第89話 令和15年九州場所①
横綱47場所目のコシはフクちゃんとのハードなトレーニングで元の170kgまで、体重を戻していた。
「横綱!これでばっちりっすよ。」
「だと良いんだがな。」
ハッキリ言ってコシはウェイトトレーニングは嫌いだった。俺はボディービルダーになりたい訳じゃない。と、フクちゃんにはハッキリ伝えていた。相撲の稽古不足は中村(時天山)との3番稽古で表れていた。
「コシ?どうした?いつものようなぶちかましが不発だぞ?」
「はい!すみません。」
「コシ関どうしちゃったんですかね?」
「ウェイトトレーニングのしすぎで体の柔らかさが失われている。絵面は格好良いがこんな状態では優勝は難しいかもな。」
福岡入りしてからもコシは本調子ではなかった。迎えた令和15年九州場所初日。確かにコシの見た目は筋骨隆々として悪くはなかった。土俵入りを見ても以前より確実に筋肉量は増えていたと言う事は、素人目に見ても分かる。下半身もしっかり鍛えて来た。だがそれは柔軟性を失っている事を意味していた。師匠の時津川親方はそれを見抜いていた。
「コシ?一夜漬けの筋肉ではパワーアップしたとは言えないぞ?」
「一夜漬けじゃないですよ。先場所後から直ぐにジムで地道に強化してきましたし、四股・摺り足・鉄砲は毎日500回やって来ました。並行してぶつかり稽古もちゃんとサボらずやっていましたから。」
「親方として助言しておくぞ?コシは角界のスター力士なんだ。怪我でもされてはかなわんのだよ。」
「パーソナルトレーニングは無駄だとおっしゃりたいんですか?」
「お前はサラリーマンじゃねーんだから、地道に相撲の稽古だけしていれば良いのだよ。」
「体づくりだって立派な横綱の仕事じゃないですか?」
「まぁ、四の五の言わず戦ってみろ。結果は嘘をつかない。」
と、時津川親方から苦言をていされていた横綱越乃海ではあったが、初日から8連勝で中日給金直しをした。
「問題は後半戦だ。」
と、一言だけ時津川親方は言った。
「なぁ、中村?何で親方はウェイトトレーニングを嫌うんだ?」
「昔ウェイトトレーニングのしすぎで大怪我でもした…とか?」
「それでか!あんなに否定的なのは。」
「実際の所は分かりませんよ?でも親方の方針としては出来る限り稽古とちゃんこで体づくりをしたいってのは理解に苦しまないですけどね。」
「中村?俺はそれより限界突破したいんだよ。」
「限界突破?」
「お前も横綱なら分かるだろ?」
「これ以上強くなってどうするんですか?」
「それを言われると…だな。」
「親方がウェイトトレーニングを取り入れたくない理由は絶対何かあるんですよ。」
「中村、頼むそれ聞いてきてくれない?」
「嫌ですよ。コシ関自分で聞いて下さいよ。」
「50万でどうだ?」
「は?金すか?いくら積まれても嫌な物は嫌ですから。」
「じゃあ60!」
「それ、ファンやゆいPさんが聞いたら泣きますよ?情けなくて。」
「分かったよ。自分で聞くよ。」
コンコン。
「親方?少し良いですか?」
「何だ?」
「ウェイトトレーニングは何故駄目なんですか?」
「昔な…実は私もコシと同じ事を取り入れていた時期があったんだ。」
「え!?」
「1回体重落として筋トレで戻すって奴。結果は散々だったよ。見てくれは良いしパワーも付いた。でも怪我をした。」
「体が固くなったからですか?」
「そうだ。だから俺はコシに同じ轍を踏んで欲しくなかったんだ。」