人質王子を自分好みに育てたら……
サルメライネン王国との戦争に勝った祝賀会。まぁ、そうはなるだろうと誰もが言うほどに、帝国に対してあまりにも無謀な小国の挑戦だった。
お父様は無駄な戦争はしたくない派だけど、サルメライネン王国が非道な攻撃を仕掛け帝国民に被害が出たため、帝国最強の騎士団を派遣せざるを得なかった。
その結果は、開戦二週間での終結。
「はぁ、全く意味が分からんな」
「そうですわね。たった二週間しかもたないとは本当に予想外でしたわ」
「お前の婚約破棄もな」
「……そうですわね」
つい先ほど祝いの席にも関わらず、婚約者であるカッスリーノ様から『幼い』という理由で婚約破棄された。確かに私はカッスリーノ様より八歳も年下で幼い。けれど、そこいらの十歳よりかなり大人びていると自認している。
同年代の可愛らしいご令嬢を右腕に侍らせていたから、本当の理由はそこらへんにあるのだろうけど。
皇帝の娘と婚約破棄するための理由付けとしては、年齢差は弱すぎる。
ただ、やり方があまりにも稚拙すぎて、私もお父様も呆れ返って頷いてしまった。侯爵家の次期当主はここまで頭が残念なのかと、現侯爵に憐憫の眼差しを送ってしまうほどに。
「ビアンカ、どうだ?」
「構いませんわよ、暇ですし」
婚約破棄された翌日、普通の親であれば傷心の娘をそっとしておくのだろうけれど、皇帝であるお父様には一切関係ないらしい。
婚約破棄でいろいろと暇になっただろうから、気晴らしに小国の王子を侍従に育てるかと聞いてきた。そんなお父様の言葉を引用して答えると、ニタリと笑うのだから性格が本当に悪いと思う。
その翌週に紹介されたのは、表情が死んだ幼い子どもだった。話しかけても浅く頷くのみ。
「積極的に人質として送ってきたことを鑑みると、継承争いに負けたのだろうな」
サルメライネン王国は長子継承ではないので、そういうこともあるのだろうと納得。
ひとまず部屋に連れて帰り話を聞いてみることにした。
「そこに座ってちょうだい」
「……」
耳の下で揃えた真っ黒な髪をサラリと揺らし、浅く頷くと私が指差した一人掛けのソファにちょこんと腰掛けた。
ローテーブルを挟んだ向かい側にある三人掛けのソファに座り顔を覗き込む。ほぼ無表情なものの、少し俯き加減で、表情が読み取れない。
名前はジルベルトで、年齢はまだ六歳。そんな彼に状況が理解できているのかわからない。それも踏まえて話を聞きたかった。
「ねぇ、ここがどこかは分かる?」
「……」
「私が誰かも?」
「……」
無言ではあるものの、コクリと頷いてくれるので、耳は聞こえているし、言葉も理解しているのは分かった。状況が状況だから、いまは無理強いをせず、彼が自発的に何かをしたいと思うまでは好きにさせることにした。
「まず、そこにいるおじさんはミルコよ」
「おじさんって、ビアンカ様……酷いです」
「私の侍従長ね。彼に部屋と服をもらってきなさい」
ジルベルトがコクリと頷いてミルコの方を向いて、拙いものの臣下の礼を執った。やっぱり自分の立場をしっかりと理解しているらしい。
着替えに行ったジルベルトが戻ってきた。さっきまでは一応王子様然としていたが、今はホワイトシャツと短パン、サスペンダーに長い靴下という可愛らしい従僕の格好になっていた。
「うん、似合うわね」
「服はいっぱい用意しているから、好きなものを着ていいわよ」
使用人の幅からは出ない程度で、様々なデザインを用意させている。毎日同じデザインだと私が見飽きるから。ミルコは毎日同じもののほうが落ち着くと言って断固拒否されたけど。
ジルベルトは私のものだから、私の好きにさせてもらう。
何を隠そう、私はお父様からこの話をもらったときから『私の私による私のための侍従育成計画』を発足させていた。
「ジルベルト、こっちに来て」
私が座っている三人掛けのソファの座面をポンポンと叩くと、また浅く頷いて近寄ってきた。
本当に座っていいのかわからないのか、少し困ったような表情をしていた。
「座って?」
もう一度言うと、頷いて隣にちょこんと座ってくれた。うんうん、素直で良い子じゃないの!
