第96話 令和16年名古屋場所②
久し振りに完敗だった。10日目結び前対関脇若本夏戦。立ち合いはかち上げを選択。だが相手もかち上げて来た為、不発に終わる。突き押しに転じようかと言う所を相手得意の左をこじいれられ、相手充分の形となってしまう。コシも右をこじいれられたが、相手の攻めが早く右をかっぱじかられる。そのまま寄り切りでコシは敗れた。優勝レースは全勝ただ一人横綱大鵬が一歩リードした形となる。
「明日から切り替えます。」
とだけ言って風呂に消えて行ったコシは珍しくメディアの質問をシャットアウトした。その後部屋でちゃんこを食べていると、時津川親方が突然こんな事を言い始めた。
「コシ?負けて悔しいだろ?」
「当たり前じゃないですか?」
「そう言う事を沢山他の力士はしているんだぞ?」
「だから何ですか?」
「毎場所の様に全勝優勝してると、そう言う感覚が鈍るんだ。」
「確かにそうかも知れませんが、それでも優勝は譲りませんよ?」
「その負けん気がお前の長所だ。」
「はい。負けてしまったものは仕方がありません。」
「あと5日頑張れるな?」
「はい。ごっつぁんです。」
11日目からは大関戦だ。ところがコシは構わずぶちかまし激しい突き押しで相手にまわしを取らせない。何もさせず勝つ。それは横綱戦になっても変わらない姿勢であった。突き押しが駄目ならすっと右上手か下手を取る。得意の右寄つに持って行く為だ。それは以前と全く変わらない姿勢であった。激しい突き押しは毎日の鉄砲で鍛え抜いた両腕から繰り出されるもので、威力は抜群であった。摺り足で鍛え抜いた脚さばきでコシの突き押しは威力倍増していた。
「やられる前にやれ。」
それがコシの信条であった。相手の事は上位陣ともなると、四股名を聞いただけでデータが浮かび上がって来る。横綱になって8年半。常に争って来たライバル?達である。お互いの事は体に染み付いている。何度も危うい所はあった。勝利はして来たが、紙一重だった勝利は数知れない。それでも勝って来た。
13勝1敗で迎えた千秋楽。相手は同じ横綱大鵬。こちらも13勝1敗。いわゆる横綱相星決戦である。過去の数ある大鵬戦でコシが敗れたのは僅か3回。苦杯を舐めさせられ続けて来たが、今場所の大鵬は一味違う。どう説明すれば良いか分からないが、コシの相撲感がそう言っている。だがそれは徒労に終わる。相撲を取ってみればコシの完勝。相星決戦を制した横綱越乃海は4場所連続43回目の優勝を達成した。
「流石コシ関!」
「いや、俺もう潮時かもな。」
「え?これだけ優勝しているのに?」
「がむしゃらにやれてた昔とは違うんだよ。」
「そうなんですか?」
「まぁ、あと優勝の新記録達成まであと3回だ。それを達成したらもう引退かもな。」
「また、そんな事言って。冗談キツイっすよコシ関。」
「お前には分からねーかもな。強者は孤独なんだ。」
「孤独?」
「あぁ。きっと白鵬関もきっとそうだったに違いない。」
「さっ、東京に戻るぞ?」
「はい。」
優勝披露宴も足早に、越乃海達時津川部屋の力士達は、東京に戻った。
「ゆいPただいま。」
「おかえりなさい。TV見てたわよ。流石じゃない。これであと3回優勝したら、新記録達成ね?」
「こいつら(三つ子)がもう少し大きくなるまで相撲を取っていたいものだな。」