第94話 令和16年夏場所
横綱50場所目のコシは、25歳最後の場所と言う事もあり肩に力が入っていた。場所前の仕上がりは順調。怪我も完全に回復。体重も168kgとコシにとっては、ベストとなっていた。フクちゃんの所へ行く回数も減らし、過度なウェイトトレーニングは極力避けていた。食事はゆいPに完全管理してもらい、カロリー制限をしていた。コシの付け人で新十両の越光は、コシと重点的に稽古し、ひかりに、横綱のぶちかましを喰らわせてやった。
場所入りしてからは、特段何か特別な事をする訳でも無く、四股・摺り足・鉄砲を中心とした軽めのメニューで調整した。初日から中日8日目まで毎場所の様に中日給金直しをしていたコシは、今場所も序盤に星を落とす事なく、中日給金直しを達成。周囲の星勘定関係無しに、横綱として一番一番に集中していた。
13日目の大関安高に勝ち優勝を決めると、14日目と千秋楽の横綱戦も連勝。得意のぶちかましからの突き押し、ハズ押しで圧勝。全勝優勝を決めた。これで3場所連続42回目の優勝となった。横綱越乃海だけ別次元の強さを見せていた。
「お、竜一?父さん優勝したんだぞ?分かるのか?すんごい笑顔。」
「竜二や竜三も分かっているみたいだよ?」
「ほんとだ。3人とも笑っているよ。」
「そろそろ言葉を覚えたり歩き始める頃ね?」
「お父さんやお母さんには感謝しています。」
「本当は父である自分の仕事なんですが…。」
「今更何言ってんだよ。天下の大横綱越乃海の大切なDNAを受け継いだ三つ子じゃないか?仕事も趣味も無いワシ等に出来る事と言うのはこれくらいの事。」
「そうだよ、コシちゃん。あたいらの大事な孫の面倒見させて貰って感謝しているのはあたいらの方だよ。」
「新潟の親父とおふくろが生きていりゃあこんな苦労はしないんですけどね?」
「事故で亡くなったんだ、仕方ないよ。」
「でもあれは事故じゃなくて事件だって叔父貴が言ってましたよ。新潟県警の警部補がですよ?」
「事故って事で良いじゃない。どうして傷口を開けるような事を言うの?」
「やめんか、二人とも。ここで喧嘩しても親父さんとおふくろさんは帰って来ないぞ?」
「まぁ、とにかくこれからも横綱越乃海が現役の間はゆいPの父母がしっかり見てくれるって事で。」
「よろしくどうぞお願い致します。」
コシの親父さんとおふくろさんが死んだのは去年の九州場所の事だった。自宅が火災に合い寝ていた両親が焼死したと言うニュースは怪我をしていたコシにとっては、ショッキングな事故だった。放火の疑いもあったが、火事の原因は漏電による電気火災によるものと判断。放火の疑いで追っていた叔父貴も、完全な証拠は無く事故死として処理した。松葉杖で葬儀に参加したのは、ついこの間の様に感じていた。コシの一番のファンであった両親の死は、怪我を治す途上のコシのメンタルに大ダメージを与えた。人前ではいつもの越乃海でいたが、ゆいPの前ではワンワン泣いた。つられた三つ子達も泣き出し、ゆいPを困らせた。父山田正一享年61。母山田真理享年60。
「大横綱になれたんだから、充分親孝行したんじゃない?孫の顔も見せられたし。」
「悔やんでも悔やみきれない死だな。」
「もう一杯泣いたんだし、この悔しさは忘れず稽古にぶつけるべきだわ。」
「ゆいPもそう思う?」
「思う。」