それから一ヵ月程は、私が公務の日はミルコとともに側に控えさせて、ただ流れを見て覚えることをジルベルトの仕事とした。公務がない日は、私の部屋内でなら好きに過ごしていいとも。
今は私の弟のようなものだと思えばいいとも伝えた。そのほうが過ごしやすいだろうし。
ジルベルトはいつでも浅く頷くのみで、声を発しようとはしなかった。ミルコや侍女たちには無理に話させなくていいと伝えている。ジルベルトが自ら声を出す日を待つことにした。
「おはよう、ジルベルト」
「ねぇ、ジルって呼んでもいい?」
「今日はガゼボでお茶にしましょう?」
「随分と寒くなったわね」
半年が経っても、ジルは頷くばかりで声を出すことはなかった。
「ジル、ジル! こっちに来て! ほら、雪が降ってるわ、初雪よ」
冬が深まってきたある日、窓辺で曇天の空を見上げていたら、空から白い結晶がふわりふわりと舞い落ちて来ていた。
手招きしてバルコニーに出て一緒に空を見上げていると、ジルが降ってきた雪を手のひらで優しく包んでいた。
「…………ゆき」
「っ、ええ。雪が降ってきたわね。明日には積もるかしら? 積もったら雪遊びしましょ?」
「……うん」
ジルが少しだけ笑って、頷いてくれた。
この日からジルは徐々に言葉を話すようになった。そして、徐々に侍従の仕事をするようにもなってしまった。
「はぁ。疲れたわね」
「ビアンカ様、ハーブティーを用意しました」
「ビアンカ」
「……ビアンカ様」
「もぉ、頑なに育っちゃって」
ジルを引き取ってから五年、侍従としての立場を一切崩さない真面目な子になってしまった。引き取ったころは、こくこくと頷いては私のあとをヒヨコのように付いてきていたのに。
髪は短く切ってしまうし、身長もぐんぐんと伸びている。
表情だけはあのころと変わらず、ほとんど無表情だけど。
「あのころの可愛いジルに戻ってちょうだいよ」
「……努力します」
「はぁ。もぉっ。ミルコの雑さを見習いなさいよ」
「ビアンカ様、聞き捨てならないんですけど!?」
私は身近に置く人間とは気心のしれた会話がしたいのだと言っても、ジルは努力しますと言うばかり。
それでも、当初からの公務がない日の私の相手は、ジルが休みの日でさえも必ずやってくれている。
「ねぇ、ジル」
「はい?」
「ずっとここにいていいからね?」
「当たり前じゃないですか。クビにされない限りは、ずっとお仕えしますよ」
「約束よ?」
「はい」
一緒にお茶をしたり、ソファやベッドに寝転がって本を読んだり、将来の約束もしたし、お忍びで城下町の散策デートなんかもした。
「ジルベルトが来てもう十年くらいか?」
「ええ。急にどうしたんですの?」
「いや、気付いたら随分デカくなってるなと思ってな」
夕食の席でお父様が何やらふと思い出したように聞いてきた。言葉を濁していたけど、たぶんサルメライネン王国との和平協定の更新時期が近づいてきているから聞いてきたはずなのよね。
協定更新のとき、基本は最初の人質期間が終われば元の国に戻すものだけど、そのまま残って国に戻らない者もいる。
ジルはどうしたいのか聞いていなかった。
いつかちゃんと話さなければならない日が来る。それまで、蕾を枯らすことなく大切に育てられたらいいなと思う。
夕食後、部屋に戻り人払いをしたあとに、ジルにソファに座ってと言うと、迷わず隣に寄り添うように座ってくれる。
他の使用人がいると頑なな態度だけれど、二人きりになるとそれが軟化する。
私だけが知っている特別なジルの姿。
「今日、お父様に言われて気付いたわ。ジルがここに来て、もうすぐ十年になるのね」
「……ああ」
