第75話 令和14年夏場所②
「親方?良いんですか?」
「何が?」
「コシ関の事ですよ!」
「まぁ、部屋に留まるつもりだったんだけどな、一家の主として、東京場所だけでも自宅から通わせて欲しいとの申し出がコシからあり、この私が独断で許可したんだ。」
「他にも妻子ある力士達はいるじゃないですか?」
「コシはVIP待遇さ。お前らの想像を遥かに越える献金を時津川部屋にはしてくれているからな。」
「そんなに俺がいなきゃ不安か?」
「い、いたんですかコシ関!?」
「安心しろ。家には寝る為だけに帰る。お前らとの稽古やちゃんこは食う。それは変わらん。俺がどれだけ部屋に貢献しようと、そこは変えない。それで良いだろう?」
「ゆたか?許してやれよ。」
「はい。」
「ゆたかさんも27歳で焦っているんですかね?」
「横綱に昇進して数年立つがまだ優勝は0回だ。中村(時天山)の言う通り焦ってるのかもな。」
「古傷も癒えてないみたいだしな。」
「あぁ、右膝ですよね?まだ手術して間も無いですから。」
「貧乏横綱だな。」
「コシ関?ゆたかさんに怒られますよ?」
「この越乃海が現役でいる限りは、怪我や病気が無ければ優勝は難しいだろうな。」
「コシ関!ゆたかさん聞いてますって!」
「悔しければ俺を超えて優勝してみろ。」
「ただし、そんな足じゃあ天地がひっくり返っても、この越乃海には勝てまい。怪我や病気は全て自分の責任。怪我や病気は自分の弱さから来るもの。それを言い訳にしている様じゃやはりこの俺を超える事は出来ない。」
「はい。よく分かりました。」
「コシ関!フォローアップ!」
「お、おう。だがここまで横綱として頑張って来た事は認める。横綱としてその地位に就いただけでも大したものだ。誰にでも出来る事じゃない。」
「はい。」
「とにかく、怪我を治し、復帰したらいくらでも稽古はつけてやる。」
「ありがとうございます。」
と、まぁ部屋では色々あった横綱越乃海だったが、本場所では格の違いを見せつけ15戦全勝優勝を達成。これでコシは7場所連続33回目の優勝で、初代横綱大鵬を抜き、優勝回数歴代単独2位となった。
「コシ関!おめでとうございます。」
「おお、ゆたか。怪我の方は?」
「いえ、たった今引退届を時津川親方に出して来た所です。」
「引退!?親方はそれを受け取ったんか?」
「はい。膝の具合が思った以上に深刻で、力士人生に終止符を打つ決意に至りました。」
「ゆたか?本当にそれで後悔は無いんだな?」
「思い残す事はもうありません。引退後は時津川部屋の部屋付きの親方雷を襲名するつもりです。」
「角界には残ってくれるんだな?」
「はい。今度は自分を越える横綱を育てるのが、今の夢です。」
こうして、ゆたかこと第78代横綱豊山は令和14年(2032年)夏場所限りで現役を引退した。幕内最高優勝2回、三賞(殊勲賞2回、敢闘賞4回、技能賞6回)金星2個。横綱在位20場所。とびっきりのスターではなかったが、泥臭いそのスタイルはコアなファンを魅了する横綱であった。引退後は年寄雷を襲名。時津川部屋で部屋付き親方として、後進の指導にあたる事が決まった。
「膝の靭帯やってたらしいっすよ?ゆたかさん。」
「手術に成功してなきゃ、二度と歩けなかったみたいだな。」
「そんな酷かったっんすね。」
「じゃなきゃ引退しねーだろ?」
「確かに。」