ、こわい……近い……あああ……!!)
心拍数が急上昇し、HUDに赤い警告が点滅する。
「フリアノン、集中しろ!!周りは気にすんな!!」
ガイの怒声が通信回線越しに響く。
「……っ、はい……っ!」
涙が滲み、視界が歪む。
最終コーナー手前で、再びガイの怒鳴り声が飛んだ。
「ここだ!!加速しろ!!!仕掛けるぞ!!!」
(やだ……怒らないで……やだやだやだ……)
心の奥で何かが切れた。
感情パラメータが暴走域に突入する。
警告音が耳を突き刺す。
重力制御煙が赤く染まり、機体各部が異常振動を始めた。
「フリアノン!!聞いてんのか!!加速――」
「やだぁぁぁぁぁっ!!」
悲鳴と共に、彼女の身体が制御不能の速度でコーナーへ突入した。
咄嗟にガイが操縦桿を引くが、もはや無駄だった。
機体は傾きを修正できないままコース外へと飛び出し、外壁の防護柵へ叩きつけられる。
轟音と金属破砕音が響き渡り、砂煙が舞った。
(あ……あぁ……ごめんなさい……)
遠のく意識の中、フリアノンはナビ席に座るガイの怒声を聞いた。
そして最後に、ゲート前で笑ってくれたスレイの顔が浮かんだ。
(……スレイ……ごめん……)
視界が真っ暗に閉じていく。
それが、フリアノンのデビュー戦の結末だった。