ジルが少し俯き加減で返事をしたのが気になって、両頬を包んで私の方に顔を向けさせた。
「首が折れるよ」
ジルが困ったように微笑みながら、私の両手を取り膝の上におろした。両手を繋ぎ合ったままで、ジルが手の甲や指をそっと撫でるように触れてくる。
いつも無表情なのに、こういうときは必ず柔らかく微笑んだまま。
「私、ジルが好きよ」
「――――っ!」
「二人きりのときは、微笑んでくれるでしょ? それにこうやって触れてくれる。心臓が甘く締め付けられるほど嬉しいの」
ジルは言葉にはしないけれど、心に抱く淡い想いは同じものだと思っていた。
同じ花の蕾を育てているのだと信じていた。
「っ…………もう、二度と触れないようにする」
「……え」
ジルが苦しそうな顔で私の手を離して放った言葉に、心臓が潰れるほどの衝撃を受けた。
「ごめん、ビアンカ……今日はもう部屋に戻るよ」
二人きりのときだけ緩む表情、くだける言葉遣い、触れる指先、それらに愛情を感じていた。だけど、それは私の勘違いだったらしい。
ジルが立ち去ったあと、呆然としながらベッドに潜り込んだ。
もしかして私が強要していたのだろうか? 私たちの間に感じていたものは、主従関係で成り立っていた? ジルは嫌々だった?
ジルが見せてくれるようになった、仕方なさそうな顔や呆れ顔、苦笑いなんかも、全部まやかしだったのかな?
この日、人生で初めて声を殺して泣いた。
枕に顔を強く押しつけていたせいで、目元や頬が真っ赤に腫れて酷い肌荒れを起こしてしまい、侍女たちに酷く心配されてしまった。
ジルはなにか言いたそうにしていたけれど、視線を合わせてはくれなかったし、一定の距離を保つようになってしまった。
時間の経過とは酷なもので、ジルとの関係を修正しようとしている間に、和平条約の更新時期になってしまった。
お父様のもとには、サルメライネン王国から『十二年の任期満了に合わせてジルベルト王子を返して欲しい』という旨の手紙が届いた。
「今までほったらかしにしていたくせに!」
「そうだね」
サルメライネン王国からジルの生活費などの支援は一切なかった。幼いころは私の私財から捻出していた。今はジルの侍従としての給金が生活費になっている。皇女付きの侍従ということもあり、普通に生活するには困らないし、貯蓄も出来ていると言っていた。
久しぶりに二人きりになれたのに、私は身勝手な手紙に怒ってばかり。ジルはそんな私を見て苦笑い。
「こっちは人質を求めてもいなかったのよ!? それなのに……ジルを好き勝手に使ってばっかりじゃないっ!」
「うん……それでも、国に帰りたいんだ」
ジルのその言葉に、崖から突き落とされたような感覚になった。
「なんで……ずっと私といてくれるって約束したじゃない」
「うん。ごめんね」
「っ、なんで…………もういらない、ジルなんて嫌いよ…………バカ」
「うん。ごめんね、ビアンカ」
そう言った後、ジルが淋しそうに微笑んだ。その表情に心臓が締め付けられる。なんでそんな顔をするの? そんな顔をするなら帰りたいって言わないでよ! そう訴えても、ジルは淋しそうな顔で謝るだけだった。
ジルがサルメライネン王国に帰ってから二年経ったころ、元婚約者のカッスリーノ様からの婚約の申し出があった。
お父様にどうするかと聞かれた。
ジルでないのなら誰でもいい、国の利益になるならそれでいいと答えると、お父様が大笑いしながら発表は今度の夜会にすることを決めた。
■■■■■
幼いころから派閥争いに巻き込まれ続けていた。
正妃より先に妊娠してしまった側妃の母は、異国の踊り子だったことから王城内で酷い扱いを受け、別の塔に住まわされていた。
