第82話 令和15年初場所②
一流のアスリートは必ずサブオプションを持っている。つまり、何が言いたいかと言うと、メインエンジンが駄目になってもサブオプションだけでカバー出来ると言う事である。普通の旅客機や戦闘機ならば緊急着陸しなければならない事態だが、それはアスリートも同じである。そうした事案を一流のアスリートやパイロットならば、サブオプションを使用する事で乗り切る。
まぁ、コシの場合のメインエンジンはぶちかましからの突き押し。サブオプションはかち上げやもろてからのはず押し。無論サブオプションは平時からも使っているが、メインが使えなくなる事は一流のアスリートなら、そんな事態を経験するはずだから、サブオプションの重要性はよく分かる事だろう。
今場所は、顔の怪我によりぶちかましが使えなくなる事になったが、かち上げやもろはずでその窮地を打開しようとしていた。場所後半戦に入っても、コシのかち上げやもろはずに苦戦する力士達が続出。転がり込む勝利に笑いが止まらないコシであった。
分水嶺となったのは14日目の横綱照の山戦だろう。立ち合いかち上げかもろはずで来るのを分かっていた照の山は、右に大きく変化。目の前に照の山がいなくなった事にコシは少し慌てたが、直ぐにオプションを切り替える。まわしに照の山が捕まえに来たので、またオプションを変更。右寄つにチェンジした。苦しい体勢が続いたが、何とか胸を合わせる所まで行った。こうなれば、横綱越乃海のペース。そのまま寄り切った。1敗と全勝の直接対決に勝利した事により、コシの3場所ぶり35回目の優勝が決まった。オプションの多さで優勝した場所であった。
「先生?ぶちかましはまだ駄目ですか?」
「そうだね。軽めのぶつかり稽古からリハビリしてみようか?」
「分かりました。」
「越乃海にはやはりぶちかましが無いとね。見てるお客さんも釈然としないよね。」
「と、言う訳で、ひかり?オレのぶつかり稽古の相手をしてくれ。」
「マジすか?痛そうです。はい。横綱?50%位でお願いしますよ?」
「ウシっ!」ガツン!
「全然痛くないよ。」
「その調子だコシ!来場所までに中村(時天山)と3番稽古でぶちかませたら、ぶちかましを解禁する。」
「はい!あざっす。」
その頃横綱大鵬はの所属する大竹部屋では…。「来場所優勝出来なかったら引退します。」
「待て待て、康二?優勝までいつもあと一歩の所まで行けてるじゃないか?」
「倒せないんですよ。あの越乃海が。どうしても勝てない。もう5年以上勝ってないんじゃないですか?」
「あの力士を倒せなくて引退した力士は星の数ほどいる。もう一度優勝するまで引退を先延ばしには出来ないか?康二!」
「勝つなら今しか無いっすよ。ぶちかましを使えない今しか。どうせ奴にはかち上げかもろはずしか選択肢は無いんだ。」
「だと良いんですが?」
と、随分しけた会話をして弱気になっていた横綱大鵬だが、そうなるのも無理はない。対越乃海戦54戦2勝とコシにカモられて分が悪かったからだ。いつもあと一歩の所でコシにカモられてしまう。そんな大鵬の引退を覚悟して背水の陣で、令和15年春場所に臨む気持ちも、分からなくは無かった。これ以上越乃海にカモられては敵わない。