第85話 令和15年夏場所②
とは言え、大関戦が始まる頃になると、中村(時天山)は失速、コシは加速して行った。まぁ、この辺りの差は普段の稽古量の差と言った所か。
「ゆたかにも言った覚えがあるが、中村はコシに比べると圧倒的に稽古量が足りない。確かに中村の相撲センスはあるし、それはコシに匹敵するものがあるかも知れない。だが、センスは稽古量あってのものだ。センスだけで綱は張れない。俺は小結止まりだったから、横綱の矜持など遠く理解には及ばないが3人の横綱を育てて来た矜持ならある。良いか中村?スタミナが全然違うんだ。コシを見てみろ?毎日激しい稽古をしているから、いつも初日みたいな顔をして土俵に上がっている。」
「そうですね。」
「まぁ、コシも全く疲れが無いとは言えないけどな。それだけ本場所の一番はハードだと言う事だ。あの横綱越乃海を持ってしても…だ。」
結局この場所はコシがぶっちぎりで優勝を果たした。3場所連続37回目の優勝であった。終わってみれば中村は11勝4敗とシルバーコレクターにもなれなかった。
「コシ?すまんが中村に明日から”特別“稽古をつけてやって欲しい。」
「1日だけすか?」
「お前も忙しいだろう。3日で良い。」
「分かりました。」
「中村?お前ちゃんと四股・摺り足・鉄砲やっているか?」
「そう言われるとしてないかもです。」
「親方はそれをやれと言うのにお前は、すぐぶつかり稽古や3番稽古をやって、それで稽古をやったつもりになっている。そこが全て。駄目だよ。皆それを真似しちゃうよ?四股・摺り足・鉄砲。これが稽古の8割だから。横綱に上がれたのに、それは凄い事だけど、そこはお前なりのやり方で、そうなった訳で何を今さらと言うのは百も承知だ。それを否定はしない。ただ、こうすると良いと言うアドバイスだ。聞く耳を持つか持たないかは、中村次第だ。」
「そう。四股はこう。摺り足は立ち合いを想像しながら。鉄砲は鉄砲柱が曲がる位。そう。良い突っ張り出来るじゃないか?つーかやれば出来るじゃないか?やれよ?」
「これで自分の相撲変わりますかね?」
「ちゃんと毎日やってれば結果出るべ。」
「今さらこんな基礎位って思うたろ?」
「はい。」
「ちゃんと毎日やるんだぞ?まぁこの越乃海の強さは基礎の徹底にある。と、俺が教えられるのはここまで。中村も横綱として土俵に上がる以上、優勝を目指さないとな。」
「コシ関、毎日これやってんすか?」
「あぁ、15歳で中学を卒業し、叩き上げでやって来た財産がこれだ。まぁ、立ち合いのぶちかましやかち上げや、神の右は全部師匠に教わった物だがな。」
「それであれだけの活躍を?」
「お前、馬鹿か?稽古だよ稽古。鬼の様な稽古を何回も何回もやってようやく身に付けた言わば、仕事人の技だ。」
「仕事人の技?」
「矜持って奴か?難しい言葉はよく分からないがな。」
「確かにコシ関は組んで良し離れても良しですもんね?」
「まわしを取りたくないなら、突き押しで行く。それで駄目なら右寄つでしとめる。それが横綱越乃海のスタイルだ。」