父王は生まれた俺に興味がないらしく、ほとんど顔を見たことがなかった。ずっと放置されるのだろうと思っていた。
臣下にそそのかされて始めたらしい帝国との戦争に負けたと母から聞かされた。幼かった俺はその意味があまり理解できていなかった。
敗戦国となり帝国の機嫌を取るために、人質が必要となり、立場だけの第一王子である俺を人質として帝国に送ることになったと伝えられた。抵抗した母はその場で父王に斬り捨てられた。そして、その翌日には船に乗せられていた。
帝国に到着し連れられたのは、皇帝の執務室だった。父王の執務室にさえ入ったことのなかった俺は、部屋の豪華さや皇帝の覇気にただ圧倒されていた。
「少年よ。私と契約をしよう――――」
母を目の前で失ったショックで声が出なくなっていた俺に、皇帝は頷きや顔を横に振るだけで答えられるよう話してくれた。
・皇帝の娘の侍従になること
・帝王学など王に必須の学を修めること
・一年に一度、皇帝と面談すること
・十二年後の満期に国に戻ること
「サルメライネン王国を中から変えろ。王として私の前に戻ってきたなら…………そうだな。願いをひとつ叶えてやろう。うん、それがいいな。なんか魔王っぽくて」
最後のは、本気なのか冗談なのか分からなかったが、幼い俺はその言葉を信じるしかなかった。
そうして紹介されたのは、輝くような笑顔の皇女様だった。
ふわふわとしたはちみつ色の髪の毛と、青や緑や黄色といった不思議な色合いの瞳に見入っていると、ぎゅっと手を繋がれた。
「ジルベルト、これからよろしくね」
ビアンカ様との生活は驚きに溢れていた。
数多の国を傘下に置く帝国の皇女なのに、かなりの面倒臭がりだった。それでいて自由奔放で天真爛漫。
だが、公務になると様相が一瞬で変わる。俺が幼いせいとかではなく、明らかに大人なのだ。
聡明でいて慈愛に満ち溢れた皇女殿下は国民たちに慕われていた。
「はぁぁぁ、つかれたぁ! ジルー、ホットチョコ作ってー!」
ベッドにダイブしながら足をばたつかせて甘えてくるビアンカ様に苦笑いしつつホットチョコを渡すと、自分の分もちゃんと作れと言われた。
指導役のミルコをチラリと見ると、勝手にオレンジジュースを飲んでいた。
ビアンカ様は『私が寛ぐためには使用人たちも寛ぐべきだ!』という謎のルールを作っていて、城内で厳しい顔つきの侍従長や侍女長も、ビアンカ様の私室ではのんびりとした空気を纏い、いつも誰かと談笑している。
「えっ、リリアーヌってあの騎士が好きなの!? やだー、ムキムキじゃない!」
「そっ、そこがいいんですっ」
下級の使用人たちとも恋バナだとか言って楽しそうに話していた。
休みの日や夜の数時間に帝王学などの教師をつけられ、自由になる時間はほぼなかった。だが、ビアンカ様の部屋で過ごすそういった気の抜ける時間は、俺にとってかけがえのないものとなっていた。
年に一度の皇帝との面談で、ビアンカのことが好きかと聞かれた。どう答えていいか分からずに口を噤んでいると、皇帝がフンと鼻で笑った。
「バレバレなんだから素直に吐け。ビアンカはどんどん美しくなるぞ? 婚約者の候補も山ほどいる」
「っ――――!」
そう言われて、膝の上に乗せていた手に力が入ってしまった。
「くははは! 十五になっても青いなジルベルト。約束を覚えているか? 達成すれば、願いは叶えてやれるぞ?」
「……それまでは、婚約者を決めないでください」
「んー? それだと、願いが二つになるな?」
「いえ、願いは一つです。ビアンカ様の婚約者を決めないこと。それより後は自力で掴み取ります」
「ふむ……いいだろう」
それから本格的に自国へ戻るための計画が始まった。
何かを察知したビアンカ様が不安そうな顔で気持ちを確認してきた。それに応える立場にない俺は、彼女を突き放すしか出来なかった。
己の無力さに心底腹が立った。
満期の十二年が経ち、ビアンカ様の元を離れると伝えると、涙目でもういらないと言われてしまった。
抱きしめたい。キスをしたい。でも、それをするための立場はまだ俺にはなかった。
別れの日は、目元を腫らして見送りに来てくれた。来ないという選択肢もあったのに。ビアンカ様の優しさに胸が締め付けられた。
――――愛してる。
ビアンカ様を見つめ、心の中で囁いた。
いつか、それを直接伝えるための戦いをしに、国へ戻ろう。
◇◇◇◇◇
公務だなんだとこなしている内に、婚約発表予定の夜会になってしまった。
お父様が夜会開始の挨拶をするのをぼーっと聞いていた。
「あっ、そうそう。今夜は目出度い発表があるんだが、大騒ぎになりそうだから夜会の終わりに発表するかなぁ」
「皇帝陛下、そんな言い方をされると気になるではありませんかっ」
お父様と仲の良い公爵様がそんな野次を飛ばすと、皆が大笑いし、好き勝手に様々な噂を話し始めた。お父様はニコニコと笑っているので、流れ込んでくる噂話を収集して遊んでいるだけな気がする。
「ビアンカ、ダンスに行くぞ」
「……はい」
カッスリーノ様にエスコートされボールルームに向かっていると、カッスリーノ様の後ろ首をガシッと掴む手が見えた。
「グゲッ!?」
「すまない力を入れすぎた。彼女と踊るのは俺だ」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには少しだけ大人びたジルがいた。
黒い髪を後ろに撫でつけ、チョコレートのような瞳に強い意志を乗せ、カッスリーノ様を睨みつけていた。
「なんで…………?」
「ビアンカ様、待たせてごめんね」
名前を呼ばれただけなのに、心臓が甘く締め付けられる。
どうやってここに? なんで盛装してるの? 元気だった? ケガや病気はしてない? 国では安全に過ごせてる? 聞きたいことがいっぱいある。
「ジル」
でも出てきたのは、名前だけ。それ以外は何も言えなくてただその場に固まっていた。
「なんだお前は! いきなり人の首を引っ張りやがって。不敬だぞ! 衛兵、コイツを捕まえろ!」
カッスリーノ様がそう叫ぶと、会場内を警邏していた騎士たちが集まったものの、ジルの胸元にあるものに気付いて顔を見合わせていた。
「何をしている! 早く捕まえて追い払え! 皇帝の娘の婚約者である私に暴力を働いたんだぞ!?」
カッスリーノ様のその言葉に、ジルの表情が曇った。そして、纏っていた柔らかな空気が一気に張り詰めてしまった。ジルがこんなにも感情を顕にするのを初めて見た。
「…………ビアンカは俺のものだ」
「はぁ!? 頭が可怪しいんじゃないか!?」
「ビアンカ、こっちにおいで」
ジルに手を差し伸ばされた。迷わずその手を掴むと、グッと引き寄せられ、ジルの胸の中に閉じ込められた。
「衛兵っ! さっさと動け!」
「あんた、侯爵家だよな? これが何かも理解できないのか?」
ジルが胸元にある勲章を人差し指のお腹でトントンと叩いた。
それは帝国と友好関係を結んでいる国に贈っている勲章。そして勲章のリボン部分は、王族という意味を表すものになっていた。
「は…………え? あ……」
やっと相手の立場に気付いたカッスリーノ様がおどおどしだしたので、目障りだから騎士たちにどこかに連れて行ってとお願いすると、笑顔で敬礼された。
辺りがざわついて話せないので、ジルと二人でバルコニーに出ることにした。
「ジル…………元気だった?」
「うん」
「……ケガや病気は?」
「してないよ」
もっと聞きたいことがあるのに。
二年前よりも大人の雰囲気を帯びたジルは、なんだか知らない人のようで。どうしても目が見れず、俯きがちで話しかけていた。
「ビアンカ、顔見せて」
「っ、いやよ」
ジルの落ち着いた声が凄く懐かしくて、もう二度と聞けないと思っていたから余計に感情が揺らいでしまって、徐々に涙目になってきていた。だから顔は上げたくなかった。
「俺、頑張ったんだよ?」
「…………何を?」
ジルに両頬を包まれ、顔を上向きにされた。涙ぐんでいるのがバレてしまった。ジルの顔がぼやけてよく見えない。
「正式発表はもう少し後になるが、すぐに国王になる。ビアンカに釣り合う自分になりたかった」
「っ……どんな立場でも好きなのに」
「うん。でも皇帝陛下は違うから」
聞けば幼いころにお父様と約束をしていたらしい。国を取れば、願いを叶えると。どこの魔王なのよと呟くと、ジルが少年のような笑顔で、お父様も似たようなことを言っていたのだと教えてくれた。父娘だねと言われてちょっと複雑だった。私はあの人みたいに腹黒くないんだけど?
夜会が終盤に近付き、お父様に呼び出されて、会場の上座にジルと二人で並ばされた。
そこでまさかの私たちの婚約を発表。
お父様がニタリと笑ったのに気付いて頬を膨らませながら睨んでいると、ジルが耳元で「ビアンカ」と柔らかく囁いてきた。そして、俺を見てとばかりに、唇の際にキス。
「ちょっ!?」
「俺をこういうふうに育てたのはビアンカだよ? 責任とってよ?」
「そんなふうに育てた記憶ないっ」
小声で抗議すると、ジルが首を傾げて不思議そうな顔をした。ジルが小さいころによくやっていた仕草がまた見れたことに胸をときめかせていると、ちょっと意地の悪そうな微笑み方をした。
「俺、知ってるんだよ? ビアンカが『私の私による私のための侍従育成計画』を発足させてたの」
「っ――――! あれは、そのっ、幼さゆえのノリというか……」
「そんなの知らない。育てた責任取って」
「っ…………はい」
私たちの会話が丸聞こえだったお父様が爆笑してしまい、私の顔は真っ赤、ジルは苦笑いという、なんとも残念な婚約発表になってしまった。
「ジルー、ホットチョコ作ってぇ」
「はいはい。一杯だけだよ?」
「妊婦を労ってよぉ」
婚約発表から一年と経たずに、ジルはサルメライネン王国の国王に、私はその王妃になった。
ジルは私の侍従として過ごすほうが性に合っているとか言うけれど、国王の仕事も好きなようで真面目に国民のためにと頭を悩ませていることを私は知っている。そして、賢王として国民から愛されていることも。
だから、私室だけはジルが過ごしやすいように、私は帝国の皇女様として過ごすのだ。
決して『私の私による私のための侍従育成計画』を成功させているからではない……はず。
―― fin ――
<余談>
あの残念な婚約者カッスリーノ様は、お父様のおもちゃになっているらしい。そこそこ反逆罪や不敬罪でもおかしくないのに、なんで放置しているのかなぁと思っていたら、お父様が「侯爵家の弱みだぞ? こんな面白いもの手放すか」と黒い笑顔で言い放ったので、何やら計画があるらしい。まぁ、私には関係ないことだと思いたい。
読んでいただき、ありがとうございます。
逆光源氏計画羨ましいぞ!もっとショタを出せ!もっと大人ジルを出せ!
そんなんでいいので(いいのか?)
ブクマや評価、感想なんていただけますと、作者が喜び小躍りし、風邪も吹き飛はせる気分になるます!